思い出のフランス文学・ルソー・1971ー77 | じろやんの前向き老後生活

じろやんの前向き老後生活

 自分に影響を与えた文芸・音楽・映画・絵画を紹介したり、お遍路や旅の思い出を語ったり、身辺雑記を綴ったりします。

 今回からフランス文学について語ろう。

 最初、私が初めて読んだフランス文学は『赤と黒』だったのでその著者スタンダールを取り上げようと思ったが、19世紀以降の近代文学に大きな影響を及ぼしたジャン=ジャック・ルソーを語ることが先決だと考え直した。

 

         ジャン=ジャック・ルソー(1712~78)
 ルソーは17世紀の人で、スイスに生まれたが、フランスで活躍した。

 彼は啓蒙思想家及び哲学者として位置づけられるが、文学においてもすごい業績を残した。その代表作が『告白』である。

 私はこれを大学時代に読み感銘した。もう一つ遺作になったエッセー『孤独の散歩者の夢想』(以下、略して『夢想』)も続いて読み、これにも感動した。

 なお、彼は『新エロイーズ』という小説も書いた。なんと当時ベストセラーになり、17世紀のフランスで最も売れた本になった。

 ルソーは多芸多才の人で、音楽家でもあった。今でも童謡として有名な『むすんでひらいて』を作曲し、オペラも創作した。写譜や譜面の浄書で生計を立てていたこともある。

 さらに植物学の本も書いた。植物に詳しいことは『夢想』で読み取れる。

 このように様々な分野で活躍したが、私は、『告白』と『夢想』以外の作品は読了していない。たとえば、有名な『社会契約論』、『エミール』、『新エロイーズ』は途中で放り投げた。面白くなかった。『新エロイーズ』は書簡体の作品であるが、リアリズムを基本とする近代的小説と全く違い、ついて行けなかった。それに長過ぎた。『エミール』も同じ。

(今、手元にない)

(これも手元にない)

(これもない)

 『学問芸術論』は買ったが、結局読まなかった。

 ルソーは鋭敏な感受性の持ち主だった。時に理性より心情に重きを置いたふしがある。彼の影響を受けたドイツ観念論の哲学者とは全く異なった。だからこそ『告白』や『夢想』や『新エロイーズ』やオペラ作品を創作出来た。

 なお、『エミール』は教育書として発表されたが、構成は物語形式をとっている。

 『告白』と『夢想』は死後刊行されたが、それ以外の作品は生前発表された。いずれも反響を招き、彼の名声を高めた。

 『社会契約論』はやがてフランス革命の思想的バックボーンになった。

  指導者のロベスピエール(ジャコバン派)はルソーを崇拝した。

マクシミリアン・ロベスピエール

 ルソーの遺骸をパンテオンに移したくらいである。

   パンテオン(パリ。他にヴィクトル・ユーゴー、

エミール・ゾラ、キューリー夫妻などの偉人が埋葬されている)

 ナポレオンやキューバのカストロもルソーを愛読した。

(若い頃のナポレオン。彼は若い頃なけなしの金をはたいて『告白』を買った)

 思想家・哲学者にも影響を与えた。ヒューム、カント、フィヒテ、ヘーゲル、中江兆民、20世紀ではレヴィ=ストロースもいる。

 もちろん文学者にもルソーに傾倒した者がいる。ゲーテ、スタンダール、トルストイ、ツルゲーネフ、スタンダール、島崎藤村など枚挙にいとまがない。中でもスタンダールやトルストイはルソーに心酔した。

スタンダール(『赤と黒』が有名)

 ルソーは、今では多くの国の政治体制になっている民主主義の確立に貢献した歴史上の巨人である。彼の思想を把握したいなら上述した思想・哲学書の代表作を読まなくてはいけない。だが、私はその方面には関心がなかった。

 むしろ、ルソーという生身の人間に興味を持った。あれだけの業績を残したが、彼の実生活は波乱に富み、その性格は矛盾していた。それを記録したのが『告白』である。

 

 「告白」という言葉はキリストに自分の罪を告げることを意味する。懺悔であり、神の栄光の賞讃である。その代表がアウグスティヌスの『告白』(懺悔録)である。

アウグスティヌス(354~430)

 ところがルソーの『告白』は違う。神への懺悔ではなく、社会に対する自己弁解の書である。神でなく社会に対して行っているのだ。世間の誤解を解く目的もあったらしい。

 自分の心情を赤裸々に語ることによって、自我を掘り下げ、自我を解放しようとした。そのために自分の成長を描かざるをえなかった。結果として自叙伝になったといえよう。解説によれば、ルソーという人間の研究資料として後世に残したい願望もあったようだ。

 これまでも有名人の自伝はあったが、本書のような自己省察の作品はなかった。「告白」である以上、事実しか語られてないと思ったらそれは間違いらしい。専門家に言わせるとフィクションも含まれているようだ。小説的要素が満載なのである。

ただ、彼は『告白』を文学作品として書こうという気持ちがなかった。反対に『新エロイーズ』は新しい文学作品を書く意気込みで書かれた。

 また、執筆当時彼が精神疾患をわずらっていたこともフィクションの多さに関係しているかもしれない。

 結果として本作は文学作品としての完成度が高かったため、後世の文学者に影響を及ぼし、文学史における金字塔になった。それに比し、当時一斉を風靡した『新エローイズ』は読まれなくなった。

 

 私が本書を開いたのは高校2年の時である。家でとっていた河出書房の世界名作文学全集シリーズに入っていた。

(こちらは『告白録』と訳されている。今、手元にない)

 記憶は定かでないが、年上の貴婦人と主人公が話している挿絵があった。女性は胸元の開いた服装をしている。それだけで、性に目覚めていた私は、性描写があるのではないかと期待を込めた。解説にも女性と主人公が恋愛関係にあったことが記されている。しかしどこのページにもそれらしき文章はない。18世紀フランスの文学作品に現代ポルノで見られる性描写がある訳がないのだが、にきび面の私は必死になってめくっていた。今思うと、思春期の下心がおかしくて仕方がない。

 一応最初の数ページは読んだが、内容が難しそうなので諦めた。

 

 それから数年後の71年。大学1年の秋、私は渋谷センター街にある「三平食堂」で皿洗いのバイトをしていた。

(三平食堂は『三平酒寮』と名を代えたが、今でも同じ場所で影響している。これは驚くべきことだ)

 皿洗いの場所は1Fにあった。そばに通用口のドアがあった。そのドアが開き、突然大学で同級のSM君が現れた。彼も私と同じく読書好きで、大学の生協食堂、喫茶店、焼き鳥屋、私の下宿で口角泡を飛ばして本の話をしていた。私たちの大学が東横線にあるので私たちの遊び場は渋谷であり、彼に私のバイト先を教えておいた。

「ルソーの『告白』を読んだよ。感動した」

 開口一番こう言った。興奮していた。バイトが終わると、近くの喫茶店で彼から『告白』の面白さを聞かされた。

 私は刺激を受けた。ただ、読みたい本がたくさんある。

 私が読んだのは3年後の昭和49年(1979)10月24日。

(日付を記しておいてよかった)

 読み終えたのは、同年の11月23日。3年生(1年生の時に留年したので)の時である。

(曜日まで書いてある)

   3冊の大著を読み終えるのに約1か月かかった。

  読んでいる最中、何度も心を揺さぶられた。久々に充実した読書経験をした。

 この本は誕生した1712年から65年(53歳)までの記録である。彼は13年後の78年に66歳で亡くなった。

 この本からうかがえたことは、彼の特異な性格である。感情の起伏が大きく、喜怒哀楽が激しい。自惚れが強く、自信過剰でもある。

 彼の人生は波乱万丈だった。スイスの時計職人の子として生まれたが、生後わずかのうちに母を失った。これがマザー・コンプレックスの原因になった。10代で知りあったバランス夫人に母を求めたのは当然である。

 正規の教育を受けてないが、読書を好み、無類の勉強家になり、独学で教養を身に着けた。

 行動力に富み、前に進むので、多くの人に出会った縁で人生が開かれた。そのうえ容貌はハンサムである。若い頃女性にもてた。多くの人に慕われたが、反面嫌われた。

 幼少期から青年期までの放浪時代の回想は、著者が「幸福な青年時代」とみなすように、内容が明るく面白い。童貞を失った話もさりげなく語られる。

(「上」には1712年~41年までのこと、すなわち青年時代はここに記されている)

 三十歳になると、新しい棋譜法を考案した彼は一儲けしようとパリに出る。当時のパリの学問・芸術文化は、百科全書派が勃興し、啓蒙的な知識人が現れ、活気を呈していた。

 彼らとの交流を通して、ルソーは絶対王政や宗教的権威に対して疑問を抱くようになった。彼は共和制のスイス生まれである。市民精神をすでに身に着けている。

 そこで『学問芸術論』を著わし、アカデミーの懸賞論文に応募すると、見事入選した。多くの人に衝撃を与え、華々しい論壇デビューになった。

 続いて大著『人間不平等起源論』を発表した。これはその内容から前作以上の話題になった。支配階級の人々は恐怖を抱いたらしい。ヴォルテールなどの進歩的知識人から反発された。「世紀の奇書」と評されたくらいである。

 彼は有名人になり、さらに小説『新エロイーズ』を発表する、押しも押されぬ知識人になった。

(「中」には1741年から57年までのことが記されている)

 その後彼は、『社会契約論』と『エミール』を立て続けに発表した。どちらも激しい賛否両論を招いた。しかし後者で展開した宗教批判によって、当局から危険人物と見なされ、迫害を受け、イギリスに亡命せざるを得なくなった。

(「下」は1758年から65年までのこと。亡命の件はここし記されている)

 その間に私生活では、色々な女性と付き合った。官能や性的快楽の経験を堂々と述べているが、あの当時にしてはかなり進歩的だと思われる。

 複雑な性格の一面も忌憚なく披歴した。盗癖、露出癖、マゾヒズム的傾向、内縁の女性(後に結婚)との間にこしらえた5人の子ども全員を孤児院に入れたこと。ただ、孤児院への件については反省している。

 以上が53歳までの自伝の内容だが、後半は露悪的に語られているので読んでいて疲れる。他人への毀誉褒貶が激しい。内容に虚飾があると思われる部分が多い。感性が鋭敏な上に、執筆時は精神疾患を患っている。被害妄想としか思えない。

 それにもかかわらず、様々な人々と出会い、多くの体験を通して新たな自己を形成していった流れはすばらしい。

 私がこの本の中で最も好きだったのは、彼が自然について語る所である。

「大気はさわやかだが、つめたくはない。すでに沈んだ太陽は空に赤いもやをのこし、その繁栄が水面をバラ色にそめていた。段々になった庭の木々に夜鶯がとまって鳴きかわしている。感覚も心もそうした者の楽しみにゆだね、一種の恍惚のうちに散歩していた。・・・眼ひらくと、水と緑と素晴らしい景色・・・」(『上』p241)

 彼は何カ所かでこのような美しい自然描写を綴っている。

 彼の前まで自然をこのように描いた作家はいなかった。自然は人と対峙するものだった。しかし彼は自然との共生を堂々と歌った。山々を散策するピクニックやハイキングはこれ以降生まれたという。ルソーのお陰である。

 自然への回帰を説くようになったのは、パリの社交界に対する落胆や、パリという大都市の醜悪さに対す絶望があったからだろう。

 彼が王政やキリスト教に背を向け、新しい社会の構築を夢見た遠因はここにも見られる。

 

 その他にも私の心にしみた表現が多くあった。それらには線を引いていた。幾つか紹介しよう。

「このうえなく女性がまったく意に介していない男でも、彼女の肉体を自由にしうるときになにもせずにいることは、彼女にたいするもっとも許しがたい罪となるのだ」(『上』p378)

「わたしの才能はペン先にではなく心の中にあるのだ。高貴で誇りにみちた考え方からのみ才能は生まれ、またそれだけが才能を養うのに足りるのである」(『中』p195)

「友情の真の値うちは、人が相手のうちに呼びおこす友情のうちによりも、人がみずから感ずる友情のうちにこそある」(『下』p201)

 

 続いて『孤独な散歩者の夢想』に移る。ルソーの詩人的感性に基づく文学的能力が完成したのが本作である。これは彼の遺作になった。

 まず題名が素晴らしい。原題は「LES REVERRIES DU ROMNENUR SOLITATRE」という。題名は原題の直訳である。何とロマンチックな題だろう。訳者(今野一雄氏)に感謝したい。

 私自身小さい頃から空想を好む人間だったので、この題名がまず気に入った。「夢想」という響きは快い。

 彼は本書で『告白』で掘り下げた自然回帰の思想をさらに拡大させた。自然描写も『告白』より多い。

 十章からなるが、とりわけ「第五の散歩」の章は美しい。ピエール湖における自然観照の文章は特筆に値する。フランスにおいても名文とみなされているらしい。その一例を紹介する。

「あるときはいちばん景色のいい森閑とした片すみにすわって思いのままに夢想にふけり、あるいは高台や丘の上へのぼって、湖水と湖畔の雄大な、心を奪われるばかりのながめに目をはしらせる。湖畔の一方に近くの山々がそびえ立ち、他方はひらけて豊沃な平野となり、そのながめは遠く平原をかぎる薄青い山々にまでひろがっていく」(第五の散歩:p84~85)

 彼は情景描写を文学的に表現しようとしたのでないのだろうが、結果としてこのような美しい名文を書き表すことが出来た。その背景には自然との共生を理想とした彼の思いがある。自然の中に身をゆだねると生命の復活を感じたのだろう。エミールで「自然に帰れ」と提案したくらいである。その感性がこのような美しい表現をもたらした。

 本質的に彼は詩人なのだろうる。思想書をたくさん書いたが、ドイツ観念論のような分かりにくい内容ではない。感性で書いたと思われる部分がある。

 彼の自然描写や自然観照は後世の文学者に影響を与えたことは言うまでもない。私は、ゲーテ、スタンダール、トルストイ、ツルゲーネフ、フローベール、アンドレ・ジッドなどの作品に勝手ながらルソーの影響を見る。

(若い頃のトルストイ。彼はルソーを愛読し、ルソーの自然観を共有した)

 なお、ルソーが植物に詳しいこともこの本で知った。

 また、私は、彼の思想が日本の美意識や無常観と似ていると思った。

 日本文学は、千年以上にわたって、自然を描写し、自然への共感、自然の前における人間の小ささ、時のうつろいなどを謳って来た。

 我々は、古今和歌集、源氏物語、枕草子、西行の和歌、方丈記、徒然草、芭蕉の俳句、正岡子規、島崎藤村、国木田独歩、志賀直哉などにそれを見る。

 近代文学では志賀直哉の暗夜行路の一節が有名である。大山から見た中の海の夜明けの自然描写と主人公の達した境地である。これは完全に夢想に見られるルソーの境地と一致する。

 この点でルソーは東洋的ともいえようか。いや、グローバルと言った方が正確かもしれない。

 ここで私が感動した表現を幾つか紹介する。

「逆境はたしかに偉大な教師ではあるが、その授業料は高価で、その授業から得られる利益はしばしばそれにかかった費用にも及ばない」(第三の散歩:p35)

「人間の自由というものはその欲するところを行うころにあるなど考えたことは決してない。それは欲しないことは決して行わないことにあると考えていたし、それこそわたしがもとめてやまなかった自由、しばしばまもりとおした自由なのであり」(第六の散歩:p106)

「わたしがこのうえなく快い思いに沈み、夢見るのは、自分というものを忘れたときなのだ。いわば万物の体系のなかに溶けこみ、自然全体と同化するとき、わたしは言い表しがたい陶酔を感じ、恍惚を覚える」(第七の散歩:p115)

 ルソーは『夢想』でようやく自然との同化を果たした。波乱万丈の人生を送った彼は最後になって幸福の境地に達したのではないだろうか。

 これ以来本作は私の愛読書になった。卒業後私はフリーターになった。その頃先行きが見えなくなりよく苛立った。そんな時本書をひも解き、いやされた。

 

 今回この記事を書くにあたり、第三の散歩の前書きに「わたしはたえず学びつつ年老いていく」という言葉があるのに気づいた。

 私はこの言葉通りの人生を現在送っているのではないか。この「学びつつ」は学問だけを指しているのではない。そう解釈するなら、多くのことに関心を持ち、有益なものは吸収しようと思って生きている現在の生き方は間違いではない。知らず知らずのうちに彼の影響を受けていたのだ。私は彼に感謝したくなった。

 また、私はこの作品に啓発されて、散歩するのが好きになった。散歩は金がかからない。運動不足を解消できるメリットもある。金がない私には最高の娯楽ではないか。下宿近くの碑文谷公園によく出掛けた。

(碑文谷公園。目黒区)

 その後、王子に引っ越し、卒業後のフリーター時代の1年目まで過ごした。その時は飛鳥山公園に行った。

(飛鳥山公園は桜の名所。王寺駅のそば)

 2年目は帰郷したので、故郷の烏ヶ森公園をよく散歩した。

(烏ヶ森公園。丘の上に神社がある)

 ただし、ルソーのように夢想ではなく妄想にふけることが多かった。心のゆとりがなかったからだろうか。

 社会人になると仕事が忙しくなり、散歩から遠ざかった。家庭を持つとますます時間的余裕がなく全くしなくなった。

 散歩を再開したのは、50歳を過ぎてからである。子どもが大きくなり、ゆとりが生じたこと、デスクワークが増え運動不足になったためである。

 そうして現在を迎えたのだが、現在の散歩が一番楽しい。天気のいい日には時々木陰のベンチに腰掛けて夢想する。完全に自分の世界に浸り、思わずにやりと笑うことがある。追憶にふけることもしばしばある。妄想は少なくなったか。

(新緑の季節の散歩は最高だ)

 これまた今頃になって気づいたのだが、夢想するには健康でなければならない。不健康だと妄想の方が多い。

 今は毎日30分ほど散歩する。時間は早朝、午前、夕暮れ時。その日の気分によって変える。早朝は市街地を歩くが、それ以外は近所の運動公園に赴く。時には車で近間のいろいろな場所を訪れ、車を停め、その界隈を歩くこともある。

 散歩の喜び、夢想の楽しみ、自然との共生。これを教えてくれたルソーに感謝しよう。

 

             ――― 終 りーーー

 

※次回は、『エセー』で名を残した16世紀のモラリスト、モンテーニュについて語ります。