『ネット右翼になった父』鈴木大介 | 本を読んでも賢くなりません。

本を読んでも賢くなりません。

ごく普通の読書ブログのつもりではじめたら、ごった煮のようになってしまいました。

久しぶりの書評です。

読んだのは2月の頭頃。

 

 

1月19日に発売されたこの本を書店で見かけ、気になっていました。

買って読む気になったのは、こちらのコトラーさんの記事を見てからです。

 

 

 

 

書名からすると、ネット右翼についてや、身内がネット右翼になった場合の処方箋が書かれた本と思ってしまいますが、そうではありません。

 

 

ザクっとネタばらしのようになってしまいますが──でないと、タイトルから勘違いしやすいので──

 

 

もともと父親とは、感情的なかかわりが薄かった著者でした。

早くから、父とは性格や生き方が合わないと感じ家を出て、話し合うこともぶつかり合うことすらないままでした。

 

 

父が末期癌の告知をされたのを機に、母の負担を軽くする意味で病院の付き添いなどするようになりましたが、父親の発言で、父が自分とは価値観が真逆の‟ネット右翼”であると思うに至ってから、亡くなるまでまったく心を閉ざしてしまいました。

 

 

著者の鈴木大介氏はジャーナリストで、父を看取ってほんの2か月後くらいにWebの「デイリー新潮」に寄稿した文章に始まり、本の発表までにいくつかネットに発表された記事があります。

 

 

こちらはその、最初の寄稿『亡き父は晩年なぜ「ネット右翼」になってしまったのか』です。参考までに。

 

 

 

 

 

 

上の記事より更に‟ネット右翼”への嫌悪感をあらわにした、感想をくれた編集者への返信も本に掲載されていますが、ご本人が仰るように冷静ではありません。

 

 

自分の価値観と反対のもの、そこへ父親を取り込んだ商業右翼を敵として憎しみを募らせます。

 

 

「忌々しい商業右翼コンテンツに、衰えゆく父を汚された。父に残された時間を、あったかもしれない最後の対話を奪われた」

 胸に沸き上がった猛毒のような怨嗟。(32ページ)

 

 

本書は、その後「本当に父はネット右翼だったのか?」という疑問から、本を読んでのネット右翼研究、父親の遺したパソコンや友人・知人、家族からの聞き取りなどを経て、「父はネット右翼ではなかった」という結論に至るまでのおよそ3年の経緯を記したものです。

 

 

 

 

 

 

著者の鈴木氏は、父がネット右翼か否かを検証するため選んだ教本の選択からして慣れておらず、あまり政治的な人物あるとは考えられません。

でありながら、価値観はご本人も認めるようにリベラルで、特に社会で女性の置かれる立場の中に問題を認識する視点を持ち、取材など行ってきた関係で、女性蔑視とみられる言動に敏感です。

 

 

父親が発した「三国人」「火病る(ファビョる)」などの言葉、PCから父が視聴していたらしい右翼コンテンツ、持っていた雑誌(『Hanada』とか)などの断片を集めて父をネット右翼と思い決め、そこにプラス「ネット右翼=ミソジニストでチャイルドポルノ肯定者」という鈴木氏の以前からの思い込みが合体。

 

 

何のことはない、自分の思い込みによる観念を父親に投射して嫌悪していた(最終的にその結論に至ります)のでした。

 

 

かつての鈴木氏の認識からはネット右翼となるであろう私(『Hanada』だけでなく『WiLL』も『正論』も買ってる。購読紙は産経。爆)、元嫌韓だった私にしてみると「でしょうね」の結末でした。

結論までの道のりが苦しかったのは想像できて、同情します。

 

 

人間が生まれてから習得していく観念は、もちろん有益な面も多いのですが、諸刃の剣のように自らを傷つける場合もあるということ。

特に鈴木氏が書いていたように、リベラルな価値観が善である、のような思い込みは危険です。逆もまたあると言えるでしょう。

 

 

鈴木氏も最後自覚されたように、父をネット右翼にしたのは鈴木氏自身。

父に「ネット右翼でミソジニスト(女性嫌悪主義者)で差別主義者」のレッテルを貼った仕業は、自分が嫌うネット右翼が中国や韓国の人を差別する(ここも思い込み)のと同じことだったのでした。

 

 

 

──というわけで、この本は家族・大切な人を、無用な自分の思い込みで失わないようにとの思いで書かれたようです。

お読みになるなら、そのおつもりで。アンチネトウヨ本ではありませんので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タイトルは、リベラルの方からイデオロギーに無自覚な一般の方まで、広くターゲットに狙っている感じがします。

私みたいに保守(あるいはネット右翼)を自認する人間で、この本を読む人はいるのでしょうか、とちょっと疑問でした。

 

 

正直、保守側からはあまり読んで愉快な本ではありません。といって、うんと不愉快にもならないけど、帯に示されているほどの感動もなく・・・でも、興味深い本ではありました。

 

 

 

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村