この10年近く、毎日立ち寄る近所のブラスリーでは、店内に有線放送のジャズやロックを流してゐる。
ロックを聴きながらワインを飲むといふのは少々不釣り合ひながら、本当をいふと、最近までその店に音楽が流れてゐることに気がつかなかつた。
小学4,5年の2年間、学級委員のかたはら放送委員なるものをつとめた。運動会や学芸会のイベントで、司会進行のアナウンスの生徒側代表を受け持つのが主な仕事だが、日ごろの任務としては、毎朝、児童が登校してホームルームが始まるまでのだらだらした時間に、全教室に音楽を放送する。
朝、学校へ行くと、教室へ行かずに放送室へ直行する。マイクのスイッチをオンにする。
「皆さん、お早うございます。今日も一日、元気に、たのしく頑張りませう」
放送室備へつけのレコードケースから適当にLP版を選び出し、そつと針を置く。
ケースの中は、当時の音楽教師の趣味だつたのか、クラッシックばかりだ。小学生にはあまり興味も知識もないベートーベン、ハイドン、ヨハンシュトラウス、モーツアルト、ドヴォルザーク、ブラームス……手当たり次第に何でもかける。
曲の紹介で「魔弾の射手序曲」がうまく言へなくて、「マダンノシャシュショ」なんて何度も噛んだりした。
いふまでもなく名曲の数々をかけながら、放送委員の役目だから仕方なくやるけれど、こんな面白くもない音楽を全校に流し、小学生にむりやり聴かせて、一体どんな意味があるのだらうと首をかしげた。
校内放送を監督する教師にすれば、朝から小学校で美空ひばりや三橋美智也を流すわけにもいかないから、クラッシックをかけるやう指導したのだらう。
いまブラスリーでひびく音楽にあまり関心がないのも、小学校時代にしみついた音楽不感症の影響かもしれない。
ワインを手にしながら、店内に流れるジャズは耳に入らない。耳に入るのは、隣のテーブルの老女たちの会話や、向かひの半円形のシートに陣取るサラリーマンたちのおしやべり、店長の中年男と女性店員とのやり取りなど、周囲の雑音だけである。
その店へ行くとき、もう少しで書き終はる雑文や読みかけの本、頼まれた俳句の選句など、簡単な仕事を持参する。
小説の新たな構想とか難渋する部分とか、油の切れかかつた頭をフル回転させる必要がある作業には、書斎のやうな無音状態でなければならないが、ワインの酔ひのなかでもこなせる軽い仕事には、むしろ適度な雑音があつたほうが事がはかどる。
八十歳は越したと思はれる女たちが歌舞伎俳優の妻の病気の最新情報を交換し合つてゐる。
チーママのやうな古手の女店員に、「さつきも言つたぢやないですか」と店長が逆に説教されてゐる。
帰社する前に仕事をさぼつて集合した働き盛りの営業マンたちが、管理職の非常識をどうやつて社長の耳に入れるか策を練つてゐる。
少し離れたテーブルでは、疲れたスーツ姿の老人ふたりが、安倍首相と森友学園の関係について、「あれはアベノミクスを苦々しく思つてゐる米CIAが仕組んだ対日工作だといふ話を聞いたが」とどこからか仕入れてきたヨタ話を口にし、もう一人が「ありうるね。田中角さんのロッキード事件と同じ構図だよね」と応じてゐる。
雑音は聞き流すに限る。あまり引き込まれると、持参した「簡単な仕事」に支障が出る。
しかし、この手の雑音は、「簡単な仕事」に飽きた頭には午後の一杯の珈琲のやうに絶好の活性剤になる。ロックのBGMよりずつといい。
