毎年、暮れも押しつまつた日に馴染みの庭師さんが入るのですが、ことしは大仕事をお願ひしました。秋に枯れたミモザアカシアと楓を伐り倒してもらつたのです。
 
 ここ10年ほど、2月中旬になると庭に黄金の輝きを添へてくれたミモザアカシアを伐るのは忍びないことながら、2階の屋根ほどにまで枝を伸ばしたまま枯死した木を放置しておくわけにはいきません。
 
 「虫ですね。地中から入りこんだのでせう。鉄パイプの支へを外したら、こちらに倒れかかるほど弱つてました」
 
 棟梁によれば、枯れた原因はぼくが推測してゐたやうに相次いだ台風に煽られたからではなく、虫にやられたとのこと。となりの楓も虫に食はれてゐたといふのです。
 
 
 親の代から聳えてゐたヒバ(これは老衰らしい)を昨年伐つたのに続いて、庭が急に閑散としてきました。門のわきの松やモッコク、モチなど、寄る年波は隠せないながら依然として存在感をみせる木々は別にして、門から玄関までの見通しが良くなり、そこに突如見慣れない空間があらはれました。
 
 ミモザの後継も考へましたが、花木はほかにもマンサク、ハナミズキ、ノウゼンカヅラ、ヒメシャラなどがあり、なんといつても庭の西側で、実生から育てて二十余年の枝垂桜が滝のやうな枝ぶりを誇示してゐるのに敬意を表し、とりあへずは切り株をそのまま残して何も植ゑないことにしました。
 
 朝、門の内の郵便受けに新聞を取りに行くときにながめる風景は新鮮です。芝生の庭が広がつたやうに感じます。気のせゐか、枝先に微小な緑色の芽をふいたヒメシャラやマンサクが、これまでのミモザの支配下を逃れて、意欲と生気を取り戻したやうに見えます。
 
 もともとここにミモザがあつたことが間違ひだつたのではないか、あの異様に成長の速い木をここに植ゑたことで、周囲の庭木の秩序が乱されてゐたのではないか、とさへ思へるほどです。
 
 京都・龍安寺の石庭を例にひくまでもなく、空白の美といふものがあります。家人の趣味もあつて、居間の壁には絵を飾り、窓際には花の鉢や、人形、陶器なんかを並べてゐるけれど、何もない美しさといふものもあるな、と妙に反省してゐます。
 カウンターのなかの若いボーイが、先ほどからぼくのグラスにちらちらと視線を送つてゐる。グラスの底にはあと一口か二口分の赤ワインが残つてゐる。
 
 かういふ緊張感は飲み屋の愉楽の一瞬で、そこにワインバーの精妙な、たとへていふならばボルドーよりはバーガンディーの赤に近い、繊巧な味はひがただよふ。
 
 当然、ぼくは次に何を飲まうかと考へてゐる。目のまへのグラスを一気に乾して、目が合つたボーイに次の銘柄を告げることも可能だし、五分か十分、そのまま放つておいてボーイを待たすことも可能だ。
 
 「次は、何になさいますか」
 もし、ボーイのほうが焦れてかう声をかけてきたら、ぼくは次の注文をやめ、笑みを残して席を立つ。ヴェテランのボーイなら、かういふことはやらない。
 
 ここでボーイがやるべきことは、注文を催促することではない。グラスを早く飲み干してほしいのならば、ぼくの唇を乾かすに如くはない。
  「ことしは秋らしい日がないうちに冬になりましたね」などと意味のない陽気の話でもいいし、昨夜のサッカーの話でもいい。注文を取るまへに、まづ客とのコンタクトをとることだ。
 
 素人のぼくなどが言ふまでもなく、水商売で問はれるのは客と「雑談」する能力だらう。鮨をにぎるのは三年もあれば覚えられるが、カウンター越しに客と話がつながるまでには十年かかるーー行きつけの四谷・荒木町の鮨屋のおやぢの口癖である。
 
 雑談(idle talk)といふと何でもないことのやうだが、日常生活ではこれが意外と大きな部分を占める。
 
 そんなことを考へてゐたら、面白い本に出会つた。『人は「そとづら」が9割』といふ、なんとも人を食つたタイトルである(三枝理枝子著。アスコム社)。
 
 最後まで読むと、「そとづら」が良くなつてくるとそれに付随して「うちづら」も整つてくるといふので安心したが、そのなかの「会話術」をみると、
◇「私は」と言ふのをなるべく避ける(自分を主語にすると相手は疲れる)
◇「あのう…」「えーつと」は禁句(その代はりに、息をそーつと吐く)
◇「ありがたう」を多用する(逆に「すみません」は避ける)
◇大勢の人前では堂々とアガる(素敵に見える)
◇「間抜け」に気を配る(「間」は会話のスパイス)
ーーといふ具合で、なんとも具体的にテクニックを明かしてゐる。
 
 ワインバーのボーイもさうだが、鮨屋の職人もこれを読めば十年かからずとも一人前になれさうだ。
 
 この本の著者は、全日空の国際線チーフパーサーもつとめた元キャビン・アテンダント(CA)。機中の退屈な時間、CAのこんな会話術にみんな騙される。
 
 「猪瀬直樹氏が石原氏のあとを継いで都知事になつたことはそちらでもご承知だと思ひますがーー」
 
 角さんにメールを打つてみた。アドレスは知らないが、「tengokuドット・コム」で通じたやうだ。「このアドレスはアン・ノウン」といふ英語文の知らせはなかつた。
 
 猪瀬知事が都知事選にさいして、医療法人・徳洲会から5000万円を借りたことがバレて、知事の座もあやふくなつてゐる。角さんは子分の(ロッキード裁判で弁護人もつとめた)保岡興治氏が、選挙のたびに20年余、旧奄美群島区で徳田虎雄一族とまさに死闘を演じてきたので、徳洲会の遣り口はうらのうらまでご存知でせう。
 
 「ーーこの事件にはどんな背景があるかお聞きしたくて、ご多忙とは思ひながら、初めてメールをいたしました。小生は角さんが総理大臣だつたころ、総理番として毎日脇に随かしていただいた者です」
 
 あまり「ご多忙」ではないのか、返信は予想もしない速さで届いた。
 「おう、覚えてる、無為庵君。夜、目白の番小屋で、『総理はおやすみになりました』と秘書が告げて、ほかの新聞記者はみんな帰るのに一人残つて、ワシが差し入れたオールドパーをロックでやつてゐたさうぢやないか。秘書が『まだ一人呑んでゐます』といふので、ワシは深夜の秘密の来客をずいぶん待たせたもんだ」
 
 「メールが届いて良かつたです。早速ですが、猪瀬知事の今回の件はどうなるでせうね」
 「結局、辞めるだらう。ワシのころからさういふ風潮が強まつたやうだが、最近は政治家の不祥事が発覚すれば、遅かれ早かれ辞任でケリだもんな」
 
 「猪瀬知事だけで終はりますか」
 「永田町ぢやあ、いまビクビクしてゐるのがいつぱいゐるぞ。徳洲会は全国組織だから、選挙のときあの医療法人からカネをもらつてるヤツは国会議員の中にわんさとゐる。当然、特捜部に「出」のほうの名簿は押収されてる。事前買収みたいなカネだから、徳田からカネをもらひましたなんて収支報告書に記載する人間はゐない。みんな政治資金規正法違反だよ。全員逮捕したら国会議員が足りなくなつちやふから、三千万円以上とか適当に線を引くんだらうけどな。その広がりといふ点では、これはロッキード事件の比ぢやないぞ」
 
 「徳洲会のやり方といふのは、そんなにエゲツナイのですか」
 「きみも知つてのやうに、ワシも選挙のたびには相当なカネを遣つた。政治は数だからな。自分の同士を増やさなければ負けだ。しかし、徳田のとこには角さんも負けた。あつちは国の膨大な医療予算を懐へ入れるのだから、ワシも敵はないよ。ワハハハ」
 
 最後に、角さんは追伸を打つてきた。
 「これから面白くなるぞ。きみももう新聞社をリタイアしたのか。それぢやあ、これを教へてやつても役に立たないだらうが、徳田のところはバックが良くない。そのうち分かるよ」