50歳を越えた友人の母親が、半月ほど前に心臓病のために自宅で急死しました。ほぼ平均寿命でした。
90歳を越えて遺された父親は、まさに昔気質の家長で、家事全般はむろんのこと、役所とか銀行関係、親戚や近所付き合ひまで、すべて連れ合ひ任せだつたので、大層当惑し、見るも哀れに落ち込んでゐるさうですが、ぼくの感じでは、いまだ独身で一人息子の友人が、実は父親以上に憔悴してゐます。
マザコンの典型ともいへる友人は、葬式が済んで数日、腰痛を生まれて初めて発症、医者に診てもらつたら背骨も軟骨も異常はなかつたさうで、その直後、こんどは胃に異変を感じて病院へ行き、医者の言ふままに胃カメラ検査をしましたが、やはり「異常なし」でした。
彼は今週から、重症の花粉症に苦しみ、鼻を真つ赤にしたり数時間おきに目薬をさしたりして、おそらく無駄なのに医者通ひをしてゐます。
ぼくの素人診断では、これらは腰が悪い、胃腸が悪い、花粉症が悪いではなくて、要するにすべての不調の因は心身症、ノイローゼです。
父親同様、何もかも依存してゐた人の死にうろたへた五十男は、心の平衡を失ひ、突発性の心身症に罹つたに違ひありません。花粉症の次は、頭痛とか胸痛とか歯痛とか、また別の病気をさがすことでせう。
「もつと鈍感になればいいんぢやないの」
ぼくが言ふと、
「鈍感に?おふくろの死をあんまり悲しむな、つて言ふの」
と彼は珍しく突つかかつてきました。
「悲しむなとは言はないけど、寝ても覚めてもそのことばつかり考へてるのは良くないと思ふな」
「だけどさ、母親の死つていふのは男には堪へるね。経験あると思ふけど」
それは分かるが、彼の場合、奥さんがゐないといふ事情も手伝つて、母親が亡くなつたことで、これまでの生活環境があまねく変革するやうな不安に襲われたのではないか。
こんごの家事すべて、父親の面倒、親戚付き合ひ、財産の管理……。
その延長線上で、母親任せだつた自分の健康にも自信がなくなり、夜寝てゐるとあつちこつちが不安になつて、つまりは不定愁訴に悩まされることになつたのではないか。
「お母さんがゐなくなつたからといつて、きみの腰が急に痛くなつたり胃が急にをかしくなるのはヘンぢやないか。あまり思ひ悩まないことだよ」
「他人はさう言ふけどさ――」
彼は冷たいなあといふ顔をこちらに向けます。ふだんと違つて気がいら立つてゐるのです。
現代人は何かと神経をとがらせるのが好きです。
自分の健康ばかりではない。他人の不正や疑惑を見つければ、どんなに些細なことでもそれを糾弾し、相手が謝るまで追及し続けなければ納得しないのは、なにも国会の野党だけに限りません。
他人の非をとがめ、社会の非を非難し、いつもいらいらして、何かに怒り、何かに自分の焦燥をぶつける。あるいは何かを不安に感じ、それを排斥しようとして、常時その原因を考へ、対策を考へる。
だからいつも額に皺が寄り、不機嫌で、暗い目になる。
周囲を批判し、つねに周りに対して怒つてゐること、または自分の周りに不審の材料を探しつづけることが、知性の証明でもあり存在意義でもあるかのやうな風潮が広まつてはゐないでせうか。
われ悩む、ゆゑにわれあり、なんてあまり楽しい生き方ではないと思ふのです。下手な考へ、休むに似たり、といふことばもあります。
