私は大学では文学部に進んだ。半世紀前の文学部ではフランス文学(以後、仏文学)が人気があった。私が通った大学では2年生から専門の学科に進むことになっていたが、仏文学は人気があったので成績が優秀でないと入れなかった。

 仏文学専攻ばかりでなく文学青年の間でも、バルザックやランボーやサルトルの名は知られていたが、 モンテーニュを知っている人は少なかったような気がする。その著書『エセー』を読んだ人もそんなにいないかもしれない。

 翻って現代はどうだろう。もっと少ないのではないだろうか。

 彼の本名はミシェル・ド・モンテーニュといい、16世紀に生きた人である。

 

(ミシェル・ド・モンテーニュ)

 地方貴族として生まれ、生前法官やボルドー市長を務めた。元々思索や文筆が好きだったので一時引退した時や仕事の傍ら思索の跡を書き綴った。それが『エセー』である。死ぬまで加筆訂正を行った。かなりの量である。

 死後、作品は読み継がれ、後世の文人や思想家に影響を与えた。デカルト、パスカル、ルソー、ニーチェなどたくさん挙げられる。

 

 『エセー』は自分の思想を独創的に体系的に論述したものではない。ギリシャ・ローマの哲学者や思想家たちから学んだ教養に自分の考えを加え、断章やアフォリズムの形式で表現した作品である。このような教養人をモラリストという。元々道徳家という意味だが、独自に発展した。

 いわばモンテーニュはモラリストの元祖である。後世の有名人では、ラ・ロシュフコーがいる。

 私は文学青年であったが、御多分に漏れず哲学や政治思想や流行思想にも興味を持った。

 それらはほとんどが難解である。とりわけドイツ観念論の哲学はお手上げだった。

そんな時にモンテーニュの『エセー』を知った。断章や箴言の形式で非連続的に論じられているため私でも熟読出来ると思われた。

 岩波文庫で出されているので買って読んでみた所、たちまち惹かれた。1974年の頃である。

 6冊もあり、中には辟易する部分も結構あったが、数か月かかって読了した。

 私はこの本で知的興奮を味わった。似たようなことは、エッカーマンの『ゲーテとの対話』、プラトンの『ソクラテスの弁明』、ニーチェの『この人を見よ』でも経験した。

 『ゲーテとの対話』も岩波文庫で3冊ある。このような重厚長大な作品を読み終えると「読書」したという確固とした充実感に襲われ、目の前の景色が変わって見える。

 こういう経験はどちらかといえば小説に多かった。ドストエフスキーの『罪と罰』と『カラマーゾフの兄弟』、トルストイの『戦争と平和』、エミリーブロンテの『嵐が丘』、ヘミングウエイの『誰がために鐘は鳴る』などが挙げられよう。小説ではないが、ルソーの自叙伝の『告白』も含まれる。いずれも文庫本で数冊以上、単行本ではかなり分厚い。

 

 モンテーニュは父の教育方針で幼少の頃からラテン語教育を施された。ルネサンス(文芸復興)やユマニスム(人文主義)が発展した時代なのでギリシャ・ローマの古典文芸を学んだ。

 大学では法律を学び、卒業後法官(裁判官)になった。彼が生きた時代は新旧キリスト教の対立が激しく、彼自身は旧教の立場であるが、法官として調停に努めた。

 ボルドーの高等法院に勤めていた時、あるユマニスト(人文主義者)と親友になったが、急死したため膨大な著書を譲り受けた。

 37歳の時、法官を辞して父が所有していた城館モンテーニュ城に引きこもり、念願だった『エセー』の執筆に取り掛かった。

(モンテーニュ城)

 しかし51歳の時に国王の命令でボルドー市長に任命された。この頃から新旧キリスト教徒の間で始まった宗教戦争(ユグノー戦争)が激しくなり、4年間務めた任期中、両勢力の融和に力を尽くした。任期の終わり頃からはペストが流行したので他所に避難した。

 ペストでボルドー市民の三分の一が死んだと言われている。彼は死と隣り合わせで生きて来た。

 その後、帰郷し、逝去するまでの5年間城館に籠り、『エセー』の加筆訂正に精魂を込めた。この間国王から顧問を要請されたが、断った。

 

 『エセー』から読み取れる特色をみてみよう。

 彼の思想の土台はルネサンス文化とユマニスムである。具体的に言えば、ギリシャ・ローマの古典文芸の影響である。いたる所でソクラテス、プラトン、アリストテレス、セネカを始めとした哲学者やエラスムスなどのユマニストの言葉を引用し、自分の判断力の拠り所にしている。ただ、延々と紹介している場合もあり、私は度々辟易した。

(ギリシャの哲学者たち)

(セネカ:古代ローマ)

(エラスムス:15~16世紀:オランダの人文主義者)

 モンテーニュの数々の名言は彼らの借用と言ってよい。それだけ彼らを人生の教師としてとらえていた。城館の天井に古代の名言を書き記したくらいである。

 反対に聖書からの引用は全くない。執筆の初期の頃はキリスト教神学の影響も見られたが、ユグノー戦争が始まるとなくなり、やがて懐疑論的立場さえ見られるようになった。新旧キリスト教の対立に苦しんだ実生活が関係していると思われる。

(ユグノー戦争)

 そのため『エセー』は出版された後、聖職者の一部から「無神論の書」と見なされた。

 

 今回この記事を執筆するに当たり、本書を読み返し、解説を読んだり、参考文献に当たったりした。そこで分かったことを箇条書きにまとめてみる。

・人間は不安定な存在ととらえる。絶対化しない。懐疑主義に近い。パスカルと似ているが、パスカルは死を肯定的に考える。そこが違う。

(パスカル:17世紀:フランスの哲学者)

・人間を相対的にとらえる。人間には多面性があり、一つの感情にとらわれないようにする。悲しみの中にこっけいさもある。

・社会を不確かな、流動的な存在として見る。相対的に見なければいけない。これは東洋の無常観に通じるといえよう。

・社会は人を表面的にしか見ない。だからそんな声に流されないように自分を確立する必要がある。内面を見つめ規範をつくらなければいけない。

・自己省察を行い、自分をありのままに見る。過大評価しない。弱さを肯定し、謙遜が大切。力を抜いて生きる。エラスムスの影響がみられる。彼の思想の到達点である。

 ちなみに彼は自分を怠惰な平凡な人間として見た。 

・禁欲は否定する。肉体的快楽を肯定する。肉体と精神の和合の大切さを主張する。

・仕事を絶対化しない。仕事と休息を使い分け、期待する役割を演じればいいと割り切る。仕事の成果より自分の精神の自由を守ることが大切と考える。

・信じているもの、とりわけ宗教を絶対化しない。

・宗教の現世利益を求める考えには同意しない。 

・現世と来世の因果応報の関係を認めない。

・死を肯定的にとらえない。そこがパスカルと違う。すなわち死ぬ時まで死を考えない。

・現実を重視し、現在を楽しむ。 

・本当の幸せとは現世的成功ではない。学問を修めることでもない。知識を得ることでもない。

・本当の幸せとは自然を大切にしてあるがままに生きること。

 そのためには以下が大切。分相応の考え方やバランス感覚。無知と単純の肯定。自然に対する謙遜。ただし難しい。 

・自然と神を同一視している。これはアリストテレスの影響らしいが、ストア派キリスト教神学から見ると異端とされた。

 この考え方はスピノザの汎神論につながるか。

(スピノザ:17世紀:オランダの哲学者) 

・人間関係はべたべたしない。割り切る。荘子の「君子の交わりは水の如し」と同じである。
・読書する場合、難解な箇所についてあまり思考の時間をかけない。判断力が鈍るからである。読み飛ばしたり、別な本に移ることも時には必要。楽しくなくてはいけない。人間関係と同じように本に向かい合う。

・思索する場合、しつこく考えない。余計に分からなくなる。このことからモンテーニュは自らを独創的な思想家と見てないことが分かる。小林秀雄が自分は作曲家より演奏家に近いと言ったのと同じである。

 

 これらの特長を私なりにまとめると、

1 絶対化しない

2 多面的に見る

3 あるがままが大切

4 現実を重視

 以上のようになる。

 ということは、モンテーニュはプラグマティストに近い。現代人に相通ずるスタンスである。

 これらは、断章・箴言・金言・アフォリズム・警句の形で語られ、満載されている。一般人でも分かりやすいので、新聞や雑誌で紹介されたり、名言集として販売されるのは当然である。

 

 さて、次に当時の私が感心した言葉を列挙する。その箇所には傍線を引き、しおりにページ数を記しておいた。

(一)より

 ・作者の中には起こった出来事を述べるのを目的とする者がいる。私の目的は、もしそこに到達できるならば、起こりうる出来事について語ることである→過去より未来

・哲学を子どもたちに近寄りにくいもの、しかめっ面の、眉をよせた恐ろしい顔つきに描いて見せるのは非常な誤り

・子どもたちを、父親の能力によってでなく、子供たち自身の心の能力に応じて職につけねばならぬ」というプラトンの教訓に従う

・事柄に言葉を合わせるのでなく、言葉に合った事柄を探し求めて事柄からはずれてゆく愚か者がいる

(二)より

・心の患いを取り払うのは理性と知恵であって、広々とした海を見晴らす場所ではない

・なるほど書物は楽しいものである。けれども、もしもそれと付き合うことで、しまいに我々のもっとも大事な財産である陽気さと健康を失うことになるなら、そんなものとは手を切ろう

(五)より

・政党で公正な意図はすべて、もともと平静で穏健なものである。そうでなければ扇動的で不法なものになり下がる

・人を裏切る弱な行為を勇気と呼んではならない。人々は弱と暴力に向かう傾向を熱意と呼んでいる。彼らを駆り立てるものは主義ではなく、利益である。

・私は人に話すなと頼まれた秘密は固く隠しておくが、そういうことははじめからできるだけ聞かないようにしている。

・国王のため、大儀のため、法律のために、すべてが許されるものではないことを、躊躇なく認めようではないか。なぜなら、国家に対する義務はかならずしもあらゆる個人の義務に優先するものではない。むしろ、それぞれの市民が親に孝行をつくすことが国家自身にとって大事なことである。

・ある好意を、有利であるが故に、正しくうるわしいものと論ずるのは間違いである。また、有利でさえあれば各人が行うべきもの、各人にとって正しいものと結論するのは間違いである

・他の人々は精神を高くかかげようとつとめるが、私は低く横たえようとつとめる。精神は拡げるときにのみ悪くなる

・私は若い頃には人に見せびらかすために勉強した。その後は少し賢くなるために勉強した。いまは楽しみのために勉強している。

・過ぎ去った生活を楽しめることは人生を二度生きることだ

・われわれの先生方が、精神の異常な飛躍の原因を求めて、これを神がかりの有頂天や、恋愛や、苛烈な戦争や、市や、酒のせいにする以外に、その幾分かを健康のせいにしないのは間違っている。

・徳は愉快な楽しい特質である

・不正には非礼を云々する資格がない

・詩はくすぐる指をもっている

・ある人がプラトンに「皆があなたの悪口を言っている」と言うと、「言わせておきなさい。私のほうで彼らの言葉をひるがえさせるように生きよう」と答えた。

・言葉の品位を高め、内容を増すものは生気溌溂たる想像である。

・フランスの多くの作家は大胆で傲慢なために、普通の道をたどることを馬鹿にするが、創意と判断に掛けるために失敗している。そこにはあわれな、奇をてらう風と、白けきった、ばかげた偽装があるだけで、主題を高めるどころか、かえって殺している。彼らは新奇さに酔うことができさえすれば、効果を問題しない。

・恋とは結局、望ましいと思う人を享楽しようとする渇きにほかならない。また、ウェヌスとは自分の器官にたまったものを吐き出す快楽にほかならず、過度と不節制によって不徳となる

 

 私は読み終わった時、気持ちが楽になったのを覚えている。当時、オイルショックの影響で希望する職種への就職が困難になった。この先どういう方面に進めばいいのだろう。深刻に悲観的に考えることが多かったが、肩の荷が下りたような気がした。

 社会人になってからもひも解くことがあったが、いつしかほこりがかぶるようになった。今回何十年振りに開いてみた。心を打つ言葉をいくつか見い出し、改めてこの本に魅力を感じた。

 

 最後にモンテーニュから影響を受けた人物に触れる。

 一人は、前述したフランソワ・ド・ラ・ロシュフコーである。17世紀のフランスの貴族で、モラリストである。

(フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー)

 彼の代表作である『箴言と考察』を私は『エセー』に引き続いて読んだ。

 本作は、前半に641もの箴言が満載され、後半に幾つかのテーマについての考察が載っている。

 箴言は著者が考案したのだろう。先人の思想家の言葉の紹介がなく、箴言が短めなので『エセー』より読みやすい。これだけの箴言を考案したのだから、彼は人間をよく観察している。もちろん読書家で、思索家で、創造性がないと思い付かない。もう一つ。皮肉屋なのかもしれない。アイロニーが効き、エスプリに富んでいる。

 『エセー』と同じくカトリック教会から無神論の書として批判された。

 私はこれを読んでいる時、芥川龍之介を思い出した。

(芥川龍之介)

 芥川の作品『侏儒の言葉』は本書を真似ている。アフォリズムの形式を借用したのだろう。

 私は、皮肉屋は好きでない。こういう人は世の中にいる。頭はいいのだろう。カミソリのように切れる。しかし、頭でっかちだ。観察されているような感じがし、付き合うには骨が折れる。

 その中から印象に残った言葉を幾つか紹介しよう。特に胸を打った言葉には◎を付けた。

・71 二人の間に恋がなくなったとき、愛し愛された昔をはずかしく思わない人はほとんどない。

・84 友人に不信をいだくことは、友人に欺かれるよりもっと恥ずべきことなのだ。

・147 人にほめられて、くすぐったい思いをするよりも、人にけなされて、それを薬にしようと思うほど賢明な人は、世に甚だ稀である。

・174 将来あるいは起こるかもしれない不幸をあらかじめ慮るよりは、目前の不幸を堪え忍ぶことに心を用いるほうが、より得策である。

・216 その極に達した勇気とは、みんなが見ている前でできそうなことを、誰も見ていないところで、してのけることだ。

・218 偽善は、悪徳が美徳に向かってささげる讃辞である。

・229 高慢は債務を負うことを欲しない。そして、自負心は支払うことを欲しない。

・243 はじめから不可能な事は、いくらもない。われわれには、事を成就させるための励みが、手段以上に欠けているのだ。

・265 けちな量見が、頑固な頭をつくる。そしてわれわれは、自分の視野の外にあるものを、たやすくは信じない。 

 

 もう一人は堀田善衛である。

(堀田善衛:富山県出身)

 彼は戦後文学の作家である。彼の作品は、芥川賞を受賞した『広場の孤独』しか読んでない。

 戦後政治に翻弄される知識人の孤独がよく描かれていたことを覚えている。ただ、それほど食指を動かされなかった。

 その彼が晩年、モンテーニュにひかれ、『ミシェル 城館の人』という伝記を書いた。三部作なのでかなり長い。

 モンテーニュを取り上げた日本の小説家は彼しかいない。かなり影響を受けたと思われる。

 堀田はその前に『方丈記私記』という作品も書いている。鴨長明の『方丈記』について彼の解釈を述べている。

 私は数年前『方丈記』を読み、心を動かされた。六十代の後半を過ぎたからこそ読めたのだと思う。短いこともある。

 『エセー』と『方丈記』に共通する箇所がある。それは無常観である。その色合いは後者の方が濃厚であるが、キリスト教社会で無常観に通じる思想を述べることは異端視される。

 モンテーニュと鴨長明は、人間同士が殺戮し合う戦乱の時代に生きた。当然人間に絶望した。しかしそれでも生きなければいけない。だから著作を残した。

 堀田も日中戦争・太平洋戦争に二十代を奪われた。知識人であったからこそ戦争に幻滅した。彼がモンテーニュと鴨長明に行き着くのは十分分かる。ただ、他の作家はこの二人を書かなかった。堀田だけである。彼には、ナポレオン戦争に苦しんだ画家ゴヤを描いた伝記もある。

 アニメーターの宮崎駿がこの堀田を尊敬していた。その記事を雑誌で読んだ時、堀田の理想は引き継がれていると思い、うれしい気がした。というのは堀田の作品は現在読まれてないと思われるからである。

 作家のほとんどが、死ぬと忘れ去られる。だが、その数は少ないが、読者の心に生き続けることも事実だ。

 堀田善衛が再び注目されることを願う。

 

          ――― 終 り ―――

 

※次回は『赤と黒』で有名なスタンダールを取り上げます。