→前回の続き
ここまで書いて、ようやく7つのボディを知る意味についてお話しできます(^_^;
通常の私たちは、目の前の現実にあくせくし、生き残りと葛藤のなかで肉体の意識にしばられ、広大な魂の意識をすっかり忘れています。
そして死後、自分自身が何者であったかを思い出し、この7つのボディを順々に遡り、脱ぎ去り、元の自分へと戻っていきます。
亡くなった方のことを、仏と呼ぶ習慣が日本にはありますが、この7つのボディをすっかり脱ぎ去り、悩みや執着がなくなった死者の状態を、仏-ほどかれた状態-と呼んだのです。
そして生きながらにして、この7つのボディを遡り、執着なく、いつでも脱ぎ去ることも、着ることもできる状態の人を、生き仏-目覚めた人-と呼びました。
私たちが肉体をもった状態で、本当の自分を知りたいと望むとき、意識は拡大します。
そして今世の自分自身の役割、過去世での自分をエーテル形態で取り戻します。
さらに、アストラル体からコ-ザル形態へ至るとき、私たちは理屈ではなく、『すべてはひとつである』という意識状態を体験します。
7つのボディを意識的に知る必要は特にありませんが、このような情報を知ることによって、これまで自分を知りたいと望んだ先人たちが、どのような道をたどって、自分自身-魂そのものの意識-へ辿り着いたのかというプロセスが見えてくるのです。
そしてもし、魂の意識にまで到達できたなら、この人生体験はいままでとはまったく逆の体験となります。
『肉体が何かをめざして、がんばり続ける場所』としての人生から
『魂がやりたいことをやるために、喜び続ける場所』としての人生へと転換されるのです。
スピリチュアルな体験を目指して、がんばる必要は一切ありません。
私たち自身がスピリチュアル存在そのものとして、ここにいるだけなのです。
そんなことをお伝えしたくて、長々と七つのボディについて書かせていただきました。
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