アンドレ・ジッドは20世紀前半フランスの代表的小説家である。
(アンドレ・ジッド:1869-1951)
日本では戦前に紹介されたが、一般の人気を博したのは戦後だった。とりわけ『狭き門』の作者として知られるようになった。
戦争が終わり、心が開放され、人は読書を求めた。中でも戦後の世界文学の最先端を進んでいたフランス文学の人気はすごかった。戦前はスタンダールやバルザックやフローベルなどが人気があったが、19世紀の終わりから20世紀前半にかけて活躍した作家たちの作品が続々脚光を浴びた。その中で私が読んだ作家はジッド、フィッリプ、ロマン・ロラン、ラディゲ、コクトーなどである。ただし、ジッドとフィリップ以外の作家の作品は一冊しか読んでない。
(ロマン・ロラン)
カミュやサルトルなど戦後のフランスを風靡した実存主義文学も人気を博した。
最近石原慎太郎の随筆を読んでいたら、高校時代(昭和20年代)の彼がジッドの
言葉に感銘を受けたいう一節に出会った。ジッドの人気はすさまじかったことの一例である。
それは1960年代まで続いたと思う。もう50年前以上になるが、私が高校時代に購読していた学研の「高1コース」に『狭き門』の内容が紹介されていた。
男女の純愛が描かれているので、恋愛に憧れていた素朴な田舎の少年である私は興味を持ったくらいである。
その頃、購入していた河出書房の「世界文学全集」シリーズにもジッドの巻が入っており、『狭き門』は収録されていた。
早速『狭き門』を読んでみたが、難しくてついていけなかった。
読書力がついてきた大学時代、私は再挑戦しようと思い、岩波文庫で読むことにした。
岩波文庫で出されている他の作品も読もうと考えた。
しかし、『狭き門』を読了した時、面白いとはいえなかった。
主人公のジェロームは年上の従妹アリサに恋する。彼女は、主人公の申し出を断り、信仰の道に入ることを選ぶ。そして妹のジュリエットと結ばれるよう勧める。
このアリサという人物に私は惹かれなかった。また、優柔不断の主人公にも距離感を感じた。従妹姉とジェロームの三角関係もややこしかった。
信仰と愛に悩むジェロームとアリサの内面を徹底的に掘り下げる展開にも窮屈さを感じた。
ドストエフスキーも神の問題を取り上げるが、彼の小説に出て来る人物は実に人間臭い。だからついて行ける。ところが、アリサのような人物は、衰弱死するくらい信仰の純粋さを追及する。これが鼻に突いた。
『狭き門』にはジッドの経験が反映しているらしい。日本の私小説に近い。「私」(僕)という一人称で話が綴られる。この手法は内面を掘り下げていくことには効果的だが、内容が哲学的になりすぎると、小説の面白さが薄れる。
続いて、私は『田園交響楽』を読んだ。
これも『狭き門』同様、一人称で書かれている。ジッドはこのような一人称で書かれ、ストーリーが単線的なスタイルの作品をレシ(物語)と呼んだ。
本作も『狭き門』同様、愛と信仰をテーマにしていた。主人公の牧師は盲目の少女を引き取るが、彼女を巡って、主人公、その妻、息子による愛憎劇が繰り広げられる。この作品にも私は心を揺さぶられなかった。内面省察がくど過ぎた。
ただし、今回この記事を書くに当たり、調べたところ、題名にまつわるエピソードが興味深かった。
『田園交響楽』は言うまでもなくベートーヴェンのシンフォニーのことである。
副主人公の盲目の女の子がこの曲を初めて聞いて感動する。
彼女は演奏に連れて行ってくれた主人公の牧師に聞く。
「あなたがたがご覧になるあの小川の景色は音楽と同じようにきれいなのですか」
牧師は答える。
「眼の見える者は本当の幸福を知らないものだよ」
彼女は叫ぶ。
「眼の見えない私は聞く幸福を知っていますか」
ここからやり取りが続くのだが、私が言いたいのは、『田園』のような優れた曲はあらゆる人を感動させるということである。そして想像力を与える。音楽の力、芸術の力は永遠だ。
さらに『背徳者』を読んだ。
これはストイックな主人公が北アフリカで病気になり、回復すると快楽に目覚め、最終的に家族も財産も失うという話である。
これもレシであり、一人称の形で綴られている。内面の揺れを克明に描いているのだが、退屈な印象が免れなかった。やっと読み終えたことを覚えている。
主人公が北アフリカでアラブの少年たちと遊んだことがさりげなく書かれている。ジッドは実際に北アフリカに行き、少年たちと交遊した。それは小児性愛による接触であった。
ジャニー喜多川の事件に見られるように現在小児性愛は虐待及び暴力の一種として見なされる。ジッドが現在の作家なら糾弾されるだろう。
ジッドはバイセクシュアルだった。ウィキペディアによれば、男性の愛人がおり、そのことについて『一粒の麦もし死なずば』(以下、『一粒の麦』と略す。ただし私は読んでない)という自伝で告白したらしい。
昔、同性愛はタブーだった。同性愛的傾向を持つ文化人はそれを秘密にしておかなければいけなかった。作曲家のチャイコフスキーや小説家のサマセット・モームがそう
(チャイコフスキー)
(サマセット・モーム)
余談だが1967年までイギリスでは同性愛は違法とされた。したがってビートルズのマネージャーのブライアン・エプスタインは同性愛者であることを隠さざるを得なかった。奇しくも67年にイングランドとウェールズで一部合法化された時、彼は亡くなった。もし生きていればカミング・アウトしたかもしれない。
(ブライアン・エプスタイン)
『一粒の麦』は1926年に出された。あの時代に公表したのだから、すごい勇気が要っただろう。知識人が時代を切り開いていくフランスらしさが見られる。
『狭き門』から『背徳者』までの三冊を今読んだなら、理解できようが、この歳では読む気が起こらない。
最後に『法王庁の抜け穴』に触れる。
高校卒業後数年間、私は作家の石川淳に興味を持った。
(石川淳)
彼が本作に傾倒し、自ら訳していた。また、ヌーヴォーロマン(フランス)の作家の間で本作がヌーヴォーロマンの先駆けではないかと評価されていた。主人公ラフカデイオの「無償の行為」が論じられていた。
それに刺激され、私は読んだのだ。
前述した3作とは異なり、本作は客観的リアリズムで描かれ、寓意性に富む、完全なフィクションである。なおジッドはこのような作をソチ(茶番劇)と名付けた。
ちなみにジッドがロマン(小説)と認めているのは『贋金つくり』(贋金つかい)だけで、レシやソチと明確に区別している。ただ、私はこの作を読んでない。
『法王庁の抜け穴』は分かりにくい点もあったが、面白かった。主人公ラフカディオの造型が魅力的で、迷路に迷い込んだような、カフカや阿部公房の作品に通じるような不思議な読書経験を味わった。
「無償の行為」の考え方も興味深かった。人道的な意味合いが弱いような感じがしたが、こういうとらえ方もあるのかなあと妙に感心したことを記憶している。
ジッドは前衛の文学者でもある。
小説においては、『贋金づくり』に見られるような新しい形式を取り入れた。
私生活においても同性愛者であることを公表した。
さらに政治への参加(アンガージュマン)も積極的に行った。共産主義に親近感 を抱いたり離れたりした一方、ナチズムやファシズムに対てしは戦った。
18世紀からフランスの文学者は政治に関わっている。その軸足は時代や人によって違う。ジッドの同時代(20世紀前半から半ばまで)には、ロマン・ロラン、マルタン・デュ・ガール、アンドレ・マルローが挙げられる。ジッド同様、進歩的知識人である。
(マルタン・デュガー:『チボー家の人々』でノーベル文学賞受賞)
フランスは革命と反動の繰り返しを経て共和制の定着にたどり着いた。その影響からか国民の間で常に新しい文化が湧きおこる。前衛に寛容な国民性と言えよう。
ジッドがもてはやされたのは当然だろう。
続いてフィリップに移る。
通称名フィッリプで紹介されているが、本名はシャルル=ルイ・フィリップである。
(シャルル=ルイ・フィリップ:1874ー1909)
どちらかと言えば、マイナーな作家である。岩波の『フランス文学案内』に載ってない。
19世紀末から20世紀初頭にかけて作品を発表したが、35歳の若さで亡くなった。作品数は多くなく、主として短編である。勤めながら執筆した苦労人である。
ジッドは彼を高く評価し、死後人気が出た。
ただし日本では戦前から文学者の間で人気があった。とりわけ太宰治は熱中した。随筆でフィリップを絶賛している。
(太宰治)
フィッリプには固定的なファンがいたのか、岩波の編集部が彼を世に知らしめたいのか、岩波文庫に4冊入れた。マイナーな作家にしては異例の扱いである。
それらは、『フィッリプ短編集ー小さき町にて』、『ビュビュ・ド・モンパルナス』、『朝のコント』、『若き日の手紙』である。
『フィリップ短編集ー小さき町にて』
ここでは恵まれなくても一生懸命に生きている庶民の哀歓が写実的に描かれている。陰惨を強調する自然主義派ではない。彼らをリスペクトしている。
彼の作品を読むきっかけが何だったのか思い出せないが、本作を読んで気に入った私は岩波文庫に入っている全作品を読みたいと思った。
『ビュビュ・ド・モンパルナス』
彼の代表作である。中編。パリの下町モンパルナスに住むビュビュという娼婦を描いた。
彼女の懸命な生き方が切ない。貧しさゆえに娼婦になるという設定に『罪と罰』のソーニャを思い出したが、ソーニャのように篤い信仰心はない。それでもフィリップはビュビュという人間に敬意を払っている。そうでなければこのように書けない。昔の娼婦はとりもなおさず男性の被害者であることは間違いない。
読んだ後、私は永井荷風や吉行淳之介の作品を連想した。当たり前のことだが、娼婦の描き方にそれぞれ違いがある。
幸運なことに本作を読んでいる頃、本作の映画化作品『愛すれど哀しく』が公開された。
傑作とは言えないと思ったが、19世紀末のパリを再現した風景と主人公に扮した女優オッタヴィア・ピッコロが印象に残った。彼女は美人ではないが、ビュビュのけだるさを上手に表現した。以降ビュビュといえばピッコロを思い出すようになった。
実は本作の前に彼女を主人公にした映画『我が青春のフロレンス』が公開されていた。
どちらかと言えばこちらの作品の方がよかった。霞がかかったような画調の色彩が素晴らしく、作品としても質が高かった。ピッコロが夫に裏切られる切なさを見事に演じていた。それに加えエンニオ・モリコーネの音楽が美しく、サントラのシングル盤を買ったくらいだ。
『朝のコント』
私はこの作品が一番よかった。彼の本領は短編にあると確信した。挿絵もよい。ただし、残念なことに内容のほとんどは忘れてしまった。
60代に入ってから私は山本周五郎のとりこになり、短編集の多くを読んだ。
(山本周五郎)
その時、山本とフィリップとの間に共通性を感じた。いずれも恵まれない一般庶民を愛情をもって描いている。
思えば、二人共若き日に苦労している。進学出来ず、少年時代から社会に出、人生の悲哀をなめた。
両者の作品に出会えたことは我が人生の喜びである。
『若き日の手紙』
彼の日常が垣間見えて面白かった。地方から出て来た貧乏学生だった私は彼に共感した。太宰と同じである。
読んでいくうち私はフィリップのような作家になりたいと思った。結局なれなかったけど・・・。
私もあの当時(70年代初頭)手紙やハガキをよく書いた。あの当時、下宿やアパートに住んでいる学生にとってそれらは重要な連絡手段だった。今の若者がメールを出すようにハガキを出した。
自分の考えや意見を述べる場合は手紙だった。大学時代、文学部の学生だった私は様々な友人知人に書いた。その数は100本を下らないと思われる。
一般の連絡手段は電話なのだが、大家さんがいる下宿の場合、呼び出してはくれるが、電話の借用は許可されないケースも多かった。お金が掛かるからである。
アパートの場合は、部屋に電話(固定電話。色は黒)を引いている人は数少なかった。したがって電話を掛けたい場合、10円玉を持って近くの公衆電話に行った。あの当時、赤やピンクに近い色(下記の写真)の簡易な公衆電話が人の出入りが激しい場所に設置されていた。
遠距離の場合は、10円玉をたくさん持って行かなければならない。切れそうになると、10円玉を要求するピーッという警告音が鳴る。10円玉が落ちるチャリンという音も懐かしい。
――― 終 り ―――
※次回は思い出シリーズを休み、5月に行く予定の京都旅行(2回目)の思い出を語ります。