ナベツネさんが読売新聞のワシントン支局長から東京本社政治部長に異動して間もないころ、ぼくが所属する法務省記者クラブに電話が入つた。
部長から記者に電話があるのはろくなことではない。お説教か、無理難題を命じられるかである。
「キミは小説を書くんだつて?」
部長になつて間がないのに、一部員の私事まで誰に聞いたのだらう。
「はい。学生時代から編集者との縁で、『新潮』や『文学界』にたまに載せてもらつてゐます」
「それはいい。さういふ特技は大事にしないとな」
「ありがたうございます」
新任部長と一対一で話をするのは初めてだから、こちらは緊張してゐる。
「来週の部会で担当替へを発表するんだが、キミは平河俱楽部で中曽根派を担当してくれ」
「――はい。分かりました」
ナベツネさんは、「そしてだな、小説を書くやうなつもりで、中曽根のソフトなハコ物を休日原稿でどんどん書いてくれ」と付け加へた
当時、中曽根康弘氏は自民党幹事長で、ナベツネさんと中曽根氏は、かねてから知らぬ者のない盟友関係にあつた。
「平河倶楽部」は自民党担当記者倶楽部のことで、自民党本部が東京・平河町にあることからさう名づけられた。
「ハコ物」とは、新聞の政治記事の中の軟派な読み物として、罫線などで四角く囲まれたハコ型の記事をさす業界用語である。
「はい」
ぼくの返事は生半可になる。
「どうも中曽根は世間では『風見鶏』なんて言はれて、政界遊泳術一筋の、ズルくて面白味のない人間と見られてゐるので、政治面のハコ物で中曽根の人間らしい面を売り出してやつてくれ」
ナベツネさんに一対一で命じられたことがもう一つある。
ぼくが『王道の孤独』といふ中曽根康弘氏を主人公にした小説を出版したときだつた。
『週刊読売』の編集長をしてゐたぼくに、論説委員長のナベツネさんから電話が来た。
「中曽根の小説を出したさうだな」
政治部から週刊誌に移つて数年経つてゐたので、『王道の孤独』の出版に関しては特に報告してゐなかつた。
当時、中曽根氏は総理大臣になつてゐた。
「人から聞いたんだが、その中にオレのことが出てくるんだつて?」
「ええ、まあ。少し」
「すぐ持つて来い」
本が手元になかつたので、読売に近い八重洲ブックセンターまで行つて購入、恐る恐る論説委員長室へ届けた。
「物書きならとうに承知してゐるだろうが、本を出したらモデルに使つた人間には真つ先に献本するものだ」
本を差し出すと、ナベツネさんは「よし」と受け取り、「中曽根は何か言つてゐたか」と言つた。
「いえ、官邸の秘書さんを通して届けましたが、まだ何もーー」
「わかつた。オレは読むのは早いから、追つて沙汰する」
どんな「沙汰」があるのか数日ひやひやしたが、結局、「沙汰」はなかつた。
ナベツネさんは新聞記者としても新聞経営者としても最後まで「王道」を歩んだが、ぼくの見るところ、中曽根氏に似て、常に「孤独」な感じがした。
◇追悼 渡邉恒雄氏 2024年12月19日,肺炎で死去。98歳。東京都出身、読売新聞主筆。
