「北朝鮮が北海道越えのミサイルを撃つてくれたお陰で、蕎麦屋で四苦八苦してゐた安倍さんも風が変はりましたね」
記者時代の後輩の老政治評論家が、わけのわからないことを言ひます。
昔は真率そのもの、どちらかといへば学究肌の記者だつた男も、古希を迎へ、テレビの報道バラエティーなどに出演するうちに、ナゾにくるんだ物言ひが身についたやうです。
「蕎麦屋で四苦八苦つて?」
「だつてさうでせう。『もり』だとか『かけ』だとか、所詮、蕎麦の話ぢやないですか」
なるほど、さういふ笑ひ話か。森友学園や加計学園の問題で野党にさわがれたのは、彼によれば蕎麦程度の話といふことらしい。
もう一つ、彼の言葉で不可解だつたのは、こちらは語呂合はせや掛け言葉ではないから、やや政治的な真面目な話になるけれど、「安倍さんも風が変はりましたね」です。
ぼくの見るところ、安倍政権をめぐる状況は、蕎麦屋の話の前と後で少しも変つてゐません。
依然として一強多弱な環境であり、自民党内で政権基盤が揺らいでゐるわけでもないし、党内に「反主流派」が誕生することもなく、「安倍降ろし」の声が高まつてゐることもありません。
こんな状況をさして「風が変はつた」といふ政治評論家の言葉は的確ではないと思ふのですが、現役のころを思ひ返せば、これは永田町に昔から染みついてゐる業界用語の一つで、
永田町ではなにか起きたとき、「風が変はつた」と評すると、聞いてゐるほうもなんとなく、ああさうなんだと納得してしまふところがあります。
風なんて、もともと目に見えません。目の前の塵が吹き飛ばされて行くのが見えるわけでもありません。
分かつたやうで分からないところが、この言葉の便利なところで、この手のわけの分からない用語は、わが国では、戦乱に明け暮れた戦国の世の時代からよく遣はれてきました。
「その時から、戦ひの流れが変はつた」などといふ「流れ」も同じ仲間の言葉です。
「流れ」なんてだれも見たことはありません。ムードに過ぎない。
「ゲームの流れは完全にジャイアンツに来ましたね」と野球評論家が言ふともつともらしく聞こえますが、どんなに「流れ」が来ても、次の打者が併殺打を撃てばチャンスは途絶えます。
サッカーのゲームでは、「いまは日本チームにとつて苦しい『時間帯』です」などとよく言ひます。次の一瞬、一人がこぼれ球を拾つてカウンター攻撃、得点すれば、そんな「苦しい時間帯」は妄想であつたことが分かります。
一定の時間を束ねた時間「帯」なんて元来存在せず、時間にあるのはコツコツといふ秒刻みの瞬間瞬間だけです。
人は「説明のつかない事態」に当面すると、風だとか流れだとか言つて自分を納得させようとします。それを聞いて、また周囲も納得する。
神のみぞ知る、人の力のおよばない世界を前にして、人はさういふ言葉に逃げるのです。
近年の北朝鮮の狂気は、風でも流れでも説明がつきません。誰がみても今、世界はキナ臭い方向へ向かつてゐますが、それが風や流れだと言つてみても始まらない。
さういふ「説明のつかない」風や流れを止めるだけの能力が、悲しいかな、人類にはないといふことでせう。
