数カ月に一度ひらいてゐる古い仲間の飲み会の通知が来た。次は5月中旬に神楽坂の蕎麦懐石だといふ。
五人が持ち回りで幹事をつとめて、いつもはメールや電話の通知が多いのだけれど、幹事によつてはちやんと封書やハガキでよこす。いまどき、この手の会合の連絡はメールで済ますのが普通かもしれないが、手紙でもらふとなんとなく安心する。机の片隅にハガキを置いておけば、忘れる心配がない。
このあたりが年の差なのだらう。紙に書かれたものがあると、実在感がある。
ぼくはなんでもメモをする癖がある。家人への「スーパーへ行つたらロックの氷を忘れずに」とか「お年玉付き年賀ハガキの切手を引き替へてきて」などといふ日常の連絡も、いちいちメモにして渡す。
「あなたは未年だから、紙に執着するのかしら」
と冷やかされるほど、メモに使へるやうな紙片を大切にする。毎年使つてゐる帝国ホテルの手帳の付録のメモ用紙、もう必要のない現役時代の古い名刺、郵便局で何か買ふとお愛想にくれる正方形のメモ用紙、ティッシュの表紙の宣伝用紙のウラ……なんでもとつておいてメモに使ふ。
IT機器の発達につれて、世の中はペーパーレスの時代になつたやうだ。勤めてゐた新聞社でも海外出張の申請用紙とか帰国後の旅費の精算がペーパーレスになつたと聞いてびつくりした。あれをまことしやかに仕上げるのにどれほど苦労したことか。
世間ではあまり知られてゐないが、数十年前からペーパーレスを導入してゐた業界がある。政界だ。
永田町には「紙」は存在しない。近々誰と誰が新しい議員グループを興すとか、こんどの国会ではあの大臣のスキャンダルを目玉にするとか、もつと硬い話でいへば、ある政策の発想とか、それに基づく法案の骨子とかは、当初、すべてペーパーレスで話が進行する。
何故かといへば、情報の漏洩を防ぐためである。敵対する勢力が右往左往する永田町では、メモを残せば必ず洩れる。
ある大物政治家は、一日が終はると、自分のポケットの手帳のその日のページを几帳面に破り捨てた。秘書にも同じやうに命じる。その日、どこへ行つたか、誰と会つたか、の痕跡を抹殺する。
一行の日程記録が、数年後、裁判所で重大な贈収賄事件の証拠になるかも分からない。日々、明日を見て行動するしかない政治家にとつて、「きのうの記録」は百害あつて一利なしなのか。
ハンフリー・ボガードなら「きのうのこと?そんな昔の話は忘れたよ」で済むが、政治家は時にそれが命取りになる。
ぼくには経験がないけれど、飲み屋のママとの秘密の旅行を手帳に残す男はゐない。それと同じくらゐ、政治家の毎日は危険と隣り合はせで、だからこそ、そこに手帳の存在は許されないといふことだらう。
ぼくは紙が好きだし大切にするけれど、世の中には紙を恐れる人たちもゐる。
