引き続き後編をお送りする。3日目と4日目である。
[3日目:3月31日(火)]
今日は12時から桂離宮を参観することになっている。その後京セラ美術館を訪問する予定である。
桂離宮は皇室関連施設で宮内庁が管理しており、参観方法は事前もしくは当日申し込みである。
事前申し込みの方が確実なのでそれを行うことにした。現代を反映し、オンラインである。私はスマホやネットをつかいこなせるが、それが出来ない老人は申し込めないという訳である。ますます老人にとって住みにくい世の中になっている。
朝から雨だという予報なので午前中はどこにも寄らないことにした。12時に遅れないよう心掛けた。
したがって今朝は時間がある。ここの朝食は6時30分からなのだが、その時刻に行くとすぐ満席になる。食堂はフロント前のホールが用いられ、そこはエレベーターの乗降口に面している。
だからかお盆を抱えてエレベーターに乗る人が少なからずいた。部屋で食べるのだろう。これならゆっくり味わえる。ホテルも黙認している。
これはいい方法である。ホールはさほど広くない。合理的な解決法だ。
会員になったので今後東横インを利用する。試してみよう。
なお、メニューは和洋だが、種類は多くない。毎日ほぼ同じ。宿泊料が安いのだから仕方がない。
ホテルを出発した頃、雨が上がったので妻の提案で急きょ蹴上インクラインという桜の名所に立ち寄ることにした。最寄りの蹴上駅は今日利用する東西線にある。そのことも関係していた。
ここが意外によかった。けっこう観光客が出ていた。有名な穴場なのだろう。
輸送用鉄道の両側に桜が植えられていたが、戦後廃線になったため線路を歩きながら桜並木が鑑賞できるようになった。
桜が線路に覆いかぶさるような所も含め全長約600mある。線路が傾斜しているのも風情がある。
あいにく今にも雨が降りそうな曇天模様である、これが快晴だったら一段と魅力は増しただろう。
終了後東西線で烏丸御池駅に行き、地下鉄烏丸線に乗り換え、次の四条駅で降りる。そこから地下道を通って阪急京都線の烏丸駅に向かう。近い場所に3つの駅があり、ややこしい。歩くのが面倒なため利用するのだ。
烏丸駅から桂離宮最寄りの桂駅まで普通電車で約10分。ずいぶん近い。
駅から離宮まで歩いて15分くらい。バスの本数が少ないので歩くことにした。
12時の20分前から受付を行うのだが、早く着いてしまったので近くを流れている桂川に寄ってみる。
どんよりとした空の下、川は元気なさそうだ。
入口の門前で撮影。職員が何名か経っているので姿が入らないようにする。
ここはチェックが厳しい。門や休憩所でも行われた。不審者対策が力を入れていることが分かる。監視業務を行っている皇宮警察官の目が鋭い。
20人ほどのグループに分けられ、ツアーガイドが一人付く。若い女性の方である。後で調べたところ、宮内庁職員らしい。詳細な説明が出来るところを見ると、かなり日本史や美術史を学んだように思える。
列の背後にもう一名の職員が付く。
コース時間は約60分。
出発すると、雨が降って来たり、止んだり、また降ったりした。持参した折り畳み傘を使ったが、案内所でも貸してくれた。こちらの方が大きいので借りればよかったと後悔した。
今後参観される方で雨天に遭遇された方は備え付けの傘の借用をお勧めする。
今回高名な桂離宮をいつか参観したいという希望がかなった。前回の京都旅行で知り合った観光客からもここと修学院離宮を強く勧められた。
桂離宮は回遊式の日本庭園と書院などの建物群から成り立っている。日本庭園ゆえ大きな池を中心に築山、植え込み、庭木が配置され、その眺望を独り占めできるような書院が建っている。
(州浜[すはま])
庭と建物との総合の美が特長である。計算尽くしたように組み合わせられ、わび・さびの文化が漂っている。
松琴亭(しょうきんてい)を訪れる。
(松琴亭[しょうきんてい])
参観は外からのみである。中に上がれないので、外から見やすいように工夫されている。
いわゆる書院造であるが、壁に貼られた市松模様がやけに目に付いた。
続いて丘の上にある賞花亭(しょうかてい)。客を招く茶亭である。
(賞花亭[しょうかてい])
丘を下ると円林堂(えんりんどう)がある。
扉は閉じたままである。
続いて笑意軒(しょういけん)。
(笑意軒[しょういけん])
障子と畳と襖が織りなす簡素な美は人を引き付ける。
回遊は続く。次は桂離宮のシンボルと言える書院(しょいん)である。古書院、中書院、楽器の間、新御殿の順に雁行形に連なっている。
(書院[しょいん]:最後の写真には月見台が映っている)
書院の特長は白い大きな障子だろう。その白と庭園の緑との調和は美しい。明障子(あかりしょうじ)といい、その名の通り光を通すらしい。これが柔らかな陰影を醸し出す。
この簡素な美しさを西洋人は思いつかない。日本独特の美なので外国人を引き付けるのだろう。建築家のブルーノ・タウトが絶賛したのも当然である。
タウトといえば、桂離宮を賞賛するために日光東照宮を強く非難した。タウトには東照宮の過剰装飾が美に見えなかった。けばけばしさに耐えられなかった。
私は栃木県に住んでいる。25年前に日光東照宮が世界文化遺産に選ばれた時、そこの幹部の講演を聞いた。彼が東照宮を酷評したタウトを批判したのが忘れられない。
どちらかと言えば、私も東照宮より桂離宮の美に惹かれる方だが、それでも日本庭園に感動を今一つ覚えない。浜離宮や兼六園など幾つか見たが、駄目だった。
書院の障子は閉まったままで内部を覗くことが出来ないのは残念だった。雨のためか障子は閉まったままである。
最後は書院のそばにある月波楼(がっぱろう)である。池辺の高みにある茶亭である。
(月波楼[がっぱろう])
開放的な造りなので池が目に入る。前方に松琴亭が望める。
ここから参観者休所に戻り、参観は終了した。
感想は、ここの魅力が増すのは新緑や紅葉の季節だと思われた。晴天なら感動間違いなしだろう。
桜が少ないことには失望した。桜を愛でることが今回の楽しみなので余計だった。
雨にたたれるとやはり魅力は半減した。妙に疲れる。晴れた日なら違った感想を抱いただろう。
この後、京セラ美術館(京都市美術館)に向かう。阪急の桂駅から終点の京都河原町駅まで行き、地上に出、平安神宮方面に向かうバスに乗った。
京セラ美術館は大きい堅牢な建物である。この界隈は何度も往来したが、やけに目立つ。市でこの規模の館を建てるとはそれだけ芸術文化に力を注いでいるのだろう。
ただ、がっかり。
私は京都だから京都に関連した日本画の常設があるのではないかと思っていた。しかし違っていた。今回は企画展優先のために公開してないとのことである。
このような方法は以前京都国立博物館でも経験した。
館員が近くにある京都国立近代美術館に日本画や洋画は展示されていると教えてくれた。親切な方だった。
せっかく来たので2000円を払って「西洋絵画400年の旅ー珠玉の東京富士美術館コレクション」という企画展を覗いてみることにした。
ところが欺かれた。
ポスターには後ろ足で立った白馬にまたがるナポレオンの絵が貼られていた。有名なビッグサイズの絵である。
てっきりそれが展示されていうと思っていたら、原案の小さな絵だった。
失望した人が多いのではないだろうか。よく調べてから入館すればよかったと後悔した。
せめてものなぐさめは、19・20世紀の有名西洋画家の絵がそれなりにあったことと、撮影許可の絵が多かったことである。
(ルノワール)
(セザンヌ)
(マグリット)
そういう訳で京都国立近代美術館を訪れる。ただ元々訪れる予定でいた。
国立だが、市立の京セラ美術館より小さい。
しかしうれしいことに常設展(コレクション展)はなんと65歳以上無料である。運転免許証を携帯していてよかった。
おまけに撮影自由の作品多し。
数は期待していたより少なかったが、無料だからやむを得ない。安井曾太郎や竹内栖鳳などの絵が展示されてあった。
(安井曽太郎)
(浅井忠)
(竹内栖鳳)
(岸田劉生)
京セラ美術館に行かないでここだけにすればよかった。またまた後悔すると妻からたしなめられた。失敗も旅の楽しみとのこと。
今日の夕食は高級ファミレスの「ロイヤルホスト」。ステーキやらハンバーグやらデザートなどを食べる。親類からもらったギフト券で数回味わっているのだが、まだ無くならない。親類に感謝。
その後南草津のホテルに戻る。
[4日目:4月1日(水)]
今日は最終日。9時から修学院離宮を参観する。昨日の桂離宮同様オンラインで宮内庁に申し込み、許可された。
9時からなので朝食を素早く取って7時にチェックアウトをした。今にも雨が降りそうな空模様である。
今日も山科駅で東西線に乗り換え、三条京阪駅まで行く。そこから歩いて数分で着く京阪本線三条駅へ。
終点の出町柳駅で荷物をコインロッカーへ。
叡山電車に乗り換え、修学院駅で降りる。10分も掛からなかった。
修学院離宮まで歩いて約20分。途中離宮参観に行くらしい外国人カップルを見かける。
ここも宮内庁の管轄なので参観のチェックが厳しかった。目立たぬ所に皇宮警察の方が居り、目を光らせていた。女性だった。
今日も昨日同様雨が時々降った。
ここも屋外参観のみのコースで時間は約1時間。桂離宮より敷地が広いので時間がかかる。なおツアーガイドの方は男性である。
雨がぱらつき出したので貸出用傘を借りる。大きいので助かる。
下離宮、中離宮、上離宮の3つのエリアに分かれ、それぞれ道で結ばれ、それら全体で一つの庭園を形成している。雄大な回遊式日本庭園である。桂離宮と同じく江戸時代初期に皇室によって造営された。
初めに下離宮を訪れる。
(下離宮・御幸門[みゆきもん])
門を潜ると、最初の建物寿月観(じゅげつかん)を訪れる。
(下離宮・寿月観[じゅげつかん])
桂離宮同様書院造である。ここも上がれない。外から見るだけである。
背後の山々が借景になっており、空間の広さを演出している。このような規模の大きさは桂離宮ではお目にかかれなかった。
中離宮に向かう。
高台に客殿(きゃくでん)という建物がある。
(中離宮・客殿[きゃくでん])
白い障子は桂離宮の書院のそれよりはるかに小さく少ない。
(中離宮・客殿[きゃくでん])
奥に見える飾り棚は霞棚(かすみだな)と呼ばれ、有名である。
客殿の裏側に楽只軒(らくしけん)という建物がある。客殿と階段でつながれている。
(中離宮・楽只軒[らくしけん])
中離宮のエリアに広場があり、桜が咲いていた。桜の木は桂離宮より多いが、木々全体から見れば少ない。
上離宮に向かう。
浴龍池(よくりゅうち)という池が広がっている。この眺望は素晴らしい。
(上離宮・浴龍池[よくりゅうち])
池の中島に窮邃亭(きゅうすいてい)という建物が建っている。
(上離宮・窮邃亭[きゅうすいてい])
「窮邃」の扁額は後水尾上皇の扁額である。
中島ともう一つの島に千歳橋(ちとせばし)という屋根付きの橋が架かっている。金色の鳳凰がすごく目立つ。
(上離宮・千歳橋[ちとせばし])
浴龍池の西浜(にしはま)という池端に桜が咲いていた。晴天なら水面に映え、美しい風景を醸し出していただろう。
遠景の山の中腹部は紅葉谷(もみじだに)と呼ばれている。その名の通り、紅葉が美しいのだろう。日本庭園はどこでも紅葉と新緑の季節が見頃だが、この離宮の紅葉は有名らしい。以前京都で知り合った観光客がその魅力を語っていた。
だからその時期の抽選倍率はすごく高いそうだ。
ただ、紅葉にせよ新緑にせよその美しさを嘆賞するには晴天が前提条件である。
正直言うと、日本庭園にさほど感興が湧かない私は最後の頃飽きて来た。雨脚が強くなって来たことも関係している。
参観後、修学院駅に戻り出町柳駅へ。
帰りの新幹線は午後1時台なのでまだ時間がある。それゆえ京都大学に行くことにした。シンボルの百周年時計台が素晴らしく見えたのでこの目で確かめたかったのである。
歩いて行ったのだが、20分は掛っただろう。大学が近づくにつれ学生の姿が目に付く。まだ春休みではなかろうか。
この時計台の実物は写真よりはるかに美しい。改修されたためか、小雨にもかかわらず薄茶とベージュ色が鮮やかに見える。半円の形の窓も素晴らしい。重量感に満ち、風格のある建造物だ。
大学にはこのようなシンボルの建物が必要だ。伝統のある大学には一つくらいある。
時計台を背にして記念写真を撮る。私たち以外にも同世代の観光客らしい人たちが撮っていた。考えることは同じらしい。
京大を後にして鴨川まで出る。
川端通を出町柳駅方面に向かって歩く。
ここの桜並木は三条大橋から四条大橋までの川端通のそれより素晴らしい。河川敷が広く、枝がそこまで伸びている桜もある。
彼方に賀茂大橋が見える。
ベンチが置かれている。晴天の日、座って本を読んだり、茫然と川を眺めたり、もの思いにふけったり、弁当を食べたりしたら最高の気分だと思った。今日の小雨がくれぐれも残念。
こういう場所で青春が遅れる京都の大学生はうらやましい。
私は東京に憧れ、大学生活は東京でしか送れないと10代の頃思っていたが、70代になって歴史があり、文化の香気に包まれた京都で青春を過ごすのも悪くないと思うようになった。
今回の旅は前半は晴天だったが、後半は小雨模様だった。私は桜雨は好きでない。
何度も言うが、桜は晴天に限る。咲く期間が短いので、晴天で満開の日は2、3日もないのではなかろうか。
そして散っていく。その姿も美しい。
ゆえに古来から日本人は桜の姿に人生を重ねた。人生観や死生観を桜に見出した。無常の象徴になったといえよう。
五十代の頃、観桜に凝ったことがあった。桜を求め、車で南進し北上した。
しかし、古稀を過ぎると、以前ほど関心を抱かなくなった。
桜の姿も生命が横溢している満開がいっそう好きになり、散りゆく姿はあまり好きでなくなった。
これまで大病をしたことがないからそう思うのか。
しかしここまで来ると、病気になる可能性は必然と高くなる。その時、乱舞する花びらはどう目に映るのか。
こんなことを考えていたら出町柳駅に着いた。
コインロッカーから荷物を取り出し、京阪本線や阪急京都本線や地下鉄を継いでJR京都駅へ。
お土産を買った後、いつもの13時33分の「ひかり」に乗る。ガラガラなので満ち足りた気分になる。
東京駅には16時12分に着く。東北新幹線に乗り換えるのだが、那須塩原に停車する列車は17時16分発である。それまで待合室で時間をつぶす。
那須塩原駅で在来線に乗り換え西那須野駅へ。7時過ぎ着。帰りのパターンも行きと同じである。
京都より気温が低い中、家路を急いだ。
ーーー終 わ りーーー
※次回はアメリカ文学の思い出に戻り、ウィリアム・フォークナーについて語ります。
































































