黒服と言つても、銀座や新宿の夜のバー街をうろうろしてゐる男たちのことではなく、単純に「黒い服」、早い話が喪服の話です。

94歳で亡くなつた義兄の通夜の清めの場で、参列してくださつた方々に御礼の挨拶をするやう喪主の姉から頼まれました。

椅子から立ち上がり、数十人の参列者一同の席をながめて、思はずたぢろぎました。

最近読んだ夏目漱石の短編に、夢の中で白豚の大群におそはれる場面があつて、まさに「恐縮した」といふ表現があり、

さうか「恐縮」とは、現代の用法とは違つて、文字そのまま「恐れて縮み上がる」、つまり恐ろしい目に遭つたときの恐怖といふのが原義だつたのかと、明治時代からの語意の変遷を発見した気分になつたのですが、

ぼくが通夜の席で居ならぶ参列者に相対したとき感じたのも、漱石が夢で白豚におそはれたときの恐怖に近いと思ひます。
 
 目の前にぢつと並んでゐるのは、しかし白い豚ではなくて、真黒な喪服に身を包んだ男女です。同じ黒服でも人によつて微妙な違ひがあつて、

 星のない夜空に似て、のつぺりとした平板な黒もあれば、夜の川面みたいなうねりを内包した黒もあり、

 しばらくぶりに箪笥の奥から引つ張り出したのか、刷毛で梳いた麻地のやうな、古びた風情の黒もあれば、おそらくマナー違反でせうが、絹のやうな真新しい光沢を帯びた黒もあります。

要するに、目の前にあるのは黒い濁流です。濁流は、挨拶に立つた親族代表とかいふ見知らぬ老人を、ひたすら見つめてゐるのです。

日ごろ講演会の講師として壇上にあがり、用意された水差からコップに注いで一口飲んで――さて会場を見わたすと、男女のカラフルな服装があります。

カラフルな服装は話しやすい。反対に、真黒な人の並びはこちらを威圧します。

 散歩の途中、レストランで憩んでゐると、葬儀や法事のあとのグループと遭遇することがあります。ときには結婚披露宴帰りの男性の一団と一緒になります。

どちらも黒い服です。ときどき防虫剤の匂ひがしたりして、とてもワインを楽しむどころではない。

黒い服のグループは(大概酔つぱらつてゐることもあつて)一様に自己主張し、横暴で、無礼です。

週刊誌の編集をしてゐたころ、表紙やグラビア撮影の打ち合はせで、タレントの付け人や芸能プロダクションの人間としばしば会ひました。

彼らも黒い服が好きです。例外はありましたが、概して自己主張が強く、横暴で、無礼でした。

いま、喪服はなぜ黒一色なのでせう。

喪服が黒、といふ歴史はあんがい浅く、江戸時代までは白い喪服も認められてゐたさうで、フランスやイタリアでも16世紀ごろまでは宮廷では白い喪服が主流だつたと言ひます。

一見謙虚で控へめで、物静かに見える黒服――それがグループとなると、やくざの集会を思ひ浮かべるまでもなく、ご近所の中学、高校生たちの制服集団を見てもお分かりのやうに、自己主張し、横暴で、無礼な印象を与へます。

近年、結婚式では銀や灰色の礼服を着る男性も増えてきたやうです。

女性はもともと赤や青や白で華やかです。男性の礼服ももつとフリーに考へてもいいのではないでせうか。

かく申すぼくも、ふだんの外出では赤シャツに黒いジャケットを着たり、上下黒づくめの服装が多いので、さぞかし自己主張が強く、横暴、無礼な印象を与へてゐるでせう。
 国が推奨する「家庭医」制度にしたがつて、月に一回、近所の内科医にコレステロール薬と降圧剤をもらひに行くのですが、ことし誕生日を迎へてから、医院に行くのが憂鬱でたまりません。

この歳になつて初めて、自分がさう呼ばれるのだと気づいたのは迂闊といふほかなく、昭和10年代の末に生まれ、「戦中派」とか「戦後世代」とかいふ括られ方をして、さらには、少し後輩たちが「団塊の世代」と呼ばれるのも特段気にかけなかつたのに、75歳になつて、医者に行くたびに「この呼称だけは許せない」思ひでいつぱいです。

後期高齢者医療保険被保険者証――医院の窓口に提示する保険証の名称です。

「後期高齢者」とは何といふ呼び名でせうか。「後期」といふからには「前期」もあるのかと調べたら、自分はもう10年も前から「前期高齢者」に該当してゐました。

国民健康保険だつたから、この呼び名に接することがなかつただけのやうです。

考へてもみてください。「後期高齢者」とは恐ろしい呼び名です。

「あなたはもう高齢者、それも『後期』ですから、その先はありません。安らかに俗名をお捨てになり、お旅立ちください」

当初、霞ヶ関の役人か永田町の政治家か、いづれその辺りの人間が名付けたものだと思ひますが、ずいぶん失敬にして無神経、かつ国語の語感になんとも愚にして鈍なる名称です。

ひとの人生を、便宜的に「前期」とか「後期」などと区分しないで欲しい。

人気パン屋とかイベントの入場券売り場の行列で、「ここが最後尾」といふ旗を持つて案内するならいざしらず、「ここから人生の後期です」などといふ案内は必要ありません。

65歳以上、あるいは75歳以上の国民を、行政手続きの必要から区分したいのなら、もう少しマシな呼称があるのではないでせうか。

一つ、提案します。

75歳以上の後期高齢者⇒「長寿者」
65歳以上の前期高齢者⇒「準長寿者」

日本語の「寿」は、歌舞伎の寿狂言、春を知らせる福寿草のやうに響きのいい語で、「不老長寿」とか「長命を寿(ことほ)ぐ」のやうに縁起の良いことばですから、健康保険証も「長寿者医療保険被保険者証」だつたら嫌がる人はゐないでせう。

ついでに、すでに一般化してゐる「高齢社会」も「長寿社会」でどうでせうか。

ぼくは今後、自分ではこの名称を使はうと思ひます。
 たとへば女性から「あなたとの間には壁がある感じがするわ」と言はれたり、上司や友人から「キミとぼくとの間にはどうやら壁があるね」と言はれたりするとき、たぶん実際には壁はない。

 ここで言ふ「壁」とは、お互ひの人間関係とか意思疎通を邪魔する障害、距離の意味だらうが、一方がかういふことを言ひ出すときは、現実にそこに壁はないのに、その人にとつて壁があつて欲しい、または壁を置きたいと思つてゐる場合が多い。

 世界はいま、アメリカと北朝鮮のトップが5月にも会談するといふので息をつめて注目してゐるけれど、ぶつちやけたことをいへば、北朝鮮のアンチャンが自分の存在を誇示するために、核を後ろ手にして、超大国アメリカの親分に一杯やりたいと誘ひをかけたら、目下、内政で多事多難な大親分が外交で挽回しようとして、「おう、いいよ」と乗つてきただけのことだらう。

 米朝が会談しても世界に恒久平和が訪れるわけではない。ふたりが会つて、ふたりの間の壁を取り払つてみたところで、せいぜい南北朝鮮の間の火ダネが、当座やや下火になるだけの話だ。

 もともと南北朝鮮の間には壁などない。軍事境界線にあるパンムンジョム(板門店)には、北から南から、ピョンヤンからは夜行列車で、ソウルからはバスに乗って入る機会があつたが、どちらから訪ねても、両国の間に壁はなかつた。あるのは幅4キロの非武装地帯を画する有刺鉄線の連なりのみである。

それは20世紀末までドイツ・西ベルリンを取り囲んでゐた「ベルリンの壁」のやうな、あるいは紀元前7世紀から建設の始まつた中国の「万里の長城」2万キロのやうな、あるいは現在トランプ大統領がご執心の米・メキシコ間の壁のやうな、いはゆる「壁」ではなく、板門店中枢部を南北に分けるのは、舗装道路の縁石みたいな、一歩で跨げる、高さ20センチ、幅30センチほどのコンクリートの目印。それは南北両国の思惑が築いた、フィクションの壁に過ぎない。

サラリーマンのころ、会社の編集方針や部長の指導法、先輩の体質、さらには日々の取材相手である政治家――などと自分との間に、牢固たる「壁」があちこちに見えた気がしたものだが、リタイアして少し経つと、それはこちらの錯覚だつたのではないかといふ気持ちが強くなつた。

実際には存在しない「壁」を、こちらの願望で自分勝手に造り上げて、「壁」と戦ふ快感に酔つてゐたのではないか。

いま、毎日のやうに通ふワインレストランのわが「年間シート」は、店のほぼ中央の「5卓」である。

夕方になると、店の女性スタッフが「予約席」の札を置いてくれるので、ランチから長居するおばちやんグループでもゐない限り、5卓は空(あ)いてゐる。

店の大半が見わたせて、常連の誰が来てゐるか一目で分かる上に、そこに腰を下ろすと、左手は吹き抜けの天井まで城壁のやうに上がつた広大な硝子窓、右手は奥行き1メートルもある太い柱がLの字型に壁を作つてゐて、後ろや脇を人が通ることがないので居心地がいい。

自然災害で学校の体育館などに避難した住民は、早い者勝ちで壁ぎはから段ボール箱の壁を築き、しばしの自分のテリトリーを確保しようとする。人間は壁が好きらしい。