田中角栄政権のころから半世紀ほど政治の世界をながめてきて、いつの政権もその末期に露呈する症状は二つである。

 

 一つは火曜、金曜の午前にひらかれる「閣議が短時間」でお開きになること。もう一つは、首相の日々の「記者会見の応対に異象」があらはれること。

 

 衆院解散も断行できずに、事実上の任期満了選挙に追ひ込まれて退陣を余儀なくされた菅内閣でも、この二つの現象が顕著になつてゐた。

 

 永田町の現役記者によると、通常なら一時間弱はかかる閣議が、このところその半分程度の時間で終了するといふ。

 

 なぜかといへば、どの大臣も発言を控へるやうになつたからだ。

 

 まもなく潰れさうな内閣、何を言つてももう先のない話だし、目新しい政策など提案してみてもいまさら空しい。

 

 「閣議決定」の書類への花押の署名が済むと、みんな黙つて席にゐる。

 

 といふよりも、各大臣の下の高級官僚たちが敏活に政局を読んで、重要な企画立案を大臣に上げなくなる。大臣にすれば閣議で発言する手持ちの材料がないのである。

 

 もう一つの、「記者会見での異象」もその予兆は出てゐた。

 

 大体、政治家の記者会見はいやいや応じるもので、なるべくボロを出さないやうに簡略に済ませたい。

 

 9月に入つて最初の9月1日の首相の記者会見で、こんな質問が出た。

 

 「今月末の自民党の総裁選を先送りして、総理が近々、衆院解散の挙に打つて出るのではないかといふ観測が広まつてゐますがーー」

 

 そんな噂が広まつてゐたのは事実で、首相とすればこの手の質問はふつう、苦笑して無視するか、一刀両断、全否定して終はるのが普通だ。

 

 ところが菅首相はこの日、いつもの記者会見と違つて、

 

 「いまはコロナ対策に専念するのが精一杯。解散などやる余裕はありません。もちろん総裁選は予定通り行ひます」

 

 と珍しく質問に正面から答へて、記者の次なる質問を封じた。

 

 解散はしない、総裁選は予定通りーー明快な返答は、背後にある別の大きなものを隠蔽するためであつたにちがひない。つまり、「事の成り行きによつては、私が辞任します」。

 

 物書き仲間の友人で、女を口説かせたらこの男の右に出る者はゐないといふモテ男がゐる。

 

 彼の口癖は、「最初に言ひ寄つたとき、取り付く島もないほど邪険でつつけんどんで、愛想がなく、こつちを鼻にも引つ掛けないやうな女こそ、ちよつと粘り強く追ひかけると、ある瞬間、コロッとなびくもんだよ」。

 

 かうも言ふ。「その逆に、こちらがちよつかいを出すと、最初から無防備で、調子が良くて、いつでもお付き合ひOKよ、といふやうなふりを見せる女は、これは実はしぶとくて、手強(ごは)い。なかなか落ちない」

 

 9月3日の自民党役員会で突如、「総裁選に立候補しない」と退陣を表明した菅首相は、その2日前の記者会見で、いつものけんもほろろの応答と一変した真率なことばを発して、その苦衷をにじませてゐたのではないか。

 

 つつけんどんで無愛想で、取りつく島のない方が政治家にはお似合ひだが、一見調子が良くて、「いつでもOKよ」のしぶとさよりも、突然、コロッと落ちる政治家の方がかはいい。

 

子供のころから「弁当」といふ言葉を聞くと身の毛がよだちます。大人になつてからも変はりません。

 

ベントー。なんとも下品で、蓮つ葉で、投げやりで、たをやかさや情趣の微塵もない言葉ではありませんか。

 

そのひびきは、どちらかといへばベンジョ、ケンベン、ベンキや、トウバン、トウチョク、トウワクに近い。

 

とにかく下劣で、まともにその語感を考へるのも憚られるほどです。

 

そこまで極端なことを言はずとも、「弁当」といふ言葉には、「一時しのぎの非常食」「間に合はせ」「お手軽」といふニュアンスが抜け切れません。

 

しかし、これはぼく個人の偏見なのでせう。

 

小学校五、六年のとき、コッペパンと脱脂粉乳の学校給食がどうしても食べられず、母親が「これは健康問題です」と担任教師に掛け合つた結果、給食の時間になるとぼくだけ周りの目を気にしながら、家から持参の弁当の包みをひらいた、あの痛々しい、幼い体験が尾を曳いてゐる気がします。

 

「けふは弁当が出るからね。平河はいくつあればいい?」

 

政治部のデスクから電話です。

 

近ごろまた、永田町では菅政権が危ふいことになつてゐるやうですが、二年ごとの年中行事の政権交代や内閣改造で、政局の取材に忙殺されて夕食をとりに外出できない記者たちに、本社から国会内や自民党本部の記者倶楽部へ弁当が届けられます。

 

デスクの電話は、今晩の弁当を何個必要かといふ問ひ合はせです。「平河」といふのは人名ではなくて、昔、自民党本部が千代田区平河町にあつた(現在は永田町に移転)名残で、自民党担当の記者倶楽部の名称です。

 

平河倶楽部には新聞社、テレビ局、通信社など十数社の記者が詰めてゐます。そこへ夕方になると、各社ごとにいろいろな弁当が届くのです。

 

ぼくの社の弁当はいつも決まつてゐて、ごくありふれた駅弁といふかコンビニ弁当といふか、メーンはシャケの焼き物か小さなハンバーグのスパゲッティ添へ、それにウインナーソーセージ、卵焼きとポテトフライに野菜の煮物少々といふ、いはゆる「猫また弁当」です。

 

もちろんアルコールなしですから食欲は進まないものの、何か胃に入れてをかないと朝まで何もないので無理をしてでも食べます。

 

社によつて弁当の内容はさまざまです。

 

あるテレビ会社は赤坂の有名店のカツサンドの折詰め、ある通信社はこれも名立たる新橋のうどん専門店の詰め合はせ弁当、ある社は紀尾井町のイタリアンの特製弁当といふ具合です。

 

中でもいちばん豪勢なのは、毎回、NHKの弁当でした。

 

ちらと盗み見したのですが、厚切りのステーキにアボカドのサラダがあふれるほど付いてゐます。

 

ぼくたちの「お弁当」が市販七、八百円物とすれば、NHKのは二倍か三倍はする「折り詰め」です。

 

またその数が多い。記者は五、六人しかゐないとしても弁当は十個ぐらゐ来てゐて、余つた弁当は横長の机の隅に積まれてゐます。

 

「もし良かつたら、これ食べてくれませんか」

 

同じ中曽根派閥担当で、日ごろから懇意なNHKの記者が、背中合わせのぼくにステーキ弁当を一個差し出しました。

 

まさかぼくの弁当を見て憐れんだ揚げ句のことではないでせうが、

 

「いや、もう食べましたから」

 

と丁重に押し返しました。

 

この思ひ出もぼくが「弁当」を嫌悪する理由の一つかも知れません。

 思ひ出すたびに、鳥肌が立つくらゐ恥づかしい。

 

 真つ赤なバンロンのポロシャツに水色のコットンパンツ、薄いブルーのサングラスに白い野球帽――。

 

 十代のをはりごろの、夏のある日のぼくの外出スタイルである。

 

 「そんな派手な格好で大学へ行つて大丈夫なの。何とも言はれない?」

 

 玄関を出ようとすると、母親がその日もクレームを付けた。

 

 家に仕立屋を呼び、嬉々として着物の生地を選ぶとき、歳のわりにはちよつと派手過ぎるのではといふやうな色柄を好む母親が、息子には常々無難な装ひを強ひた。

 

 「ぢやあ、何を着て行けばいい?」

 「何をつて、ほら、普通の、どこにでもゐる学生のやうな格好が、あなたにはできないの」

 

 多くの親はいつの時代もさうなのだらうが、わが子が変に目立つたり周囲から顰蹙を買ふことのない、普通の格好をしてほしかつたにちがひない。

 

 もしいま母親が生きてゐて、一歩町へ出たら、どんな感想を持つことだらう。

 

 今回の東京オリンピックの開会式で、もつとも退屈で眠くなつたのは選手団入場の場面だつた。

 

 57年前の東京オリンピックでは、各国選手団の旗手の容姿や、奇抜な色使ひの民族衣装、先端的なデザインのユニフォームや色彩が、まだ戦後復興の陰鬱な影をあちこちに遺してゐた昭和の日本人の眼に新鮮だった。

 

 欧米の先進国はもとより、中東、アフリカ、南米など遠い国のファッションを次々とながめられるだけで、開会式は十分楽しいイヴェントだつた。

 

 いま、そんな世界のファッションは、日本の街のそこら中で目にすることができる。

 

 遠い国の伝統衣装のやうなファッションを、どこで購入したのか、ほかならぬ日本人の男女が身につけて街を行き、店を埋めてゐる。

 

 いくら奇異な服装をしてゐても、特に人目に立つことはなくなつた。何を着ても、「普通の、どこにでもゐる」服装になつた。

 

 何も身につけないで町を歩けば警察官が飛んでくるが、布切れ一枚でもまとつてゐればどこへでも行ける。

 

 つまり、世の中、あのとき母親が言つた「普通の、どこにでもゐる」格好ばかりになつた。

 

 開会式の入場行進が眠かったのは、各国選手団のせゐではない。いま、すべてがありふれたファッションになつた。

 

 これはオリンピックといふ「大規模な運動会」の印象でもある。

 

 金メダルを獲得した選手に対し、テレビ、新聞は「涙の挫折からの7年」「兄妹愛の猛特訓」「家族ぐるみでつかんだメダル」などと、昔ながらのお涙頂戴ドラマを競ふものの、どれもこれも感情過多の、結果として平準化された「普通の物語」。似たり寄つたりで、心にひびくものがない。

 

 何もかもが「普通の、どこにでもゐる」時代になつた。