清酒メーカーの「執行役員 戦略開発本部長」といふ役職にゐる五十男が、年賀状の添へ書きで「清酒の世界もコモディティ化の波を受けて、大変です」と嘆いてゐました。

 商品がよろずにコモディティ(commodity・日用品)化する現象は、しばらく前からファッションや電化製品、家具、化粧品など、私たちの生活全般に襲来してゐる大きな津波ですが、最後の防護壁ともいふべき(?)嗜好品の世界にも浸透してきてゐるとは知りませんでした。

 広島大学で醸造学を学び、灘の清酒メーカーに就職してからは「より旨いお酒」の追求に尽瘁、それまで酒米といへば「山田錦」一辺倒なのに飽きたらず、数年前から自社の名前を冠した酒米の開発に成功して、終始、吟醸酒のトップをめざしてきた彼のプライドには、「安ければいい」といふ最近の酒好きの風潮はなんともやりきれなく映るやうです。

 いくら旨い酒を造つても、売れ行きに陰りが出たら役員として困るのは言ふまでもありません。

 電話で詳しく話を聞いたら、取締役会のたびに、社長からは派手なテレビCMで執拗に大衆路線を突き進むライバル社に負けるなと尻を叩かれるさうです。
 
 日本で「安ければいい」日用品を最初にひろめたのは、昭和後半のスーパーマーケットで、そこに行けば日常必要な商品は何でも揃ひ、大量販売のおかげで比較的安く手に入りました。

 ブランド物ではないし、特に味はひが飛びぬけてゐるわけではないけれど、毎日食べたり使つたりするなら不都合はない。他人に見せるものではないが、ふだんの生活で手にするには十分です。何より安いのがいい。

 平成に入つて、その役割を担ふやうになつたのが、日本全国、どこにでも展開するコンビニです。

 高級品とか個性的な商品はないけれど、明るい棚には、平準化された安直な商品があふれてゐて、気楽に間に合ふ。

 いまでは取り寄せ品の伝票振り込みなど簡単な銀行業務までこなすやうになつたりして、まさにコンビニエンス(便利)です。
 
 何でも揃ひ、しかも安くて、一応の用は足りる。それに慣れてしまつたら、よほどの物好きか趣味人でもなければ、あらためて専門店まで出かけようといふ人はゐない。日本のコモディティ化は大成功したのです。

しかし、もしかするとこれは「日本人の退廃」につながる問題をはらんでゐるかもしれません。

すべて適当なところで妥協し、より素晴らしい物、より旨い物、より情趣ゆたかな物への渇仰を失ふと、人の感性や知性はその段階で成長を停止し、あとは日を追つて鈍磨するだけでせう。

たかがお酒の話ならまだいいですが、これが日本人の人間性にまで浸透すると、このミステリアスな東洋の小国の、繊巧な詩趣や閑雅な感受性はどうなるのか。

すでにその兆候は、随所にあらはれてゐる気がします。

いまや不当にも夜のテレビを独占しつつある無芸な芸人たち、もう一歩世界に羽ばたけない作曲家や画家、その裏で、社会の隅に押しやられる古典芸能や伝統技……。

いま話題になつてゐる大相撲の日本人力士の衰微も、若者たちがコンビニエンスにカネになるスポーツに走つた結果とは言へないでせうか。

かく申すぼくの書く文章も、コモディティ化の波に侵されて、われ知らず、次第に「日用品化」しつつあるやうな、不甲斐ない思ひがしてゐます。
 近くの官幣大社の参道で、初詣客目当てに店をならべてゐる露天商の男が、店のテントの裏に出て同業者とひそひそ話をしてゐる。

 「女だからつて、あそこまで阿漕に稼ぐのはどうかと思ふよ」

 「ふだんの倍の値段を付けてゐるし、家族連れが歩いてくると、つと綿あめの袋を子供に差し出して、とにかく持たせちやふんだからタチが悪い」

 隣で綿あめ屋をひらいてゐる、まだ二十代と思はれる女の悪口を言つてゐる。組仲間の「いはく」付きの女なのか、大きな声では非難できないらしい。

 いつものワイン屋に入つて行くと、横のテーブルで保険会社の新年会の流れの女たちがわいわい騒いでゐる。

 「ねえ、山本さんのけふのスーツ、見た? ボタンが今にも吹つ飛びさうなくらゐに下腹がパンパンに張つてゐたでしよ。あれ、痩せてゐたころの一張羅に、無理して体を押し込んでゐるのよね」

 「あの色の上下はないわよね。明るいピンクとグリーン。朝鮮のチマ・チョゴリみたい」

 他人の悪口は蜜の味。雑談のネタとして、陰口や噂話ほど盛り上がるものはないが、ぼくの知る限り、他人の悪口をいちばん好む人種は永田町の政治家たちだ。

 料亭で十人ほどの宴会をひらき、ほどなく「それぢやあ、ちよつと予定があるので」と数人が引き上げる。残つたメンバーは一斉に、今ゐなくなつた人たちの悪口を言ひ始める。
 
 「山口は地元の有力な支援者が死んで、相当カネに困つてゐるらしいな。次々と故郷の山を売り始めたといふ噂を聞いた」
 
 「山下が奥さんを選挙区に帰して、秘書の女と九段の議員宿舎で同棲してゐるといふけど、あそこに秘書を住まはしてもいいのかねえ」
 
 「では私もそろそろ」と、また三人が腰を上げる。残されたのは二人。待つてましたとばかりに、いま帰つた三人の悪口を言ひ募る。

やがてその材料にも尽きると、二人は自宅に帰つて、こんどは奥さんを相手に、
 「あいつも相変はらず酒癖が悪い。あれぢやあ、地元の有権者にも呆れられて、次の選挙は危ないんぢやないか」
 とさつきまで一緒だつた男の悪口を言ふ。
 
 日本だけではなく、アメリカのトランプと北朝鮮の金正恩にしても、年が変はれど非難合戦は激越になるばかりで、そこでふと気づいたのだけれど、このところぼくの飲み友達や友人はみんな他人の悪口を言はない。

 いや正確には、他人の悪口を言はないやうな人間ばかりがぼくの周辺に残つた。

「池坊保子といふおばさんとは渋谷の講演会で一度会つたことがあるけど、彼女は自分を何者だと思つてゐるのだらうね。相撲協会の評議員会議長だか何だか知らないが、理事長、横審、親方、横綱、それに何より全国の相撲ファンより、相撲界では自分が最高に偉いと錯覚して、大相撲は右でも左でも自分の思ひどほりになると思つてゐる」

ワイン片手にぼくが言つても、みんな薄ら笑ひを浮かべるだけで、同調もしなければ反論もしない。

他人の悪口を言ふには、それなりに悪のエネルギーが必要らしい。
 少し先を、覚束ない足どりでひとりの老人が歩いてゐる。

 踵(かかと)が地面すれすれしか上がらないうへに、膝から下が不安定で、一歩前へ踏み出すごとに靴底がコンクリートに擦れて前のめりによろける。

しかし、あやふいところで後ろ脚が前に出て、まるで「起き上がり小法師(こぼし)」のやうに転びさうで転ばない。もう七十代も後半だろうか。

待てよ、と瞳を凝らす。後ろから見るその危なつかしい歩き方には親近感がある。

JRの駅に通じる道で、しばしばその後ろ姿を見かけ、追ひついて追ひ越す。老人の数メートル後ろまできて、やはりさうだつたかと思ふ。親父だ。

「先に行くよ」

脇を通り過ぎながら声をかけると、老人は突然のことにびつくりしつつも、こちらにゆつくり顔を回して、
「おう、先に行つて。……行つてらつしやい」
とやや恥づかしさうな目になる。

自宅を十分近く先に出たのに、駅の手前であへなく追ひ抜かれるのが、父親として面目ないといふ顔つきである。

当時、親父は駅を通り抜けたところにあるオフィスで、ある団体の事務局長といふ気ままな余生仕事をしてゐた。

水戸市郊外の農家に生まれ、幼いころ両親が相次いで病死して親戚に預けられ、勧められるままにその土地の警察官採用試験を受けて巡査を拝命、

つまり一介の「お巡りさん」から、警部補、警部、警視と、昇格試験つづきの世界を抜け、ノンキャリ組としてはめづらしく県警本部の刑事部長にまで昇りつめた叩き上げは、

時代の風潮で四十三歳の若さで後進に道をゆづり、軍用機を製造してゐた中島飛行機製作所に天下りした。

ぼくが生まれたのはその翌年、親父が四十四歳のときで、五十歳を過ぎてからは地元の自治体に拾はれて総務部長に秘書室長、さらに警察時代の縁故で自動車教習所の校長を務めた。

転びさうで転ばない身の処し方は、そんな境涯の中で身につけたものに違ひない。

最近ふと気づいたのだが、通勤途中に老人を追ひ抜いた三十代初めの若者も、まもなく当時の老人の歳にちかづく。

八十歳を越えても、毎朝三十分かけてオフィスへ通つてゐた人の息子は、六十五歳でリタイアすると、「風ぐるま 風が吹くまで 昼寝かな」(広田弘毅元総理)の気分で、

月に数回、駄弁を弄するだけの政治講演や、駄文を弄するだけの講師仕事に出かけるものの、あとは自宅で売れない小説を書くか、昔の仲間との飲み会に出かけるか、近所のワイン屋で幼友達らと酒を飲むかの遊惰な日々――。

親父は八十一歳のとき、『警察生活の回顧』と題する二百ページ余の自分史を出版、八十四歳で死んだ。

子は親の背中を見て学ぶといふが、この歳になつて初めて、親父のよろよろ歩きを思ひ浮かべては何かしら叱咤されるものを覚える。

精々、「起き上がり小法師」のわざでも学ばうか。