没後27年、沢周平文学の

 

藤沢周平

 

 

先年、コロンビア大学元教授の神山幹夫先生に、下北沢ではじめてお目にかかった日のことを想い出していた。先生が、すでにニューヨークから下北沢にやってこられたことは知っていたので、ご家族のみなさんに、草加煎餅でも食べていただこうとおもい、用意していった。

ぼくは最寄りの喫茶店に入り、どうしていらっしゃるかとおもって、そこから先生に電話をした。

先生は「すぐ行きます」とおっしゃった。

午後4時にお会いすることになっていたのだが、ぼくは早く着いたので、電話をしたわけである。それから深夜にいたるまで、やおら7時間、途中で友人の小松茂樹さんを交えて3人で会食をしながら、えんえんと先生のお話をうかがった。そのときに先生からいただいたご著書「転居のいきさつ」(新潮社、2015年)という小説を読了し、そして先生推薦のジャン・ジュネの英訳作品を読みはじめたのだった。

 

 

 

そんなことをしていたら、事務所に友人が訪れ、ぼくはその話をしたっけ。

それがおわると、こんどは別の友人が訪れ、ぼくは藤沢周平の話をしたのだった。――こういう日は、冷たいコーヒーを飲みながら涼しいところでおしゃべりするのが一番である、

「没後27年ですか?」と友人はいう。藤沢周平が亡くなって27年たつ。現在、約80タイトルの彼の文庫本が売れているというではないか。

「テレビの時代劇は地上波番組からすっかり消えてしまったが、人気があるそうですね」と彼はいう。

「だって、そうでしょ。BSやケーブルテレビでは根強い人気があるんですな」という。彼は藤沢周平の大ファンで、よくぼくにそんなふうに語っていた。

友人はきょうもおなじ話をした。小説「小川の辺」という小説である。その話を書く。

 

田中幸光

「善の裏は悪」ということばどおり、人間は善人面をしていても、ときに悪人に変貌する。悪に変貌したやからを成敗するために、藩のなかで最も剣に優れた者を呼び出し、彼を討手にするということがままあった。

「竹光始末」は、そういう小説である。

「善に強いものは、悪にも強い」ということばもあり、善人もいったん悪に向かえば、とびっきりの悪人になる。そういう相手を、竹光一本で、どう対応したらいいか、その話が描かれている。これも確かに、藤沢周平の作品のなかでは暗い小説の部類に入るが、そういう男を登場させる作家・藤沢周平の物語のつくり方に、いつも感心している。

彼の小説でつまらない作品は読んだことがない。いずれも、こころにぐさりと刻まれるものばかりだ。「おぬしに、討手を命ずる」という藩命がいったん下ると、断ることができない。

藤沢周平がようやく円熟の期に差し掛かったのは、1980年代だったようにおもう。「時雨みち」、「霜の朝」、「龍を見た男」など名作がずらりと居ならぶ。なかでも、「小川の辺(ほとり)」という小説は、人間愛の機微を活写していて、なかなかおもしろいとおもう。その主人公は、30歳の戌井(いぬい)朔之助という。

家老がいう。

「さきごろ、脱藩した佐久間森衛に討手を出したが、肝心の討手が急な病いで倒れた。おぬしに第二の討手になってもらいたい。佐久間森衛を討()ってもらいたい。これは、藩命でござる」という。佐久間森衛? 

彼の妻は自分の妹ではないか?

 彼が脱藩しただって? そんな話は聞いていないぞ、と彼はおもう。

「おぬし、聞いておらぬのか? ……うむ、佐久間の連れ合いと同行しておる」

 

 

 

 

「佐久間の連れ合いは、それがしの妹でござります。いや、それがしのことは、斟酌なく、……」

「そうか。……ならば、おぬしが妹を助け、佐久間を討って見せよ。戌井家のお家存続のためにも、藩命を果せ! 相わかったか?」

「ははーっ!」といって、朔之助は頭を畳にこすりつけた。晴天の霹靂だった。可愛い自分の実の妹・田鶴といっしょに脱藩しておるだと?

戌井朔之助は苦渋の選択を迫られ、帰宅してからも、妻には何もいわなかった。2日間、彼はどうするか考えた。しかし退路は絶たれた。後戻りすることはできない。朔之助の脳裏には、佐久間森衛に寄り添って、どことも知れぬ野道を、顔をうつむけて隠れるように先を急ぐ田鶴の姿がおもい出される。――幼いころ、田鶴と川で遊んだ日々のことが甦ってくる。下男の新蔵と3人でよく遊んだものだ。3人で剣の稽古もした。

ある日、川は急に増水し、田鶴はいうことをきかなかったために中洲に取り残されたことがある。朔之助は、田鶴を助けようとして水の中をすすんで行ったが、田鶴は嫌がって兄のいうことをきかなかった。そのうちに、水嵩(みずかさ)がどんどん増して、くるぶししかなかった水が腰の深さになった。田鶴は、兄の顔をにらみつけて、じっと兄の顔を見ていた。それを見ていた下男の新蔵が、たまらず川に飛び込んで、田鶴を救いあげた。危ないところだった。

ある日のこと、田鶴が佐久間森衛の妻となる前日、田鶴は、新蔵を呼びつけた。そして新蔵と蔵に入り、扉を閉めた。それを見た新蔵は「おやめください」と叫んだ。嫁入り前の娘が、奉公人の男とひとつ部屋にいるのはよくないとおもった。すると、

「新蔵、もう少し、ふたりでここにいましょう」と田鶴がいった。「おやめください」と新蔵がいった。新蔵は、羽目板のすき間に隠れるようにして、じっと身を小さくしていた。

「どうして? わたしといるのが、いや?」

「いいえ」

「新蔵。下を向かないで、わたしを見て」

「はい」

「わたしがお嫁に行ったら、寂しくないの?」

「………」

「寂しいっていって」

「はい。寂しゅうございます」

「ほんと?」

「はい」

「わたしも嫁に行きたくないの。でも仕方がない。新蔵の嫁にはなれないのだもの」

「田鶴さま」

「わたしの体を見たい?」

「いえ。……そ、そんな恐ろしいことは、やめてください」

「見て。お別れだから」田鶴は、きっと口を結んだまま、すばやく帯を解き、素っ裸になった。「新蔵、……こっちを見て」と彼女はいったが、新蔵の顔は青ざめ、ぶるぶる震えていた。日暮れの日差しがこぼれていて、田鶴の白く豊かなふたつの胸がそこにあった。――もう3年も前のことである。新蔵は、あのときのことをしっかりと目に焼きつけていた。その田鶴がいま、藩から追われる身になっている。

佐久間森衛の居所は、すぐに分かった。

離農した農家のなかにいた。こういうとき、新蔵のような、藩とは無関係な男は連れていけない決まり事になっているが、新蔵のたっての願いで、しぶしぶ連れていくことにした。新蔵が、連れていってくださいと哀願するように執拗にいったわけは、この小説の最後に分かる。そのため、面の割れていない新蔵があちこち聞き歩いたので、佐久間森衛を見つけることができたのである。

佐久間森衛は一刀流。戌井朔之助は直心流。

妹の田鶴も直心流を遣う。――ところで、この直心流というのは、正式には「直心影流(じきしんかげりゅう)」という。もっとちゃんといえば、「鹿島(かじま)神傳直心影流」のことだ。いち早く竹刀と防具を使用した竹刀打込み稽古を導入したわが国初の流派で、江戸時代後期に全国にひろまった。

これより、武術の稽古にはかならず防具を使うことになった。ところが、名前がおなじ薙刀(なぎなた)の流派である「直心影流薙刀術」とは、関係ない。田鶴もこの直心流を遣う。

佐久間森衛との斬りあいは長くかかった。朔之助はついに佐久間を倒した。佐久間は不伝流の秘伝とされる小車という太刀を使ったが、朔之助はそれを破ったのである。息絶えた佐久間の遺体を家に運び入れようとしていたら、外で何かが動いた。田鶴だった。

「討手は兄上でしたか!」と田鶴はいった。

「佐久間の妻として、このまま見逃すことはできません。立ち会っていただきます」といって斬り込んできた。

「ばか者。刀を引っ込めろ!」

「それは卑怯ないい方です。わたくしがいれば、佐久間を討たせはしませんでした。たとえ兄上であっても」

「よさぬか、田鶴」朔之助は、しりぞきながら叱りつけた。朔之助には、妹と斬り合う必要は何もなかった。だが、田鶴は、半狂乱の目をして、爛々と光らせて執拗に襲ってくる。彼女の太刀を避けそこなって朔之助は小指を斬られる。そして肩や胸をかすられた。彼は小川の岸辺に追い詰められた。

「おろか者めが!」

朔之助は唸って、太刀を抜いた。彼は反撃に打って出た。すると、

「若旦那さま、斬ってはなりませんぞ!」と、新蔵の声が聞こえた。

朔之助と田鶴が討ち合えば、女は斬られるだろうと新蔵はおもった。やがて、朔之助の斜め後ろに引いた剣先がぴたりと止まり、直心流の「右転左転」の法定の構えになったとき、それを見ていた新蔵は、つかつかっと田鶴のほうに走りより、女をかばうようにして、主人に向かって小太刀を抜いた。

「新蔵、それは何のまねだ?」

新蔵は戌井家に雇われた下男だが、幼いころから、直心流の剣術の稽古だけはやっていた。彼の太刀さばきは素早い。兄妹相討つ異様な光景が橋の上ではじまった。朔之助が斬り込んでいったとき、田鶴はそれを避けようとして身をかわしたが、橋の柵に脚を取られて、後ろから川に落ちた。川は深かった。それを見た新蔵は、小太刀をつかんだまま川に飛び込んだ。

「田鶴さま!」と叫んだ。新蔵は泳ぎも達者だ。

田鶴は新蔵の肩におぶさるようにして岸辺に泳いでくる。田鶴は、岸辺にたどり着くと、草むらに顔を伏せて悲痛な面持ちで泣きはじめた。

新蔵が膝を折って何かいうと、やがて田鶴が手を伸ばして新蔵の手にすがった。新蔵の腕が田鶴の手を引き、胴を巻いて草の上に引きあげるのを、朔之助がじっと見ていた。ふたりが立ち上がったとき、田鶴は朔之助の視線をさけて、新蔵の影に隠れた。……ふたりは、このまま国に帰らないほうがいいかも知れんな。朔之助はそうおもった。

「新蔵。……田鶴のことは、おまえにまかせる。おれはひと足先に帰るぞ。おまえたちは、ゆっくり後のことを相談しろ。国へ帰るなり、江戸にとどまるなり、どちらでもよいぞ」

朔之助は橋を渡るとき振り返ると、立ち上がった田鶴が新蔵に肩を抱かれて、隠れ家に歩いて行くところだった。橋の下では、何もなかったかのように、豊かな水が軽やかな音を立てている。

――朔之助はおもった。田鶴は兄のいうことはきかないが、あの新蔵のいうことはよくきく。そういう女だ。身分の違う新蔵は、かりに田鶴が好きでも好きとはいえない。だが、もうその垣根も取れた。田鶴の幸せを夢見て、朔之助はあとのことを新蔵にまかせることにした。――この小説のいいところは、わずか最後の数行である。

藤沢周平の小説には、川と橋がよく出てくる。街の光景は作者の脳裏に焼きついていて、目を閉じればたちまち生き生きと甦ってくる。野を染める落日や、その光、雪の夜道、よしきりの声などが聞こえる川べりは、作者の原風景なのだろう。――幼い日々の追憶がいたるところに出てくる。

朔之助は、道を歩きながら藩命を果した安堵よりも、わが愛する妹への愛惜をどうすることもできないことに、こころが痛んだ。しかし、新蔵がいてくれたために、田鶴のこころは慰められるだろう。そうおもった。――その後ふたりはどうしたか、小説には描かれていないが、目に見えるようだ。