思い出のドイツ文学2・ヘッセ・1971ー77 | じろやんの前向き老後生活

じろやんの前向き老後生活

 自分に影響を与えた文芸・音楽・映画・絵画を紹介したり、お遍路や旅の思い出を語ったり、身辺雑記を綴ったりします。

 ヘルマン・ヘッセは私を世界文学に誘ってくれた恩人ともいうべき作家である。

 今まで何度も述べたが、私は中学時代におかしくなった。今思えば、思春期という激しく揺れ動く時期を乗り切れなかったのだろう。今の時代なら不登校になっただろう。

 話は脱線するが、半世紀以上も前の60年代、学校が嫌いになった生徒はどうしたのか。田舎ではほとんどの家で自分の部屋がなかったので、またあったとしても密閉出来る部屋ではなかったので、家に引きこもることが出来なかった。それで林に隠れたのである。林なら見つかりにくい。それは「山学校」と呼ばれていた。

 山学校に行く児童生徒を先生や同級生と探しに行ったことがある。ただ、毎年そのような児童生徒は現れなかった。記憶している限り、小中学校共に1回ずつである。

 私は中2と中3の時、学校に適応出来なかったが、山学校には行かなかった。無理やり登校した。ふてくされた様子が出ていたのだろう。先生から叱られ、同級生から腫物扱いされた。

 こんな私を救ってくれたのが、ヘッセの『車輪の下』である。

   このことについては『ヘルマン・ヘッセ・私の好きな作家4』で詳述したので繰り返さない。彼も神学校で不適応になり、中退し、自殺未遂をした。だからこの作品を仕上げ、世界中の悩める少年少女を救ったのである。

 私は高校生になると、彼の『郷愁(ピーター・カーメンチント)』を読んだ。『車輪の下』がネガティブな意味で感動した本に対し、『郷愁』はポジティブな意味で感銘した。薫風のような爽やかさに満ちたこの本で私は生きる喜びに目覚め、何度もひも解いた。

 

 大学生になると、自分の世界が広がり出した。東京は知識の宝庫であり、大学生活という自由時間に恵まれた。暇さえあれば、読書にふけった。古今東西の作家たちを読むにつれて、ヘッセは読まなくなった。ヘッセから脱皮して行ったと言った方が適切かもしれない。

 それでも『郷愁』だけは時々開いた。

   ヘッセの作品は元々リリシズムとロマンチシズムに基づいている。私自身がロマンチストなので、他の作家たちに飽きると、『郷愁』に帰って行ったのである。言わば、『郷愁』は原点回帰の作品なのである。

 したがって私と彼を結びつける糸は切れることがなかった。その結果、再び彼を読む時が生じた。

 それが次に挙げる作品群である。いずれも高校時代に一度読んだが、面白かったとは言えなかった。すなわち心が揺さぶられなかった。

 まず『青春は美わし』である。

 この作品は失恋小説である。主人公は久しぶりに帰省し、夏を過ごした。そこへ妹が親友を連れて来た。主人公は彼女に淡い恋心を抱き、最後に告白したが、断られるというどの若者にもありそうな話である。

 私にもあったのである。全く本作の展開とほぼ同じであるが、告白はしてない。感情の交流がないまま別れた。本作と同じく夏の花火のように一瞬にして終わった。

 この作が素晴らしいのは、失恋を一つの思い出として胸に秘し、足を踏み出す点である。ゲーテが唱えた「諦念」の態度で対処しているからである。本作は高校時代にも読んだが、それほど感動しなかった。似たような経験をした大学時代にインパクトを覚えた。

 

  次は『春の嵐(ゲルトルート)』である。

   ゲルトルートとは主人公のクーンが愛した女性の名である。彼は若い時不慮の事故で障害者になった。彼は作曲家だが、真摯で一途な性格ある。ゲルトルートは彼の愛を拒み、彼と性格的に違う情熱的な男性と結婚したが、うまく行かない。彼女と主人公の苦しみが克明に描かれ、読んでいる私の方もつらくなった。

 

 これら3作は長い作家人生の前半の作品である。この時期の作品は、リリシズムとロマンチシズムに満ち、青春回顧、漂泊への憧れ、自然回帰、郷愁が主題である。

 また、彼が描く女性たちはしっかり者が多い。上記3作の女性たちも然りである。主人公よりしっかりしているくらいだ。ここに彼の女性観が現れていると思う。ヘッセは、いい加減な、性的な女性を好まない。愛した女性に尊敬の念を抱いている。あの時代にしては珍しいフェミニストである。ストイックで道徳的でもある。

 

 3番目は『デミアン』である。

   この作品はエポック・メーキングになった重要な作品である。これ以降、作風が変わって来る。リリシズムとロマンチシズムから離れ、文明批評的な内容になる。後期のさきがけになったのが本作である。

 シンクレールという主人公とその友デミアンの交流が少年時代から青年時代にかけて描かれている。多感な主人公から見るとデミアンは謎の人で、人生に光と影があることを教え、様々な場面に登場し、指針を与えてくれる。いわば自分探しの旅を独自の手法で描いた作品である。というのは、これまでの作風はリリシズムとロマンチシズムをリアリズムで描いていた。

 本作はそれから離れ、非現実的な手法で内面を掘り下げる。当時傾倒したフロイトの精神分析が影響していると言われている。

 また、主人公の関心の対象が外にも広がり、終局部で戦争に赴いたシンクレールは死んで行く。その描き方も抽象的で哲学的である。

 本作が執筆されたのは第一次世界大戦中である。ヘッセはこの戦争に反対した。ヒューマニズムの視点から、野蛮な軍国主義を否定し、過度のナショナリズムをいさめた。その結果、ドイツ国内から売国奴扱いにされ、当時暮らしていたスイスにとどまるを得なかった。

 戦争はヘッセの予想通りドイツの敗北で終わった。その時(1919年)、本作は出版されたので、傷つき自分を失った国内外の若者から熱狂的に支持された。

 私は、高校時代に本作を読んだ時にはこの作品の素晴らしさが分からなかった。大学生になって再読した時、その深さを味わえた。本作によって自分探しの旅がどれだけ大切か学んだような気がする。

 

  最後は『知と愛(ナルチスとゴルトムント)』である。

   本作が発表されたのは1930年、ナチスが勢力を伸ばして来たころである。

 本作の主人公はナルチスとゴルトムントという若者2人である。二人は神学校で一緒だったが、ナルチスが修道士を全うするのに対し、ゴルトムントは還俗して売れない芸術家として生きる。「知」はナルチスの知性を「愛」はゴルトムントの愛欲を象徴している。

 それぞれの生き方と二人の交流がスリリングに描かれている。ナルチスは破滅していくゴルトムントを見捨てない。その友情はあくまで美しい。読み応えのある完成度の高い芸術作品である。

 高校時代に読んだ時は、二人を理解出来なく退屈で仕方がなかった。大学生になり、読書にふけ、思索を重ね、幾つものアルバイトという就業体験を経たから味わえたと思っている。

 

  大学時代に初めて読んだ作品は『漂泊の魂(クヌルプ)』である。

 本作は『デミアン』の前に発表され、前期のリリシズムとロマンチシズムの線上にある。ヘッセの作品の多くに見られるように本作の主人公も孤独な夢想家である。

 ただ、地道に働くより、理想を追い求める漂泊の生き方をしたので最後は死を迎える。神との対話のモノローグが興味深い。主人公はこのような生き方を後悔してないと私は見た。

 私は『郷愁』に深い感銘を受けた。主人公ピーターカーメンツィントの生き方が前向きだったからである。終末では未来に希望が見られた。そのようなヘッセの思考が好きだった。

 夢想家の暗の面を突き詰めるとクヌルプのような人間になる。純粋ゆえに他人との関係を結べない。彼を慕う友人がいるのにその人たちからも去る。

 私は本作に感動しなかった。そのためか、読んだこと自体忘れてしまった。

 今回この記事を綴るために蔵書を調べたら、この文庫本が出て来た。あらためて読んでみた。主人公の漂泊は一見西行や芭蕉に通じるが、日本的「もののあわれ」とはまた違う。彼の孤独はキリスト教と絡み合っていると見た。


 一応、大学時代に味わったヘッセの作品はこれだけである。

 彼の問題作と言われる『シッダールタ』は読んでない。続けて発表された『荒野の狼』は途中で投げ出した。ライフワークになった『ガラス玉演戯』も読んでない。自実はこれらの作品を読まないと、ヘッセの全体像はとらえられないと言われている。

 『シッダールタ』と『荒野の狼』は『デミアン』に続き発表された。日本の大正時代の頃である。それだけ第一次世界大戦がヘッセに与えた心の傷は深かった。前者では仏陀の若き頃を描くことで東洋への憧れと自然との調和を追い求め、後者では、独白や表現主義の手法を用いることで戦争に明け暮れたヨーロッパを批判した。

  この2作は、それから約半世紀後のアメリカで読まれるようになった。当時ベトナム戦争に対する反発から、愛と平和を願うヒッピー運動が広がった。自然への回帰、文明批判、平和主義、世界市民的発想を唱えたヘッセの作品はアメリカの若者に支持された。

(ヒッピー)

 あるプロデュサーはロスアンゼルスのロックバンドを売り出すために、ヘッセの『荒野の狼』(Der Suttepenwolf)にあやかり、バンド名を「The Suttepenwolf」(日本名・スッテペンウルフ)と名付けたくらいである。

 彼らの『Born To Be Wild(ワイルドで行こう)』は映画『イージーライダー』に使われ大ヒットした。

 私は高校時代、ヒッピー文化に影響された音楽(フラワー・ミュージックやサイケデリック・ロック)が好きであった。

(フラワー・ミュージックの代表曲『花のサンフランシスコ』:スコット・マッケンジー)

(サイケデリック・ロックの代表曲『あなただけを』:ジェファーソン・エアプレイン)

 『ガラス玉演戯』では、再度起きてしまった戦争(第二次世界大戦)を反省し、ヘッセなりの理想郷を追求した。スイスで亡命生活のような状態に置かれたヘッセはスイスで少数部数で発刊せざるを得なかった。

 したがって、これらはヘッセの全体像が知るうえで重要な作品である。これらを読まないと、ヘッセの真の姿が理解出来ないとも言われている。

 だから、私のような読者は本当のヘッセファンではないのだろう。私がヘッセを再読する場合、どうしてもリリシズムとロマンチシズムに満ちた前期の作品に向かってしまう。『少年の日の思い出』、『ラテン語学生』、『乾草の月』などの短編も愛読した。

 これはある文庫本の解説で読んだのだが、ヘッセの作品で読まれるのは圧倒的に前期の作品だそうだ。日本ばかりでなくドイツでも同じだそうである。私ばかりでないのである。

 

 ヘッセが生きた時代は2つの世界大戦に見舞われた動乱の時代である。前述したように、ヘッセは第一次世界大戦におけるドイツの軍国主義を人道主義の立場から批判した。彼を支えたのが、フランスの先輩作家ロマン・ロランである。彼も平和主義者であった。

 それでヨーロッパの人々は戦争にこりたかと思ったらナチスが台頭した。彼らが煽る偏狭なナショナリズムにヘッセは愕然としただろう。ヘッセはスイスで暮らしていたが、ドイツ国内では好ましくない作家という烙印を押され、印刷用の紙の配給を停止された。

  ヘッセは、抒情的なロマンチストとして出発したため、一見ひ弱な作家のように見られたが、実はそうでなかった。ヒューマニズムの観点から絶対悪(軍国主義や人種差別)を許さない、強靭な精神の持ち主であった。

 どうしてそうなったか。一つには彼の経歴があると思われる。彼は少年期、神学校を中退し自殺未遂を図った。いわゆる落ちこぼれである。その後、工員や店員を経験しながら、己の好きな文学に居場所を求め、文学的才能を磨いて世に出た苦労人である。常に弱者の視点を忘れず、良心と善意を信じた。

 ヘッセはゲーテをよく読んだ。彼からも、普遍主義、コスモポリタン的発想、市民精神を学んだのだろう。

 

 私の大学時代は、学生運動やベトナム戦争が終わる頃であるが、学費が値上げになると反対運動が起こった。まだまだ政治に対する関心が学生の間に高かった。世の中の理不尽なことに対して怒る学生が多かった。私もその一人である。中高時代にヘッセのリリシズムとロマンチシズムに影響を受けた私は、大学時代は彼の正義感に影響を受けた。

 老年になった現在でも、時々、『郷愁』や初期の短編をひもとく。私にとってヘッセは永遠の師であり先輩であり友である。死ぬまで読むだろう。

 

 戦後、日本におけるヘッセの人気はすごかった。死後(1962年)も根強かった。欧州でも一定の人気があったらしい。90年代に、自然愛好や質素な生き方のエッセイが編まれ、『庭仕事の愉しみ』や『わがままこそ最高の美徳』その他が続々出版された。

 

 また、21世紀に入ってから『少年の日の思い出』に基づいた昆虫展(ヘッセは昆虫も好きだった)が日本の各地で開かれた。

 

 アメリカの若者に影響を与えたり、欧州や日本で定期的にちょっとしたブームが起きるのだから、ヘッセは、紛れもなく古典に入る巨匠になった。

 

              ――― 終 り――― 

 ※次回は、トーマス・マンについて語ります。