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光のスピリチュアルカウンセラー 宇円由聖

子どもたちに
永遠に発展と拡大を繰り返す、愛にもとづいた社会を残したい
あなたには、未来を創造する意義ある役割があります

こんにちは
光のスピリチュアルカウンセラー
宇円由聖です。
 
 
 
今年に入って1ヵ月の時間が過ぎました。
 
いつもと同じ1ヵ月ですが、なんだか1年くらいの時間がたっているように感じてます。
 
時間というのは、どう過ごすかによって長く感じたり、短く感じたりするんですね。
 
 
 
1月からは、時間的な拘束がない生活をしています。
 
はたから見ると何もせずにぐーたらしているように見えるみたいで、
 
かみさんからの風当たりが暴風並みに強くなってます。
 
いいトレーニングです(若干、強がり)。
 
 
 
僕的には、ただ、ぐーたらしていたわけではなく、
 
じっくりと自分の内面に向き合う時間をとっていたんです(ホントですよ)。
 
 
 
内面と向き合って何をしていたかというと、
 
自分の立ち位置をどうしようかって考えてました。
 
 
 
今までは、口コミやブログを通じて連絡してきてくださった方々に、
 
対面やメールでのセッションをさせて頂いたりしてきました。
 
主に仕事についてや、家庭や職場での人間関係について悩まれている方が多く、
 
それを解決することを目的にチャネリングからの情報をお伝えしてきました。
 
 
 
それで、気付いたのが、
 
継続的にセッションを受けてくれているクライアント様方が、
 
自然とご自身でメッセージを受け取ることが出来るようになってきているという事です。
 
 
 
僕自身も、瞑想がきっかけで、光の存在とのコンタクトが取れるようになりましたので、
 
きっと、誰にでも出来るんでしょうね。
 
 
 
僕は普段、困ったことや躓いたとき、
 
基本的に、問題自体をどうしようとなんて考えません。
 
 

現実逃避ではありませんよー。
 
 

どうしてそれを問題と感じるのか?
 
と内面に目を向けたりしてます。
 

当然、自分ではなかなかできないので、
 
光の存在の力を借りるわけです。
 

まじめに、問題に向き合ってしまうと、
 
ドツボにはまるっちゃうので、極力避ける。
 

まあ、そんな感じです。
 
 
 
そう考えてみると、
 
メッセージを伝える事だけでなく、普段から自分でも使えるようになった方が喜ばれるのでは、
 
という気がしてきました。
 
 
 
どんなものがあったらいいのかなーと考えた結果、
 
  • お茶会のような形で、僕が実際に受けったメッセージの話をしたり、疑問に思われたことについて話し合ったりする機会を作る。
 
  • ブログでは書きにくい、ちょっとマニアックな内容をお伝えするメルマガをする。
 
  • 自分でもチャネリングして自分の生活に活かしたい方の為のメール講座を提供する。

     
  • 対面だけじゃなく、電話セッションもする。
 
  • セッション後、メールフォローのメニューを提供する。
 
などがあったらいいのではと思いました。
 
 
 
皆さん、どう思われるでしょうか?
 
他にこんなメニューがあったらいいとか、
 
こんなのいらないとか
 
なんでもかまいませんので、ぜひお聞かせください。
 

ブログにコメント頂くか
 
zero.apx@gmail.comにメールでいただけると助かります。
 
勝手なお願いですが、よろしくお願いします。
こんにちは
 
宇円由聖です
 
 
 
一面、銀世界
 
朝起きると、そんな景色が目に飛び込んできました。
 
全国的にも、雪のところが多いようですね。
 
寒さや、通勤の大変さに気をとられてばかりいると、
 
この美しさに気づかないことが多いかと思いますが、、
 
ちょっと立ち止まって、自然が創る奇跡を楽しんでみてくださいね。
 

前回のブログでは、
 
縁石に乗り上げて、車のボディーが破損したけど、
 
「それでも僕はついている」
 
と、意識を変えることで、
 
そのあとの時間を台無しにすることなく過ごせたという事を書きました。
 

その続編です。
 

車の事を思い出すと、やっぱりちょっとへこむ。
 
そのたびに、
 
「それでも僕はついている」
 
と頭の中で繰り返してました。
 

そして昨日、
 
ディーラーに電話して見てもらったところ・・・
 
見た目、元通りに直してくれました。
 
部分的に欠けてしまった部分もあったのですが、
 
全く分からないくらい。
 
しかも、無料で・・・
 

なんか、信じられないような気もしましたが、
 
めちゃくちゃうれしい。
 
ホントに感謝です。
 
 
 
今回のことで気づいたことは、
 
出来事や、周りの反応で自分がどういう存在かを、
 
無意識に図っているところがあって、
 
嫌なことがあると、自分や誰かを責めだすということ。
 

そして、何があったとしても、
 
それに左右せずに、
 
心地いい自分の在り方を崩さないことで、
 
それに続く出来事が変わってくるのかも
 
という事した。
 

何があっても大丈夫
 
自分はダメじゃない
 

そう思えると、ちょっと気持ちが軽くなりますね。
こんにちは
 
宇円由聖です
 

幸せになるにはどうしたらいいですか?
 
という問いに対し、
 
「笑顔でいること」とうことを聞いた事ありませんか?
 
 
 
そうかー
 
笑顔でいればいいんだ
 
と思って、やってみると
 
ずーっと笑顔でいるという事は結構難しかったりませんか?
 

昨日、スーパーによってからチャンピオンカレーにLカツカレーを買いに向かっていたら、
 
ちょっとした悲劇。
 
間違った駐車場に入ってしまったので、引き返そうと左に曲がったところ、
 
左側に縁石があることに気が付かず乗り上げてしまいました。
 
「ガタッ」
 
その拍子に、左側のスポイラーが壊れて外れてしまいました。
 
車が好きな方はわかっていただけるともうのですが、
 
車の傷以上に、心がへこみます。
 

僕も、例にもれず、なんで間違ったところに入ったのかとか
 
スーパーによらなければよかったとか
 
カレーなんか買いに来なければよかったとか
 
後悔
 
それから
 
修理代とかを考えはじめて
 
そのお金があったらいろんなもの買えるのになどと思い出し
 
更に後悔
 

そして「本当についてない!」
 
そう思ったところで
 
「これはいかん」
 
ハッとしました
 

笑顔から相当はなれている
 

心がへこむようなことがあった
 
でも、「それでも、僕はついている!」
 
だから、「笑顔でいる!」
 
という事に意識チェンジ
 

今のところ車は直ってませんが、
 
しかめっ面で帰ったら起こっていたであろう
 
2次災害
 
家庭の中の空気を悪くしてギスギスするようなことは防ぐことが出来ました。
 

笑顔でいようとしても、
 
嫌なことがあるとしかめっ面。
 
そんなことって、よくありますよね。
 

そのやなことが、そのあとの時間も台無しにするほどの事か?
 
最悪と思うことが起こったとして、そのあとの時間も最悪にするのか?
 

そう考えると、嫌なことがあったとしても「それでも僕はついている」
 
そうしたほうが、笑顔でいられるような気がしませんか?
 

ついているって思えるようなことを引き寄せそうな気がしませんか?