外国文学で一番先に読んだのはドイツ文学である。その入口はヘルマン・ヘッセである。中・高時代に彼に傾倒した。そのことについては『ヘルマン・ヘッセ・私の好きな作家4』という記事で紹介した。

 彼からドイツ文学という大きな森に入り、様々な作家の作品を大学時代に読むことになった。彼らを知るうえで岩波から出ていた『ドイツ文学案内』はとても役に立った。

 この案内シリーズには、ロシア、フランス、イギリス文学などがあった。

 

 19世紀以降の作家たちの源流を遡ると、突き当たるのが、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(略してゲーテ)である。

 彼は詩人・劇作家・小説家として有名な大文豪であるが、政治・自然科学・法律・絵画・評論などの分野でも多才を示した。マルチ人間の代表である。

 高校時代に購入した河出書房の世界文学全集シリーズには彼の『ファウスト』『若いウェルテルの悩み』『ヘルマンとドローテア』が収録された一冊が入っていた。購入時、読んでみたが、挫折した。当時の私にとっては難しすぎた。

 話は脱線するが、私の小・中・高時代(1958~69)、文学全集は百科事典と並んで家庭のインテリ度を示した。医者・教師・銀行員など高学歴家庭でしか購入しなかったそれらの本が、高度経済成長に伴い一般家庭(商店、労働者家庭、農家など)でも見られるようになった。当然我が家も含まれた。貧弱な木造家屋(大多数の家がそうであった)のみすぼらしい部屋に飾られていた。似つかわしいとはけっして言えないその光景は目に焼き付いている。

 

 大学生になると私の読書力(読解力や鑑賞力)は飛躍した。これは何でも当てはまるが、一つのことに没頭して行けば、力がついて来るのである。それが私の場合、読書だった。

 その時に読みたくなったのがゲーテである。時は73年の頃だろうか。大学1年を2回目にやった頃である。

 まず、私がひもといたのは『若きヱルテルの悩み』(岩波文庫:河出書房は「若いウェルテルの悩み」)である。

   これは失恋小説で、ゲーテの作品では最も親しまれている。題材が若者向きで、読みやすかったからだろう。

 私はこの作品に感動してしまった。高校時代に投げ出したのに大学時代には読めるようになったのは、読書力がついたこと以外に恋愛に対する憧れが強くなったことも関係していよう。今振り返ると笑ってしまうが、大学時代のあの頃は「女」のことばかり考えていた。 

 とにかくヱルテルの揺れ動く感情が痛切に響いた。ゲーテは私のことを書いているのではないかと思った。主人公に自己投影が出来る作品に外れはない。

 

 私はこの作品を突破口として次々にゲーテの作品に挑戦するようになった。全て岩波文庫である。

 ゲーテの作品は膨大なので全作はもちろん読んでないが、主要な作品は読んだことになる。岩波から出された彼の本は全て持っていた。数えたら22冊ある。

 私は、以前にも話したが、ある作家に傾倒すると、その作家の主要作品は読まずにいられなくなる。時には手紙や日記や関連本まで目を通した。

 ロシア文学ではドストエフスキーやトルストイ、ドイツ文学ではヘッセやゲーテが該当する。

 

 次にひも解いたのが『詩と真実』である。

 私は本作にも感動したことを覚えている。それは『ヱルテル』以上の感動だった。

 本作は小説ではなく、自伝である。脚色はあるだろうが、「事実」とそれにまつわる感想や思索、すなわち「真実」が綴られている。

 言うまでもなく事実と真実は違う。事実は思索という濾過装置を通すことで真実になる。題名に「真実」が付けられているのには意味がある。 

 当然ゲーテという巨人の秘密を覗ける。私のような文学青年にとっては興味が湧かないはずがない。彼の生涯を彩る様々な出会いや事件や思想遍歴は私を夢中にさせた。本作は4部あるが、一気に読んでしまった。

 しかし、50年を経た現在、その内容はほとんど忘れている。

 彼は恋多き人間だったので彼女たちのことは当然書かれているのだけれど、忘れてしまった。

 私が覚えているのは、以下の2点である。

 1つは妹のことである。

 ゲーテには他に兄弟が何人かいたが、幼くして亡くなったので、二人兄妹として育った。コーネリアという。

 彼は妹と仲がよかった。彼女の思い出は小さい頃のことばかりでなく、大人になった頃の思い出も取り上げられていた。

 その中で彼女の容姿が優れていないこと、小さい頃から皮膚病を患っていたことに触れていた。

 (妹のコーネリア)

 私にも妹がいた。妹は皮膚病ではないが、ニキビがあった。ちなみに私には姉もいたが、姉も私もニキビに悩まされた。

 当時は栄養や環境衛生に問題があったので、ニキビの若者が多かった。中高時代ニキビがない子は少数派だった。私はその人たちが羨ましくて仕方がなかった。

 そんなことから、ゲーテの妹の描写が記憶に残ったのかもしれない。

 次に、スピノザ(17世紀のオランダの哲学者)にふれていることである。私は文学部の学生だったこともあり、文学ばかりでなく西洋哲学や政治思想もかじった。スピノザが彼の汎神論的思想のために伝統的キリスト教会から異端としてみなされていたことは知っていた。

(スピノザ)

 ところがゲーテは彼を評価した。本書でそれを知った時、私は驚いた。ゲーテはてっきり保守的な人かと思っていたからである。よく考えれば、ゲーテの若い頃は、啓蒙思想が勃興した時代である。ゲーテもその影響を受けていたのだろう。

 

 本作には、所々、アフォリズムになるような表現が見られた。その箇所に線を引き、そのページをしおりに記した。これは当時の読書の仕方で、今回振り返るのにあたり、とても役立った。

 私は本作を読んだことで自叙伝に興味を抱き、岩波文庫に収められている様々な著名人の自叙伝にも手を伸ばすようになった。


 次は『イタリア紀行』である。

 『詩と真実』を読んでから、彼の作品を、どの順で読んだのか忘れてしまった。それゆえ感動した作品から取り上げることにする。

 それが『イタリア紀行』なのである。

 私が思うに、ゲーテという人間に興味がなければ、あるいはゲーテの作品に感動しなければ、この作品の良さは味わえないと思う。

 ゲーテのイタリアに対する憧れは半端でなかった。後述する『ウィルヘルム・マイステルの徒弟時代』にミニヨンという可愛い少女が出て来る。彼女はこう歌う。

    君知るやかの国を レモンの花咲く国を

 この国こそイタリアである。

 私はゲーテを読む前に、ヘルマン・ヘッセに傾倒した。ヘッセもゲーテの影響を受けてイタリアに憧れ、デビュー作『郷愁』の主人公にイタリアを訪れさせている。

 ゲーテを読んだ頃、トーマス・マンも読んだ。彼もヘッセと同じで、ゲーテから影響を受け、青春の一時期兄と共にイタリアでしばらく暮らした。その様子は『略伝』という半自叙伝で描かれている。

 二人の影響を受けて私のイタリア熱も強かった。高・大時代に熱中したイタリア映画の影響もある

 だから『イタリア紀行』を面白く読めたのだと思う。

 彼はイタリアの各都市や地方で見聞きした風物、人物、出来事、芸術作品、学問等を文明批評的に論じている。中でも自分でデッサンを描くほど美術鑑賞に打ち込んだ。

 ゲーテは「目の作家」と言われるくらい、絵画の鑑賞眼が鋭かった。ちなみにニーチェは「耳の作家」と言われているそうだ。すなわち音楽に造詣が深いということである。

 有名な街は多く訪れた。ナポリがお気に入りで、あの有名な文句「ナポリを見て死ね」が生まれた。

 私はこの作品を読んで、自分のイタリア熱を再確認した。ますますイタリアに対する憧れが強まり、今でも続いている。知人に冗談で「今度生まれるならイタリアに生まれたい」と語ったこともある。

 

 続いて感動した作品は『ウィルヘルム・マイステルの徒弟時代』(「ウイリアム・マイスターの修行時代」という題にしている所もある)。

 これはウィルヘルム・マイステルという主人公が色々な事件に遭遇し、様々な人々と出会いながら成長していく物語である。

 このように主人公の自己形成を描いた作品をドイツ文学では「教養小説」と名付けられた。以降、教養小説は独自の発展を遂げ、人生いかに生きるべきかという主題を根底に秘めるようになり、幾つかの名作が生まれた。

 ヘッセの『郷愁』、トーマス・マンの『魔の山』、スイスの作家ケラーの『緑のハインリッヒ』がそれらである。

 国は違うがイギリスの作家モームの『人生の絆』もこのジャンルに入れてよいだろう。

 私はこれらの作品全て読み、感銘した。私自身が中・高・大という時代(いわば青春時代)に悩み、自分は何者なのか、自分はどこから来てどこへ行くのか、自分の人生はどうなるのか、という考えにとりつかれていた。その時間は約15年続いた。この時期の私を支えてくれたのはこれらの教養小説だった。

 

 本作に感動した理由は小説としての完成度が高かったからである。

 主人公が演劇青年であるのことも本書の魅力を強めた。ミニヨンやフィリーネやマリアーネやナタリーエなどの女性たちとの恋愛関係、フリーメイスンの登場、事件は物語性を深めた。

 この中で忘れられないのはサーカス団の少女ミニヨンである。

 主人公は、団長から虐待されている彼女を救い出す。しかし彼女は主人公に思いを寄せたまま死んでしまう。

 その印象は強烈だった。冒頭の歌「君知るやかの国を レモンの花咲く国を」が輪をかけた。

 私はミニヨンに恋してしまった。小説の登場人物に恋したのは『罪と罰』のソーニャ以来である。

 私ばかりでなく古今東西の多くの読者にもこの少女は強烈な印象を残したのだろう。それゆえ彼女は後世の芝居やオペラの主人公になった。

 本作がただの波乱万丈なストーリー展開なら、ああ面白かっただけに終わったのに違いない。これらの出来事を通して主人公の自己形成をきちんと描いたから感動したのである。

 

  感動とまでは行かないが、まあよかったと思った作品が『ヘルマンとドローテア』である。

 本作は小説ではない。叙事詩である。したがって読みにくい。そのため高校時代は途中で投げ出した。

 大学生になって再挑戦し、読み終えた。

 ドローテアという少女がフランス大革命で国を追われた難民としてヘルマンという青年が住む町にやって来た。彼は彼女に恋し、結婚したいと思ったが、両親が許さない。難民、外国人、低い身分、貧乏がその理由である。古今東西、昔に遡るほど、これらの外的条件は結婚を左右した。そのため数多くの悲劇が生まれ、芝居や小説の題材になった。

 日本で該当するのは、伊藤佐千夫の『野菊の墓』、鷗外の『舞姫』などが挙げられようか。

 しかしヘルマンの努力が功を奏し、ドローテアの人間性の素晴らしさもあって両親は折れ、最後は結婚を認める。ハッピーエンドで終わる。

 このような結果の物語がなぜ生まれたか。その一つにゲーテ自身の結婚が挙げられよう。

 当時、ゲーテは国内外で有名な詩人であり、小国の宰相を勤めたいわば上流階級に属する人間である。それにもかかわらず正式に結婚した女性は、かつて工場で働いていた16歳下のクリスティアーネという女性だった。当然、この結婚に貴族社会は反発したが、ゲーテは自分の考えを貫いた。

 当時はフランス革命が生じ、王侯貴族の特権が崩れ、市民階級が台頭した時代である。ゲーテも元来市民階級の出である。

 彼はこの進歩的な市民精神を持ち合わせていたのだろう。頑迷固陋な守旧派ではなかった。だからこのような作品を完成させることが出来、この作品は、作品が持つ芸術性が優れたこととあいまって当時の若者に支持された。

(岩波文庫の挿絵)

 結婚が出来ず不幸な結末に終わる『野菊の墓』や『舞姫』より、障害を乗り越えて幸せをつかもうとする本作には健全な力強さがある。だからこそ私はこの作品がよかったのだ。

  

 以下、退屈だった作品を2点紹介しよう。中でも

 まず『ウィルヘルム・マイステルの遍歴時代』である。

 題名からも分かるようにこれは『徒弟時代』の続編である。

 『徒弟時代』はオーソッドクスな小説である。すなわち主人公の経験を時間の推移にしたがって描写した。描写が優れているので読者は感情移入が出来、主人公になった錯覚を味わえた。

 ところが、『遍歴時代』はそのような形式で書かれてない。途中に主題から外れたような短編が収められたり、最後には作者の考察が断章の形で紹介されてたりしているので、読者は混乱してしまう。一貫した読書経験が中断されるような感じだ。

 この点は訳者も解説でふれていた。私ばかりでないので安心したくらいである。

 現代なら実験小説として持ち上げられるかもしれない。しかし多くの読み手は退屈さを感じるだろう。何とか苦しみながら読み終えたことだけを覚えている。

 本作の本当の題名は『ウィルヘルム・マイステルの遍歴時代あるいは諦念の人々』という。「遍歴時代」の後に「あるいは諦念の人々」という副題が付いている。

 私はゲーテの作品の内容はほとんど忘れたが、「諦念」という言葉は半世紀経っても覚えていた。これをゲーテから学んだと言ってもよい。

 「諦念」は「諦観」と違う、「諦観」が「ただのあきらめ」を意味するのに対し、「諦念」は「そこから前進する」ことを意味している。すなわち「諦観」がネガティブで、「諦念」はポジティブな意味合い。

 この「諦念」と「諦観」の相違を、私は『親和力』で知ったと何十年間思っていた。今回ゲーテの作品を何十年ぶりにひも解いたら、記憶違いであることが分かった。『遍歴時代』で語られていたのである。

 しかし、今回再読(拾い読みだが)したら、文中に直接「諦念」という言葉は出て来ない。

 解説から知ったことを文中から学んだと誤解していたのかもしれない。歳月というものは恐ろしい。記憶を風化させてしまう。

 解説によれば、「諦念」の概念はゲーテの晩年の思想を象徴する言葉らしい。スピノザから学んだようだ。

 

 次は、先ほど出て来た『親和力』の感想である。

 『遍歴時代』同様この作も読むのに苦労した。

  間延びしたような、のらりくらりとしたような展開だなあという印象を抱きながら読んだ。そのせいか、内容や登場人物を半世紀の間にすっかり忘れてしまった。

 これは大人の恋愛小説である。当時二十代前半だったので大人の実態というものが分からなかったこともあろう。 

 名作とされている以上、作品自体に問題があるというより、私の未熟な読書力のせいなのだろう。

 細かい字のこともあり、思考力が劣った老人の私にはもう再読出来ない作品である。

 

 退屈ではないが、よかったあるいは面白かったと断言できない作品が『ファウスト』である。

   本書は戯曲である。悲劇という冠言葉がついてある通り深刻な内容である。しかし、その世界は奥深いと思った。何度も立ち止まり、立ち止まって考えさせられた。これは名作の条件である。ドスト氏やトルストイやシェークスピアなどでも似たような経験をした。

 私の鑑賞力がもう一つ育っていたなら、本作を味わえただろう。

 最晩年の作で、第二部は死後出版された。長い生涯から学んだ人生観や独自の思想を注ぎ込み、ライフワークにふさわしい。

 小説と異なり、セリフだけなので展開がはやい。登場人物の考えがダイレクトに伝わって来る。その点で深遠な思想を背骨とする文学作品の場合は小説より戯曲の方が読みやすい。それも読了出来た理由の一つである。

 セリフには、アフォリズムのようなものがあった。シェークスピアの作品と同じである。ゲーテはシェークスピアを尊敬していた。このことは最後に紹介する『ゲーテとの対話』(エッカーマン)に出て来る。

 有名なものに「時よ止まれ、お前は美しい」が挙げられるが、私の琴線にふれたものを紹介しよう。

 本作は現実だけではなく魔界(悪魔、魔女、錬金術師が登場)や天国も舞台である。ギリシャ神話の神々やドイツ特有のアニミズムの精霊も登場する。汎神論で有名なスピノザの影響が見えるらしい。

 19世紀前半まで生きたゲーテには、この世はキリスト教だけではくくれないと見えたのかもしれない。すでに革命が起き、キリスト教の呪縛が弱まり、産業革命が現実に起きていた。

 この流れに乗って後年ニーチェが登場し、ワーグナーが出現した。他のヨーロッパ諸国でも見られた。

(ニーチェ)

(ワーグナー)

 彼らはこぞってその国の神話を取り上げた。劇的な芸術作品に向いていたのかもしれない。

 私は、元来、魔界や天国が出てくるような非現実的な作品は苦手なのだが、本作の迫力は苦手意識を吹き飛ばせた。

 

 本作の内容も半世紀の間にすっかり忘れた(この表現は何度も出て来た。大学時代に読んだ作品の大半が当てはまる)。

 一つ覚えていることは、ラスト近くで老夫婦を追い出す場面である。あらゆる力を得て傲慢になった百歳のファウストは老夫婦の土地に生えている木立が気に入った。それを手にいれるため彼らの追放をメフィストフェーレス(以下メフィスト)に命じる。 

 老夫婦が哀れになった。私は怒りを覚えた。正義感が働いたのだ。

 今回、この部分を再読した。そうしたらファウストがそのことを後悔することが分かった。権力の横暴を反省したらしい。

 おそらく当時の私はほっとしたのだろう。救いが見られたと思ったのだろう。それが覚えていることにつながったのかもしれない。

 これを綴っているうちに思い出した。私の場合、ファウストよりメフィストの方が印象に残った。強烈な存在感を発揮していた。こういうキャラを現代の映画ではダーティー・ヒーローというのだろう。

(老いたファウストとメフィストフェレス)

 

 熟読ではなく、拾い読みに終わっただけの作品が『ゲーテ詩集』である。

 代表作を集めた量が4冊に達するのだから、さすが大詩人だけある。

(四)に私の好きな『ミニヨン』の詩がある。『徒弟時代』で詠われた詩がここにも載っていた。『徒弟時代』が小宮豊隆の訳に対し、『詩集』の方は竹山道雄である。

 どちらがいいか分からない。竹山の訳本では「レモン」が「シトロン」になっている。「レモン」の方が黄色の鮮やかさを浮かべられるので、どちらかと言えば、「レモン」を使っている小宮山の訳のが好きだ。

 

  最後にエッカーマンの『ゲーテとの対話』を紹介する。

 エッカーマンはゲーテの晩年に知遇を得、ゲーテの家に出入りした。ゲーテとの対話から多くのことを学び、それをまとめたのが本書である。

 ゲーテは、自分の思想、知識、学問、教養、文学観、人生観、人物評、政治的立場などをエッカーマンに語る。その博学に読者は驚くだろう。彼が詩人の枠に収まりきれない知の巨人であることが分かる。

 生活の様子も綴っているので、ゲーテの生身の姿もうかがえ興味深かった。

 ゲーテの話には、本質をとらえている文言(アフォリズム)が多く出て来る。そのオンパレードと言っても過言ではない。うなずきながら読んだことを覚えている。人生の指針になるようなものばかりなので線を引き、人生の指針とした。

 私は大学卒業後もこの本を時々開いた。しばし勇気づけられた。

 ゲーテという人間を知りたいなら、この『ゲーテとの対話』とゲーテの『詩と真実』を併せて読むのがよいかと思われる。

 

 余談になるが、漫画家の水木しげるは、赤紙が来て入隊した時、『ゲーテとの対話』をカバンにしのばせた。彼にも影響を与えたのである。彼の随筆でそのことを知った時、私は水木に親近感を抱いた。

 幸運にも生還できた彼は戦後ますますゲーテが好きになったらしい。彼に関する雑記やマンガを出したくらいだ。

  

 5年前、東京にゲーテの記念館があること知り、訪れた。「東京ゲーテ記念館」といい、一般財団法人が運営する私立図書館である。小振りな建物だが、外観がシックで気品があり、ゲーテが生きた頃のドイツを思わせる。

 ゲーテに関する貴重な資料がたくさん展示されている。それらを見ているとゲーテに熱中した頃を思い出した。訪れた時、入館者がまばらで、ゆっくり鑑賞出来た。ゲーテに興味を持った方にお勧めである。

 

 最後に。私がゲーテから学んだものは何か。

 ・ポジティブ・シンキング(今流行りの言葉で言えば)

 ・明るさ

 ・健全な常識

 ・自然を尊ぶ態度

 ・詩的な感受性

 ・物事の本質を見る眼

 ・教養の大切さ

 ・青春を大切にする(老いても忘れない)

 ・「春」「夏」を「秋」「冬」より大切にする

 ・イタリアの素晴らしさ

 こんなところか。

 これだけは言える。大学時代にゲーテを読んでおいてよかったと。

 

              ――― 終 り ―――

 

 第2回目となる次回は、ヘルマン・ヘッセについて語ります。