皆さん、こんばんは~
まあまあまあまあ。
どうにも深刻になりがちな、こういう話題。
でもね~、なんかね~。
どんなに深刻な話題でも、なんというか、『笑い』 に昇華することが出来れば、と思ってね。
まあまあ、極力 『自虐的にはならないように』、 気を付けつつね。
これもまた大切なことでして。
うん。
まあね、そうすることで僕自身も気持ちが楽になりますし。
甘えていますか?俺。
そうかもしれないね。
でも、今の僕に一番合致した表現方法なんだと、自分では感じています。
どうかお許しを~!
さ、書こうか、ね。
【 精神のお薬 服用歴 】
あ、まず、今をさかのぼること10年前、1998 (平成10) 年。
7月、当時勤務していた 長野県長野市 の会社に、 僕は出勤しなくなりまして。
僕、24歳の夏の話です。
--------------------------------------------------------------------------------------------
その会社、本社は新潟市。
で、1996 (平成8) 年4月、僕は長野支店に配属されたわけです。
就職して2年と3ヶ月間。
...この期間、僕には かなり過酷だったわけでして。
当初、午前9時始業の午後6時終業、と聞いていたっけ。
実際には、遅くとも午前8時には出社、たまに早いときには午前7時出社という感じで。
まあ、僕の場合は ほぼ毎日、ギリギリの時刻か、5分~10分ほど遅刻して出社するのが常になっていました。
業務内容をここに記せば、それが なんという会社だったのか、判る人には判ってしまうと思います。
まあ、それは今の僕には あまり関係の無いこと。
ここでは触れないでおきます。
まあ、ある種の工事業務が9割。
残る1割のところで営業業務もする。
...というのが、僕に与えられた仕事割合。
実際の終業時刻。
全般的に、午後7時にアガることができたら、幸せな気分に満たされていましたね。
就職したての2週間ほどの研修期間。
この研修期間を除けば、午後7時にアガることができた日が何日あっただろう。
日曜・祝日出勤の時には午後5時にアガることもできていたっけ。
月曜~土曜日だけを考えてみると、2年3ヶ月間で午後7時にアガることができた日...。
どうだろ?
月に2日~3日、60日くらいはあったのかな。
午後9時に退社時刻を迎えても、相当に嬉しかったなぁ。
『今日、あと3時間もある! 何しよう!?』 ってね。
平均して午後10時に退社していたように記憶しています。
ということは...。
午後11時退社なんて、ざら。
究極に遅い日は翌日0時退社という日もあった。
でね、当初は、『2週間に1度は週休2日です』 なんて聞いていたっけ。
...実際も そうだったとしたら、俺、自分を保てていたのかな?
今となっては判りません。
実際は、2ヶ月間に たった1日、日曜日が休みになっていたような、そんな感じ。
『全部、嘘だ。』 と僕は思いました。
常々、思っていました。
...皆さんは、どうなんだろう。
こんな話をお聞きになっても、全く驚かれたりはしないくらい、皆さんのお仕事、過酷なんだろうか。
僕には判りません。
先輩社員 (当時主任~係長) からは 『この会社、社員有志が 労働組合 を作ろうとした時期があったんだけど、会社のトップの連中によって、その動きは封じられた』 という話を、僕は聞いたことがあった。
彼の話には、ある程度の フィクション が含まれていたのかもしれない。
しかし、半ば、いや、半分超は 本当の話なのだろう。
...事実、その会社には 労働組合 が存在していなかったのだから。
---------------------------------------------------------------------------------------------
さあ、出勤しなくなった僕。
最初のキッカケは、本当に、ほんの少しだけ風邪気味だったことだった。
その朝、僕は会社に電話を掛けた。
『今日、お休みさせてください。 風邪を引いたようなので、病院に行ってきます。 ゴホッ(←演技半分)。 すみません。』
...嘘には それなりの嘘で対抗した...と、僕は自分を正当化する。
実際。
僕は その日、病院の前をクルマで通りはしたものの、通過しただけ。
県境を越えて 新潟県上越市 ~ 糸魚川市 ~ また長野へと戻る というコースで1人ドライヴ。
『開放された。』 と、僕は感じた。
その翌日からは 無断欠勤である。
昼間は1人暮らしの自室に引きこもり、夜になると開放感を得るためにドライヴに繰り出す。
そんな毎日。
人に見つからないように、気をつけながらドライヴに出掛ける。
僕よりも1年先に入社した先輩が、僕の部屋の玄関ドアをノックし、『高尾~、大丈夫か~?』 と、優しい声を掛けてくださる。
...僕は息を潜めた。
僕よりも2年後に入社した後輩が、僕の部屋のドアをノックし、また優しい声を掛けてくれる。
...僕は再び息を潜めた。
その後も、数日間に渡って、また他の先輩社員が声を掛けに来てくださったように記憶している。
...僕は息を潜め続けた。
...そんな日々は そうそう長くは続かないものでして。
欠勤初日から数えて2週間くらい後のある日、主任と支店長が声を掛けに来てくださった。
...僕は また息を潜めた。
彼らは裏に回ったらしい。
(ここまで 『部屋』 と表記してきましたが、僕が当時借りていたのは平屋建ての1軒家だったんです。)
...しまった。
ゆうべ、暑さをしのぐために、台所の窓を開けたままだった。
主任は その窓を乗り越えて、僕の部屋に入ってきた。
彼は玄関の鍵を開け、支店長も僕の部屋に。
『高尾、このままぢゃ懲戒免職にするより他なくなってしまうから、明日、会社に出ておいで。』
優しく声を掛けてくださった支店長と主任。
翌日、午後からだったか。
気分は最悪であったが、彼らの気持ちに応えるべく、いや、自分自身のために、僕は会社へ行った。
支店長と話し合った結果、退職させていただくことにした。
...僕が ほっ としたのは改めて書くまでもなく、皆さんにご理解いただけると思います。
その後、僕は借りていた部屋を片付け、新潟市の実家に戻りました。
で、およそ1ヵ月後、1998 (平成10) 年9月だったか。
僕は初めて 心療内科 を受診することになります。
ごめんなさい。
今晩は 薬の服用歴 に辿り着けなかったです。
明日か、明後日には辿り着けると思います。
もうちょっと待っていてください。
ある意味、中途半端なところですが、今日はこの辺で失礼します。
皆さん、良い眠りを!☆
ぢゃ、またね~!