スケート成分も皆無の記事です。
限定記事にした方が良いかなとも思ったけど、
でも、
アメンバーさん以外の方でも、
関心を持ってくださる方に伝わると嬉しいので、
公開記事で書くことにしました。
「人を無暗に傷つけても平気」な姿を、
自ら公に晒して、
しかも嬉しそうにしてるって、
どういう神経なんだろって不思議になることが最近増えていて、
なんとも悲しい気持ちになっちゃうことがあります。
たとえば、
努力を重ねてきたある青年が怪我をして、
その努力の成果を披露することができなくなった時に、
そんな青年を馬鹿にする見出しを新聞記事に載せるとかね・・・。
そういうことって、
どういう人ができることなんだろうなあって、
悲しかった訳ですよ。
私がたとえ、
「捻挫で第一線から退いてしまった一選手の親」でなかったとしても、
そんな記事を読んだら、
その選手や、その選手応援してきた親御さん、ご家族の方、
仲間たちは、どんなに傷つくだろうって、
悲しくなるでしょうね・・・。
ふと、思い出したことがありました。
冒険遊び場のサポーターをやったり、
地域の子どもたちに絵本の読み聞かせをしたり、
そんな活動をしている方の言葉。
「日本の子どもには、人権が無いよね」
そうだ、人権だ。
怪我をした青年を馬鹿呼ばわりするような記事を書くメディアは、
その青年に人権がないと思ってるってことか。
人権を持たない人間に対しては、
思いやりを感じる必要はないってことか。
道端に落ちてる段ボールの切れ端には人権がないのと同じように、
世の中に一緒に生きている人間という生き物に対して、
「その生き物には人権がある」という意識を持っていないってことか。
逆に言えば、
道端に落ちてる段ボールの切れ端であっても、
自分にメリットをもたらすと思ったら大切に扱うのでしょう。
そのメリットが維持できるようにと。
段ボールでも人間でも同じ。
その対象物が自分にとってメリットがあるものだったら、
自分のメリットが最大になるように、
利用価値が高まるように、
大事にする。
うっかり壊してしまったら、もう使えないもんね。
たまたま、今、「大切に扱ってる」対象物が人間だった場合も、
その人間に対して、人権の存在を感じている訳ではないから、
「大切に扱っている」対象物たる人間その人の個人的な幸せとかには、全く関心がない。
自分の得られるメリットだけが大切で、
「対象物」の幸せなんて、脳内のどこにもありゃしない。
そんなところか。
”もの”と”人間”の違いの一つに、
”もの”には人権が無いけど、
人間には、もともと人権がある、という点に、
疑問を差し挟む人はいるだろうか?
不幸にして、
人権の無いところで育った人間は、
この疑問がいつも頭の中にあるように感じる。
人権の無い世の中が自分にとって当たり前だったから、
人権のある世の中の価値がわからないし、
人権のある世の中での生き方もわからないからかな。
そもそも、人権って何なのかがわからんないんだろうな。
人権ほどに、
日本人にとって、解り難い言葉はないように思う。
人権を守ることが人間として生きていくための義務だということを知らない人が多すぎるから、
人権を守ろうとしない人が組織のリーダーになってしまうことを誰も止めることができず、
さらに、その組織では、人権が奪われ続けていく。
最近話題になった、公立高校での髪の黒染め強要事件など、組織的な人権侵害の構図そのものだ。
<女子高生・黒染め強要訴訟>学校は地毛が茶色いだけでなぜ生徒を “排除” したのか
「生まれつき髪の毛が茶色かったA子さんに学校は「ルールだから」と、写真撮影日など入学式の前から黒染めを強要。度重なる頭髪指導で精神的苦痛を受け、不登校になったと、大阪府に対し裁判を起こした。」
「 黒染めを繰り返した結果、A子さんの頭皮は薬剤の影響でかぶれ、髪の毛もボロボロになった。代理人は憤慨する。
生徒の健康を害してまで、これは指導と言えるのか」
「母子家庭だから茶髪にしてる」と暴言を吐き、「黒染めが不十分」と呼び出し、「黒染めをやり直すまでは出さない」と授業に出ることも禁じた。文化祭や修学旅行など学校行事への参加も拒んだ。」
「学校側の言い分は、
「名前や席がないのは不登校を目立たせなくするため。変な噂が広まらないように」」
「府側は「学校の指導は適切」と、請求棄却を求め、全面的に争う姿勢を示している。」
健康に生きる権利、
合格した公立校に通って学ぶ権利、
こういうものは、人権の一つではないのですか?
人権を奪う行動を肯定する組織は、
その組織と関わりのある人々から総スカンを食らって当然でしょうに、
そういうことにならないということは、
(つまり、上記髪染め強要事件の場合であれば、
当該公立校の校長なり、その校長を任命し学校の指導方針を評価する立場である府なりの責任者が更迭されることもなく、その職にあり続けているということは)、
その組織の周囲でも、
人権の守られない状態が常態化しているということなんだな。
そんな風に感じました。
ところで、
人権の存在しないところで、
人権を尊重されずに育った人々は、
本来、
人権が育まれているべき心の中のスペースを、
いったい何で埋めているのでしょう?
たぶん、
誰かを貶めることで、
相対的に自分の価値を引き上げる、という行為ではないでしょうか?
自分自身の価値を心の底から信じることができないから、
(こういう状態を、自己肯定感の低い状態と呼ぶことができますね。
自己肯定感については、定期的に国際比較調査されているのですが、
今の日本の子どもたちの自己肯定感は年々低くなり、
さらに、子どもの年齢が高まるほどに低くなっていく、という状態で、
日本の教育関係者の中で大きな問題となっているテーマです。
自己肯定感の低さが問題とされるのは、
自己肯定感が、社会的な全ての活動の根っこに関わるものだからです。)
自分の人権を大切にされたことがない人は、
誰かを馬鹿にしたり批難したりをしなければ、
他の誰かを褒めることも、
まして、
自分自身の価値を感じることも、できないのです。
このような状態は、病的な状態なのだということに、
気付いて欲しい。
病気なのだから、早く治して、
その病が他人を巻き込み、
病人が増えていくことをストップさせなければならない。
でも、
野放しになったまま。
人権侵害だということも、
意識されないまま。
国際的に、恥ずかし状態だということも、わからないまま。
このまま、この国は、
この方向へ進み続けるのだろうか?
子どもにも、
女性にも、
人権がないままで。
・・・熊本市議が議場に赤ちゃんを連れてきたことから処分されるらしい、という事件も、
女性に人権がない場での典型的な事例ですね。。。。
その赤ん坊には父親はいなかったのでしょうか?
父親も同様に、赤ん坊を職場に連れていって、
親としての苦労を彼女とシェアしているのでしょうか?
婚姻関係にある夫だけではなく、
生物学的な父親は、
必ず育児の責任があるはずだという認識が、
日本の世の中には無さ過ぎることも、
女性の人権が奪われていると感じるトピックの一つ。
産むしかなかった子どもを、
殺めてしまった若い女性は、
いくつもの負の十字架を背負って生きていかねばなりません。
妊娠させた男の責任が問われないのは、何故?
殺めた女性を取り調べるのと同じだけの熱心さで、
妊娠させた男は、探し出されて責任を負うべきなのに。
飛躍し過ぎと思われる方もいらっしゃると思いますが、
同じ根っこから生じている問題だから
書いているのです。
※もっと日常的な例は、こちら。
私は「稼がないと人権がない」と思ったから理系の大学出て総合職に就職したんだよね。でも実際にはそもそも人権削られてる女がいくら男と同じように働いたところで同じ扱いは受けられなかったし、よしんば運良く受けられたところで妊娠出産のフェイズで絶対脱落するのが現実だった。
— しましま (@v_wxyzz) 2017年11月27日
そして向けられた言葉は「時短は楽できていいね」「女は楽できていいね」「旦那さん育児してて偉いね」ですよ。
— しましま (@v_wxyzz) 2017年11月27日
そこで初めて気づいた、こいつら「女を虐げたい」が主目的で、そのことに自分たちですら気付いてないんだな、と。
「人が嫌がることはしない」の反対にあること、
つまり、
「人が嫌がることかどうか、考えもせずに、
自分のやりたいことをする」という行為は、
人権侵害なのだということが、
もっともっと、
日本で意識されるべきだと思う。
人権に配慮しない行為は、
自分にそのつもりがなくとも、
人を殺してしまうほどに、
相手の人間に対して、重篤な影響があるのだ、ということを、
もっともっと、
組織のトップに立つ人は、
意識しなければならないと思う。
組織を束ねるひとや、
大手メディアで発信力のあるひとには、
もういちど、
「自分は、人権に配慮して活動しているか」を、
今一度、
胸に問うて欲しい。
最後までお読みくださり、
ありがとうございました。
お口直しに、
美しい白鳥さんを一羽、
ご覧にいれますね。
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最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
お写真、お借りしました。感謝と共にUPします。
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