「エッセー塾のホームページを見ましてーー」

 

見知らぬ人が自宅の固定電話にかけてきた。

 

「エッセー塾」といふのは、読売カルチャーセンターで2008年から開いてゐた文章講座を、5年前に私塾として独立させたもので、ホームページを作つたのはまだ3か月前のことだ。

 

友人や塾生以外の方からの反響は初めてである。

 

以前から個人のブログはやつてゐるが、新聞社を定年退職してから始めた塾に、ホームページ(HP)を開かうとは最初考へてゐなかった。

 

15人ほどの塾生の中に、たまたまインターネットに通暁してゐる女性がゐて、あるとき、「塾といふからにはHPくらゐなければーー。さういふ時代ですよ」と言はれた。

 

HP開設となると、立ち上げはむろんのこと、その後の修正、管理、維持などどうやればいいのかまるで知識がない。80翁には無理かな、と手をつけなかつた。

 

ほどなく、その塾生が「HPの見本を作りました」と送信してくれた。びつくりした。

 

今のことだから生成AIなどの助けを得たのかもしれないし、全国にある似た講座のHPを参考にしたのかもしれないが、その「HPの見本」は、文章講座の紹介として主宰者の言ひたいことが全部盛り込まれてゐて、まさに間然するところのない出来栄えだ。

 

塾の目的、概要、教場の案内地図はもちろんのこと、この塾が普通の文章講座とどこが違ふか、この塾が何を目ざし、どういふところに究極の目標を置いてゐるか、などといふことまで、あたかも主宰者自身が作つたかのやうに、的確に、丁寧に説明されてゐる。

 

一読して、これは使へると思つた。

 

「時代ですよ」

 

と重ねて塾生に言はれてみれば、たしかに今の社会は何ごとにつけ声高に物を主張した方が勝ち、黙つてゐたら負けといふ風潮だ。

 

「ホームページは一種の『旗』みたいなものですから」

 

実は子どものころから、「旗」にはあまり興味がなかつた。といふより好きでなかつた。

 

小学校で運動会の前日になると、校庭のまん中に電信柱のやうな高い柱が立ち、そのてつぺんから四方に赤や青の万国旗が泳ぐのを見ると、教室でひとり暗鬱な気持ちになつた。

 

運動会が嫌ひだつた。

 

足も速くなければ飛んだり跳ねたりも苦手。運動会といふお祭りは、いつもの授業ではおとなしくしてゐる悪童たちが、年に一回、自分たちの秘めた能力を誇示する日だと思つてゐた。

 

「母の姉が亡くなり、明日お葬式で母と一緒に行かなければならないので、運動会はお休みさせてください」

 

前日、担任の老女性教師に申し出た。

 

「あら、さうなの。さういへば、去年も運動会の日にご親戚のお葬式があつたわね」

 

誰もが外ではスマホを手離さず、家に帰ればパソコンで情報を得る今、ネットで「我ここにあり」と声をあげなければ、その存在自体が見えないものになる。

 

戦国の世では、武将たちは各々「旗印」を掲げてぶつかり合つた。

 

今の時代も、好き嫌ひはとまれ、何らかの「旗」を掲げて自分の存在をアピールしたはうがいいのかもしれない。

 

テレビ局の一醜聞に過ぎないタレント・中居正広の女性スキャンダルがこれほどのニュースになつたのは、従来、ヒミツとされてゐた“芸能界のウラ”の一端が一般人の目にさらされたからに違ひない。

 

テレビに出演する芸能人やテレビ局スタッフが、自分たちでひそかに、どのやうな愉楽の時間を過ごしてゐたかなどといふ、これまであまり見聞することが不可能だつた世界が、テレビ局主催の数度の記者会見や、定時のNHKテレビニュース、昼日中の各局の報道バラエティーで明らかになつた。

 

そこには番組の打ち上げパーティーでの“女子アナの接待”などといふ、一般には耳新しく、興味津々な慣習まで暴かれた。

 

従来、一般人には閉ぢられてゐた“クローズド・エリア”の話が、お茶の間のテレビに連日流れることになつた。

 

ぼくは新聞社に41年務める間に、さういふエリアをちらと覗いたりする機会があつたから、とりわけ耳新しいこととも思へなかつたけれど、いま改めて思ふのは、かういふニュースがお茶の間に流れることが果たして意味のあることなのかどうかだ。

 

ぼくが中学生のころ、町の一角に堂々と存在した「赤線」や「遊郭」を例に挙げるまでもなく、政治記者として連日いやといふほど目にしてきた政治家などの料亭遊びや、夜の新宿や渋谷で見かけた性風俗など、いちいち列挙したらキリがない大量の不道徳なウラ情報を見聞きしてきた。

 

さういふ情報は新聞の政治面には書けない。新聞記者をやりながら、『新潮』『文学界』などの純文学雑誌に筆名で小説を書いてゐたので、さういふ興味深い話を耳に挟むと小説に書いた。

 

しかし、かういふ“クローズド・エリア”のことを、お茶の間の人間が知ることにどんな意味があるのだらうか。

 

“クローズド・エリア”には、まともな市民生活にマイナスを及ぼす常識もある反面、粋な世界独特のマナー、戒律、風趣など、ウラ社会でなければ知り得ないことも多く、そこにはそれなりの魅力も魅惑もある。

 

それが意に染まないからと言つて、今回の中居スキャンダル騒動に見られるやうに、みんなが道徳家や宗教家になつて、寄つてたかってあれこれ批判、排斥して行つたら、ぼくたちが生きるこの社会は、なんとも貧寒で、無粋で、まさしく退屈な、いぶせしものになつてしまふのではないか。

 

テレビ局の人間やタレントたち(ついでに言へば永田町の面々も)に対して、深山に住まふお坊さんみたいな謹厳、清閑な徳を備へよと言つたつて虚しい。

 

言ふまでもなく、人にはそれぞれ「場に見合ふ」適性といふものがある。

午前2時、深夜のしじまの暗い底を尖つた針で縫ふかのやうに、救急車が神経質なサイレンの音をひびかせて移動してゐる。

 

救急車の周辺では、今夜もまた、小さな悲劇や苦難が繰り広げられてゐるに違ひない。

 

そのサイレンは、いつも遠くで鳴る。隣り近所や裏の路地で聴くことはない。

 

サラリーマンのころから、寝床に就くのは大体この時間が習慣になつてゐる。

 

NHK「ラジオ深夜便」の午前2時のニュースを聞いてから、枕許の明かりを消し、目を閉ぢる。

 

もうすぐ82歳。

 

行く先に白いゴールのテープがほんのりと見えてきた。

 

人生の第4コーナーを曲がつたところである。

 

幸ひにといはうか、不幸にもといはうか、身辺は常に閑寂で、大きな悲劇も喜劇もない。

 

平々凡々、舟はほとんど凪(なぎ)の海を進んできた。

 

3人姉弟の末つ子として生まれると、両親は「初めての男の子」と歓呼で迎へ、高校を出ると当たり前のやうに1年浪人し、大学を終へると当たり前のやうに就職し、同じ会社に41年間、「病欠ゼロ」だけを誇りに勤めて、当たり前のやうに定年を迎へた。

 

リタイアして間もなく20年。

 

命にかかはるやうな大病に罹ることも、迷惑な不祥事や犯罪に巻き込まれることもなく、反対に、宝くじに当たるやうな僥倖に恵まれることもなく、気がついたらこの歳になつてゐた。

 

人の一生つて、こんなに平板で無感動でいいのかしら、といふ焦燥がないわけではない。

 

いや、もしかしたら実際には人並みの苦楽に遭遇してゐるのかもしれないのだけれど、他人より「苦楽に対する感度」が悪いから、それに気づいてゐないだけのことか、と考へることもある。

 

何ごとに際しても、まあ世間といふのはこんなものさ、こんなことは日常茶飯事、気にするほどのことではない、と遊惰に見過ごしてしまつてゐたのかもしれない。

 

幼いころ、ぼくが学校や友人との間で何かあつて泣いて帰つたりすると、病弱だつた母親から「そんなこと、大したことではありません。高く超越して!」と厳しく諭された。

 

一生の半分を費やした新聞記者の仕事でも、学生時代から始めた小説書きでも、もしや「高く超越」した感度の鈍さがマイナスに働いたか。

 

いまさら反省しても詮無きことだけれど。