一週間前、ガス風呂が突然ダウンした。

 

 いつものやうにパネルの「自動」スイッチを押してもパネルは真つ黒なままで何の反応もない。

 

 人間の病には何らかの前兆があるけれど、家の設備といふのはある日、老衰のやうに静かに息を引きとるものらしい。

 

 調べてみたら、このガス風呂の釜は18年間も使つてゐた。東京ガスによればガス釜は通常、耐用年数が10年余で、18年も使へたのは幸運といふしかないと笑はれた。

 

 この夏のをはりには、寝室のエアコンの室内機がこれまた急に動かなくなつた。

 

 室外機にトカゲが侵入して通電部分に横たはり、黒焦げになつてショートさせたのは5年ほど前だが、寝室の室内機は何年前に買ひ替へたか記憶がないから優に15年は越すだらう。

 

 家の設備だけではない。

 

 ことしは春には庭の木斛(もつこく)が枯れた。渋い茶褐色の新芽が出ないのを案じてゐたら、上の方から古い枝葉が徐々に散りはじめた。

 

 明治生まれの父の代から庭の西に君臨する大木で、子どものころ、これに登つて塀越しに隣りの家の内部をながめて得意になつてゐた。

 

 やがて木斛の枯死した太い幹の外皮に、冬、踵(かかと)にできる皸(あかぎれ)みたいな割れ目が網状に走り、見るたびに一枚二枚と剥がれ落ちてゐる。

 

 毎年季節になると友人をお呼びして花宴をひらいた枝垂れ桜も、昨秋、芝の上に張り出した大枝が自重に耐へ切れなくなり、つひに途中から折れた。

 

 門懸かりの松も古木の黐(もち)も、目に見えて葉に元気がなくなつた。百年もたつと庭木も寿命なのか。

 

 行きつけの歯医者が急に看板を下ろした。

 

 新しい患者が来ると、口の中を一瞥して「ああ、キレイで~す。大丈夫。すぐ治りま~す」と大声で激励するのが名物の60代の小太りの院長は、30年ほど前に先代の娘の婿として跡を継ぎ、立地の良さもあつてそこそこ賑はつてゐた。

 

 しかし、どうやらコロナ禍の影響もあつてこのところ患者が急減、さらに、辞めた女性歯科医の補充が思ふやうにいかなくてたうとう廃業に追ひ込まれたらしい。

 

 町に歯医者はいつぱいある。こんど歯の具合が悪くなつたら新たな歯科医をさがせばいいだけのことだけれど、相手の人柄も腕も前歴もわからない医者の前で、老人がひとり、治療台に腰をおろして無防備に口をひらかなければならないのは憂鬱である。

 

 物みな時間にはあらがへない。時ふればみな疲れる。

 

 ぼくもそろそろ心の準備をする必要があるのかもしれないなどと、たまには殊勝なことを考へる。