道わきに「梅まつり」といふ桃色ののぼりが目立つやうになつた。ボリュームを上げすぎて、すり切れた雑巾みたいに高音部がかすれた民謡が、次第にちかづく。
 
 梅園の手前に、昔のサーカス小屋のやうな白い大型のテントが張られてゐる。毎年、梅まつりに合はせて全国の陶器業者が集合する「陶器市」だ。
 
 民謡は、テントのてつぺんに据ゑられたスピーカーから流れてゐる。否が応でも梅見の客のこころを浮き立たせようといふ演出だらう。
 
 
 「あら、綺麗な山茶花!」
 
 と家人が、梅園につづく小道にある一軒家をのぞき込んだ。
 
 家の前には白地に黒で「うなぎ」と書かれた看板が立つてゐるが、看板には枯れた蔦草が執拗にからまり、周囲の鉄枠は赤茶色に錆びて、よく見れば家も戸閉めで、あきらかに空き家である。閉店した鰻屋の跡らしい。
 
 
 家人が目を付けたのは、その鰻屋の玄関横にある一本の山茶花だつた。軒先にも届かない若木だが、上のはうに真つ赤な花をいくつも咲かせてゐる。
 
 「主(あるじ)なしとて、春な忘れそ、だね」
 ぼくが言ふと、家人はまだ赤い花をふり返つてゐる。
 
 肝心の梅は、紅梅がさかりを迎へてゐたものの、その梅園の名物である、夥しい数のみどり色の花を花火のやうに展げる古木や、下で宴会もできる白梅の大樹などはまだ蕾だつた。
 
 とくに買ひたいものもない陶器市を一回りして帰りかけると、家人がさつき来た道にぼくを誘導する。
 予想したとほり、鰻屋の廃屋の前で立ち止まり、山茶花の花をのぞきこむ。
 
 「ねえ、あの花、ひとつ頂いて来ていいかしら」
 「だれも住んではゐないらしいけど、一応他人(ひと)の家の花だよ」
 「欲しくなつちやつた。うちの玄関に飾りたいの」
 と言ひながら、もう鰻屋の敷地内に踏み込んでゐる。
 
 「立派な窃盗だな、いくら花でも」
 家人の背にさうつぶやきながら、ぼくは小道のはうへ向き直つて鰻屋の入口に立ち、さりげなく通行人の目を警戒する。花泥棒の見張り役である。
 
 「さざんかの宿」といふ演歌がある。
 ♪くもりガラスを手で拭いて あなた あしたが見えますか♪
 ♪愛しても愛しても ああ 他人(ひと)の妻♪
 ♪赤く咲いても 冬の花 咲いてさびしい さざんかの宿♪
 
 家の玄関の小さな花瓶にさされた真つ赤な山茶花をみるたびに、普通の家庭に飾るにはふさはしくない花かもしれないな、とニヤリとする。