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my田んぼの筋蒔き その2 

さてさて、いよいよ機械を使っての筋蒔き開始です。

機械全容

分かりますか?

奥のほうが、工程の始まりです。


たくさん人がいて、「機械でやるのになんで?」って思うでしょ?

これ、最低でも8人は必要なんですよ。



まず一人目。

苗箱をセットする人。

そして、二人目。

その苗箱を、セットする人のところに運ぶ人。

苗箱

この苗箱は、この高さで奥に3列ほどあり、
さらに別の山がもう一つありました。


3人目。
最初の土を機械に投入する役。
最初の土

苗床の土と、肥料をここで混ぜて、
箱苗に敷き詰めていくので、
エレベーターの下の箱で混ぜています。

が、今回は「オーダーメイド」で、
割合を指定して作ってもらったそうで、
緑の袋から出た土をそのまま使ってました。


4人目。
肥料水作成。

肥料をまいて

先ほどの土が、苗箱に敷き詰められ、
その上に肥料水が撒かれます。

この「肥料水」の調合をする人がいました。

1回にたくさん作っておいて、セットしておくことができないので、
タンクに無くなってきたら、作って足すの繰り返し。


5人目。
種もみ投入係。

種もみ


これが、種もみです。

このように網に入れて、この筋蒔きに合わせて水につけておきます。

まずは、水につけて、だんだん水の温度を上げていき、
ほんの少しだけ芽を出させます。
なんか「冬眠から目を覚まさせる」みたいですね。

種もみから目を出させるまで、約10日ほどかかるそうです。


除草剤撒いて

種もみが、第1の土の上に敷かれ、除草剤が混ざった水が撒かれます。
これをしておくと、田植えのときに除草剤が必要ないそうです。


そして、6人目。

最後の土投入係。

最後の土

「苗床土」って書いてあるの分かりますか?

専用の土があるんですね。



そして、この工程すべて終わった「苗箱」を今度は専用の棚に入れていきます。
棚に詰めて

この係りに、最低は2人必要になります。

なぜ棚に詰めるかって???


それは・・・・・・




芽を出させるために、温めるからです。

サウナ状態

こうやって、シートをかぶせ、サウナ状態にします。

ほら、温度も調節しています。

温度調節


この「サウナ」に3日間入れておき、
そのあと外の「苗代」に移動させて、
田植えができるまで苗を成長させるのです。



1時間360枚の苗箱を約6時間かけて敷きつめ、
30分かけて一斉に掃除。


そうそう、私は筋蒔きを手伝っていましたが、
外では霧雨の降る中、苗代も作っていました。


そちらのほうは、残念ながら行くことができませんでした。


そんな時間もないほど、必死に苗箱を運んで
棚に詰めていました。


おかげで、今は、肩も腰も筋肉痛(>_<)


いくら、機械化が進んでもやっぱり作業は大変なものです。

my田んぼの筋蒔き その1〜苗箱作りについて〜

今年から、自分のお米を自分で作るため、
上越市大島区の知り合いの田んぼを借りて、
お米作りを始めることにしました。

とはいっても、お米作りの一番大切で難しいことは、
「毎日の管理」

こればかりは、できない。


だから、毎月1回を目標に、
田んぼに通って作業をすることにしました。


その1回目が昨日。

季節外れの雪のせいで、
作業が3日遅れたおかげで携わることができました。

それは… 「筋蒔き」


つまり、「お米の種まき」です。


そして、これが「種もみ」
種もみ


「この一粒から、お茶わん1杯分のお米ができるんだぞ~」
と、遊びに来ていた子どもにおじさんが話していました。



さてさて、この筋蒔き。
昔は、田んぼに直接手で撒いて苗を作り、
それをある程度成長させて、取って田植えをしていました。

苗とり

これが、「苗取り」の様子です。
これは、十日町市松之山にある体験民宿「グリーンハウス里美」
棚田を守るために活動しているメンバーが、
行っているところです。
棚田は機械が入らず、手で田植えを行います。
どうせなら、苗も昔のやり方で作ろう!と、始めたそうです。


現在では、機械植えになったため、
機械にセッティングできるように箱に苗を作ります。
それが「箱苗」です。

箱への筋蒔きも、手作業で行っているところもあります。
肥料の混ざった土を入れ、
その上に種もみを敷き
さらにその上に土を敷く。

そして、その箱を水の張った田んぼ、
もしくは、「苗代」に設置して「苗」に成長させます。


私が今回行ったのは「苗箱」への筋蒔き。
全部で約2,500枚!!


植え方にもよるのですが、
1反=1000?=10aに20枚ほど使うそうです。

と、いうことは約125反分(12,5ha分)。

想像できますか?この広さ??
東京ドーム、約2,5個分。
もうちょっと大きい感じ。


もちろん、すべて、私が田んぼを借りる人のものではありません。



箱苗自体も作るための作業に手間がかかり、
今では「箱苗」を購入する人が増えました。

機械を購入するにはかなりの額が必要です。
しかも、使うのは1年にたった1回。
よほど耕作していないと、割に合いません。

と、いうことで今では地域で「生産組合」を作り、
その組合で機械を購入し、
組合員みんなで使用することが多くなりました。


この、2500枚の苗箱は
生産組合員みんなの苗箱の数です。

それを、組合員総出で作っていくわけです。


機械を使っても1時間できる量は約360枚。
品種を変えるたびに、他の種類と混じらないように
ちょとっとした清掃が入るので…


いや~~、とても大変でした。


・・・・続く・・・・



今日ね、学校でね…

ある年の山村留学生のお話。

一人でも、時間を過ごすことができる。
一人でも、遊ぶことができる。
そして、ごはんもちゃんと食べる。

でも・・・

「今日、学校はどうだった?」
「ん~~~~、楽しかったよ」
「何をした?」
「ん~~~~、遊んだ」
「どんなことで?」
「ん~~~~、いろいろ」
「何が一番楽しかった?」
「ん~~~~~、全部!」

一つ一つ、ちゃんと考えて話してくれます。


でも、何かが違う。
単語が少ない。


説明を促すと、時系列で話せないどころか、
支離滅裂で、何が何だか分からない。


彼、成績はそこそこなんですよ。




子供って、自分のこと知ってもらいたくて、
自分のこと分かってもらいたくて、
ウソでも、誇張してでも自分の話ってするもの。

なのに、彼は、話すことができない。



ふと気付きました。
最近「話すことができない」子供が増えたと。

つまり、「話す」ということが分からない
「話す」楽しさを知らない
「言葉」をうまく操れない。



では、なぜ???



やはり、家庭環境は大事です。


共働きが悪いわけじゃぁありません。
テレビが悪いわけじゃぁありません。


忙しくて、会話をしない。
食事中も、食べることだけに集中。
会話に子供が入ってこれない夫婦だけの話をする。
テレビを見るだけで、会話をしない。


そういう家庭が増えたのではないでしょうか?


「一人で時間を過ごせる、良い子。」

で、終わらせないで!!

家族の会話に、子供が言葉を発しているか、注目して!!



会話のその場にいることだけでも大切ですが、
会話自体に、入ってきているかがもっと大事。



話すことができないと、
話し方を知らないと、
自分の気持ちを表現できず、
イライラが募り、
ストレスとなって、
「キレる」ことになるのではないでしょうか。


大人が話を聞いてやる前に、
大人が話し方を教えてやる。
それは、「話す」環境を作ってやる。
「話す」ことを促す。
それが大事だと思います。



さて、上記の彼。

1年後、ようやく
「今日ね、学校でね…」
と、話ができるようになりました。



食事中、何度も何度も同じことを聞いたり、
テレビを見た後も、それについて話をする時間を取ったり、
「話す場」を大事にした積み重ねの結果でしょうね。


つながリンク事業開始

4月に入り、いよいよ本格的に始動しました。

つながリンクーえん

体験・交流の企画及び運営
体験・交流にかかわるコーディネート
地域おこしプランナー

をします。


人と人がつながって縁(えん)を結び、
円(えん)になる
そこに宴(えん)がはじまり、
園(えん)ができる。
演(えん)じる人が出てきたり
それを応援(えん)する人が生まれる。


つながってリンクすることにより、さまざまな「えん」が生まれる。



そんな場を作っていきたい。
そんな場に自分がいたい。
そんな場を共有したい。


とりあえず、富山に引っ越しましたが、
今までの「えん」を大切にし、
仕事のフィールドは十日町市そのままです。


十日町の物産、
十日町の自然、
そして、十日町の人
大人も子供も、おじいちゃんもおばあちゃんも、
そして、十日町に限らず
「えん」を求めている方
ぜひご相談を!!

できることはやります。
できないことは相談します。




いつかどこかに、「松之山学園」を復活させたい。

もう、その時には違う「学園」になるだろうけど、
山村留学センターって、
そいう言う「えん」の場所だったよなって思うんだ。

いや、私にとっては「えん」の場所でした。

そういう意味で「学園」復活を企むのでした。

「育子からの手紙」

育子からの手紙―十五歳、ガンと闘った日々 育子からの手紙―十五歳、ガンと闘った日々
(1989/11)
副島 喜美子

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彼女とは同級生。

小学校は違ったけど、彼女の名前は有名だった。
運動神経抜群で、彼女のいる小学校にはどうしても勝てなかった。


中学校で一緒になり、中2で同じクラスに。
彼女が大変な病気になったことは風の噂で聞いていた。



でも、彼女は、できる限り学校に通っていた。
修学旅行も一緒に行った。

クラスが違う私でも、話しかければ笑顔で返してくれた。



彼女の死は、私には衝撃的だった。



そして、彼女の本に出会った。




彼女が教えてくれたこと。
彼女が教え続けていること。


20年たった今、今度は映画として訴えかけてくれる。


4月17日全国ロードショー
「育子からの手紙」
http://film-crescent.com/ikuko/