街を歩いてゐて、このごろ急に美人が増えた、と思ふ。
擦れちがふ女性に一瞬、ドキッとするくらゐ尋常でない魅力を感じて、思はず後ろ姿をふり返つたりすることがある。喜寿とは言つても、男は変はらない。
擦れちがひざまの相手の視線が、たとへば赤い薔薇の小さな棘のやうにこちらに突き刺さる。
それがもし鋭利なナイフでもあれば、即、身をかはさなければならないが、白い額の下の横長の目から発せられる、稲妻のやうな閃光だから、こちらからも同じくらゐの目力(めぢから)をこめて見返してやる。おとなの遊戯だ。
縁もゆかりもないこちらの執拗な視線を意識して、たまに相手の女性が「どこかでお知り合ひだつたかしら」といふ戸惑ひの目を返して寄こすことがある。
すぐ次の一瞬には元に戻してしまふけれどーー。
それもこれもマスクのせゐである。
これはコロナ騒動が社会にもたらした恩沢といつてもいい。
あちこちで指先のアルコール消毒や念入りな手洗ひをして、いつも清潔な手をした男女が増えたことにつづく、コロナ効果の第二弾。
ついでにもうひとつ付け加へるなら、ソーシャルディスタンスとかで、初対面でも顔なじみでも、以前より若干離れた位置に立つて挨拶したり話をしたりする女性が増えて、これも肌のおとろへや皺を目立たなくして、女性を美しく見せる。
以前なら相手と離れた位置で挨拶したりするのは失礼と思はれたものだが、コロナが常識を変へた。
「目は口ほどに物を言ひ」などと昔から言ひ習はされてきたやうに、もともと人の顔のなかで目の役割は大きかつた。
そこにマスクの登場で、従来、女性の大きなアピールの武器だつた唇や鼻がマスクに隠されることになり、俄然、目の存在感が高まつた。
マスクで隠れてしまふ紅い口紅や頬の立体感の化粧にかけてゐた時間と金を、こんどはアイラインなど目のメーキャップ一点に集注できることになつた。
人間、何かを隠すと、別の部分がかがやいて美しく見えるものなのかもしれない。もつとも男性の場合はマスクをしてもあまり隠し効果は期待できないが。
だが男としては、女性のマスク効果には十分警戒心を抱かなければならない。
擦れちがつた女性の視線とこちらの視線が、蝶がもつれ合ふごとく幸せな着地点を見つけて、ふと横にあるバーで一緒に一杯、なんてことに万が一なつても、男はゆめゆめ油断してはならない。
バーのカウンターで間に一人分の空席を作つて腰かけ、透明のビニールカーテン越しに、それぞれボーイに飲み物を注文する。
「あら、素敵。初めてのバーに入つて、いきなりドライマティーニですか。……さう、私は何にしようかしら」
と女性は初々しく迷ふ。
「ブランデーをベースにした口当たりのいいカクテルをお願ひしようかしら」
ボーイが快活な返事をして準備にとりかかる。
そこで女性は長い指でおもむろにマスクを外す。そのとき気が付いても、もう遅い。
