〇マスクのお陰で、女性はしてもムダな化粧をしないで外出できるやうになつた。

 

〇3月以降、外国人の日本への入国者数は、以前にくらべて9割以上減少した。ここ数年、銀座や赤坂の表通りをぶらぶらしてゐると、前にも後ろにも意味の分からない、やたら大声のアジア語が飛び交つてゐて、国が乗つ取られたやうな不愉快な思ひをしたが、緊急事態宣言が解かれたら、どう様変はりしたか見物に行くのがたのしみだ。

 

〇町は通行車両が減り、人が減り、道路は横断しやすいし、植木等が歌つたやうに「青い空、白い雲」。正月かお盆のころのやうに透き通つてゐて心地よい。

 

〇世界中がたつた一つの敵に神経を費やし、その撲滅が世界共通の至上命題になつて、期せずしてヒト社会は「ひとつ」にならざるを得ないことが再確認され、なんとなく清々しい。

 

〇現役のころは、日没とともにイケナイ情念が疼きだし、暗くなつたら人通りの多い町へ繰り出さないと世間に不義理をしてゐるやうな、妙な焦燥感に駆られたが、店が一斉休業で、夜の町が端正な姿に変貌したといふのは、たとへ一瞬にしろ良いことだ。男は夜の町がなくても生きられることが証明された。

 

〇前からそんなものだらうと想像がついてゐたけれど、パチンコといふものがいかなる業界で、どんな経営者がゐて、そこにはどういふ人種がどういふ気持ちでたむろしてゐるのかといふことが(何を配慮してか明確には伝へないものの)マスコミの現地取材でややあきらかになり、社会の清濁がはつきりした。

 

〇自宅勤務や不要不急の外出自粛で、「道ならぬ恋」を楽しむ多くの男女はさぞや不便な想ひをされてゐるにちがひない。男が家庭に縛りつけられる正月やゴールデン・ウイークには、不倫相手の女性が電車に飛び込んだりする「人身事故」で電車がよく停まつたものだが、今回のやうに二か月にもおよぶと、「道ならぬ恋」も自然に冷めた仲が多いか。「父帰る」の家庭も少なくないだらう。

 

〇10万円一律給付とか休業補償とか、やはりこの世はすべてカネが基本であることを、政府によつて再確認させられた。

 

〇みんなが安価な「ウチでの退屈の凌ぎ方」を研究し、家にゐる術に長けた。

 

〇人間社会は他人との交流があるからこそ円滑に回るものと信じてゐたら、それを7、8割減らしても、社会の存続にさしたる支障もないことがはつきりした。鴨長明のやうな孤独な、偏頗な生き方が流行るかもしれない。

 

〇世界中のいかなる身分、地位にある者でも、いかに有名な芸能人やアスリートでも、目に見えない病菌には等しく危険にさらされることを目の当たりにして、人は動物として、「根源的に平等」が証明された。

 

〇皆がはしなくも生命を意識し、人生を考へ、にはか哲学者になつた。

 

 「東京2020」の1年延期が決定したときは、国もJOCも本気で来年の開催を模索したやうだが、コロナ禍が東京に迫り、緊急事態宣言が出されるに及んで、その声は急速にしぼんでゐるやうに感じる。

 

 世界の状況を見るにつけ、こんどの疫病が当初の見通しほど生易しいものではないといふ認識が浸透したことも大きいが、それ以上に注目すべきは、コロナ禍を機に、あらためて「オリンピックとはナンボのものか」といふ冷静、客観的な見識が、とくに日本国内でひろまつてゐることだらう。

 

 「世界平和の象徴」「人類の祭典」「スポーツ振興」などと、オリンピックにはさまざまな意義づけがなされてきたが、要するにいろいろなスポーツの団体が一堂に会する「スポーツのお祭り」に過ぎない。

 

 それが世界で4年に1回繰り返されてゐるのは、年に1回、小学校や中学校で運動会がひらかれるのと同じ恒例行事だからだ。

 

 しかし、オリンピックはいまや、実質的には学校の運動会よりもその意義が薄れてゐる。

 

 運動会は全校全学年の児童生徒が年に1回、同じ運動場で顔を会はせ走つたり跳んだりする唯一の機会だが、オリンピックに参加する各競技団体には、オリンピックとは別にそれぞれ「ワールドカップ」とか「世界選手権」などと称する「世界大会」が存在し、昨年日本でひらかれたラグビーW杯を例に挙げるまでもなく、陸上、水泳、サッカー、テニス、バレー……など、W杯や世界選手権の優勝者のほうがオリンピックの金メダルよりも尊崇される競技も少なくない。

 

 謂はばオリンピックは、各競技団体の世界大会の屋上屋に過ぎなくなつてゐる。オリンピックが各競技団体のW杯に優るところといへば、参加国が多数であることと、大会の設営、運営に膨大な資金が費やされる点だけだ。

 

 その割にはオリンピックは開催国に多大な犠牲を強ひ、いまや弱小国ではその開催の荷を負へなくなつて辞退するところも出て、もはや実質的に「人類の祭典」とは言へなくなつてゐる。

 

 しかも全競技が一時期に一か所で集中して行はれるオリンピックは、今回のコロナ禍で露呈されたやうに、世界で疫病や戦争が発生するととたんに開催が不可能になり、延期や中止の決定も容易でない。

 

 「世界平和の祭典」といふなら、何も運動会だけに任せるには及ばない。音楽でも学術でも映画でも「世界平和」を謳ふことはできるし、「スポーツ振興」のお題目は社内対抗野球大会でも町内会の綱引き大会でも浸透させることができる。

 

 安倍首相と小池都知事がグータッチして、IOCに対し「中止」ではなく「1年延期」を求めたのは、かういふことだつたのかといま気がつく。

 

 いきなり「中止」では日本国民のショックが大きいし、国際社会に向けても体裁が悪いから、日本国民が「もはや中止もやむを得ないか」といふ諦観に達するまでの時間稼ぎに「1年延期」を選んだ。

 

 「中止」に軟着陸させるための猶予期間としての「1年」だつたのである。

 

もう暫くするとこの顛末は一層明らかになるだらう。そのとき安倍首相は記者会見で言ふ。

 

「ご承知のやうに、専門家の意見を聞いても、コロナ禍の終息にはなほ時間を要する見通しですので、胸の張りさける思ひですが、『東京2020』は中止といふ決断に至りました」

 

(飲み仲間の80翁の告白)

 

昨年の暮れから、よんどころない事情で老人施設に押し込まれ、新聞も読まなければテレビも見ないといふ生活を二か月余もつづけて、今週初め、久しぶりに外に出てみたら、世の中、様変はり。まるで浦島太郎状態ですよ。

 

施設の殺風景な玄関を一歩出たときから、ヘンだなとは思ひました。

 

道をはしる車の数が極端に少ない。まるで昭和のころのニッポンです。

 

車だけではありません。街を行く人影も少ない。あの九年前の東日本大震災の直後もさうでしたが、空から何か悪いものでも降つてくるのですかね。散歩や買ひ物に出かけるのをみんな我慢してゐるのですか。

 

その少ない人影の全員が、律儀にマスクを着けてゐるのにもびつくりしました。

 

施設内にも毎日同じマスクをしてゐる老女はゐましたが、わたしはもともと、マスクといふのはその人の癖か、対人恐怖症の人のサングラスみたいなものか、あるいは鼻の形が歪んでゐるのを隠さうとする人の小道具だと考へてゐたので、今回、大人も子供も若い男女も、みんな鼻や口を白い布で覆つてゐるのには、ある種の宗教集団を見るやうな思ひです。

 

平日だといふのに、子供の姿がやけに目立つのも異様な感じがしました。

 

祝祭日か学校の設立記念日か、けふだけお休みなのかと思ふと、同じ子供が翌日もうろうろしてゐる。国の命令で小中高校がお休みなのださうですね。戦争でも始まつたのですか。

 

よく飲みに行くのは結婚式場の経営するワインレストランなのですが、大口の結婚式が次々と{当面延期}とキャンセルになつてゐるさうで、七十代の女性社長が「初の経営危機」と泣いてゐました。

 

「できちやつた婚」なんか困るでせうね。「当面延期」されてゐるあひだにも、新婦のお腹の中の子は構はず育つでせうから。

 

大規模なスポーツ・イヴェントや演奏会、卒業旅行、入学式、入社式なども相次いで中止になつてゐるさうですね。

 

わたしの大好きな大相撲も「無観客」開催とか。人気力士・炎鵬みたいなタイプは客の掛け声があつてこそ力が出るのですからやりにくいでせう。

 

「世のなか、この二か月でまるきり変つちやつたけど、何でなの?」

 

施設を出て、浦島太郎が発したごく素朴な問ひに返つてきたのは、「すべてコロナですよ」。

 

コロナ? トヨタが発売した新車でもどうにかなつたのかと真顔で首をかしげました。

 

中国を火元とする新型ウイルスださうですが、十年、二十年おきに登場する風邪の新顔くらゐのことで、日本も世界もこれほどガタガタすることないんぢやないでせうか。

 

わたしに言はせれば、この正体不明の疫病は現代社会に対する「善意の黄信号」でせう。

 

旨い物を食ひたければ世界中の美味珍味が手に入る。地球の裏側でもどこへでも、行きたいところがあれば旅行会社のツアー旅行で行ける。聴きたい音楽、見たい絵画、読みたい本……みんな即座に机上でネット予約できる。

 

「皆さん、今まですこ~し図に乗つてゐたんぢやないの」

 

「新型コロナ」といふ名の神さまが、世界に向かつてつぶやいてゐる気がします。

 

「『気節』のあんばいを怠らないやうに。『気』はアクセル、『節』はブレーキ。『コロナ』は実は、軽いブレーキなんぢやよ」