前から老人がひとりやつて来るのは分かつてゐた。

 

 通りなれた近所の住宅街の道で、車が来ないかぎり、いつも道の真ん中をあるく。

 

 道の左側に沿つて来た老人が、急にぼくの方へ近寄つて来た。

 

 両手に重さうにコンビニの白いビニール袋を提げ、幼児のよちよち歩きのやうに歩幅がきはめて狭い。

 

 病後に恐る恐るベッドから立ち上がつて一歩を踏み出すときのやうに、運動靴の両足を一度きちんとそろへてから、十センチほど片足を前に出す。

 

 近寄つて来るのではなくて、こちらによろけてくる感じもあつた。ぶつかつては困るから、ぼくは進路を少し右に変へる。

 

 近づく老人の顔をよく見ると、しづかに笑つてゐる。友人の料理人である。

 

 十年ほど前までこの町で夫婦だけで小さなレストランをひらいてゐて、店を閉めてからは離婚し、彼は渋谷の友だちの店で昼間だけバイトをしてゐた。

 

 料理人一筋の真面目な男で、ぼくとはいつしか客とシェフの距離を越えて親しくなり、両夫婦でカラオケに行つたりした。

 

 ぼくがそのころ流行つた「ダンシング・オールナイト」や「ジュリアにハートブレイク」を歌い、ときに彼の奥さんとデュエットしても、彼は歓声をあげたり拍手するだけで、自分では一曲も歌はない。

 

 夜の街で遊んだ経験がないからカラオケは歌へないのだ。

 

 その後、コロナ騒動がはじまる前まで、わが家で催す季節の飲み会や、庭の枝垂れ桜の宴に、プロらしい肉や魚、野菜料理を大量に持ち込んでくれる。

 

 わが友人仲間では「シェフ、シェフ」と人気者である。

 

 「いいですねえ、これからワインですか」

 

 ぼくの夕方のワイン屋通ひを知つてゐる彼は、笑顔を変へずにさう言つたが、その声は以前の彼とはあきらかに違つて。歩幅と同様に、声にも張りがない。

 

 コロナ禍で唯一の働く場だつた渋谷のバイトも終はり、日々何もやることがなくなつて一年余、急激に老けたやうだ。

 

 料理人といふのはふだんほとんど歩かない。

 

 カウンターの奧の調理場を数歩移動するだけで、家と店の往復も食材の買ひ出しも車だから、老後の衰へはまづ足に来たらしい。

 

 「この秋には、またパーティーがひらけるといいですね。お互ひ、健康には気を付けませう」

 

 我ながら意味のない、失礼な、通り一遍のことを言つて別れた。それだけシェフの見た目の変化に動揺してゐた。

 

 と同時に、シェフがおそらく自身の変りやうに気づいてゐないやうに、外から見ると、ぼくも知人友人に動揺を与へるくらゐ変貌してゐるのかもしれないと思つた。

 

 前回の東京オリンピックのとき、ぼくは大学二年生だつた。

 

 大学の体育館がフェンシング会場になるといふことで、大会期間中、全学で講義はすべて休講となつた。すかさず旅に出た。

 

 旅とはいつても昭和39年のこと、気軽に海外旅行などできる状況ではなく、営業運転を始めたばかりの東海道新幹線に乗るのが主目的の、神戸、大阪、京都をめぐる一人旅だつた。

 

 「生涯に二度とないかもしれない『東京オリンピック』なのに、観たくないの?」

 

 上京して下宿生活をしてゐる友人たちは、東京オリンピックに特別な興味を示さないぼくを不思議さうに見つめた。

 

 「オリンピックつて、小学校の運動会みたいなものぢやない。校庭いつぱいに万国旗を飾つて、音楽をガンガン鳴らしてやるアレと、どこが違ふ?」

 

 オリンピックに対するぼくの認識は、60年ほど経つた今もこれとほとんど変はつてゐない。

 

 全競技が一堂に会するお祭り気分のオリンピックで、ラグビーやサッカー、陸上やテニス……を観るのより、単一種目ごと真剣勝負のワールドカップや世界選手権を観るほうがずつと熱が入る。

 

 しかし、もう勝負はついたやうだ。

 

 テレビで、先日まで「こんなコロナの危機的状況下でオリンピックを強行するなんて国は何を考へてゐるのか」と言つてゐた評論家も芸能人も、ここへ来て、「政府が安心安全な大会をやると言つてゐるのだからお手並み拝見といきますか」とくるりと向きを変へた。

 

 「オリンピックは中止すべきだ」といふ意見が7、8割に達してゐた各種の世論調査でも、このところ、「安心安全な方策の徹底」「外国人選手に対する水際作戦の強化」などを実行するなら「開催やむなし」といふ意見が「中止派」と拮抗するやうになり、俄然「開催派」が勢ひを増した。

 

 僕が生まれたのは第二次世界大戦が終はる直前で、あの大戦に日本が巻き込まれるやうになつた経緯、そしていざ突入してしばらくしたら、国民の体勢が「欲しがりません、勝つまでは」に変化した空気を、身近に肌で知つてゐるわけではない。

 

 だが、今回の東京オリンピックへの流れを見てゐると、戦争とかオリンピックとか、国家が重大な事態に引き込まれるときといふのは、かうして、ある似通つた状況のなかで、なんとなくある匂ひが漂ひ、いつの間にか事態がある方向へ流れていくのではないかといふ気がする。

 

 ここでもう一度、あらためて現代におけるオリンピックの存在意義、「感染の防止を」が「観戦の帽子を」に至つた面妖な風潮を問ひ直すべきだと思ふ。

 

 

 きのうはトマトジュースだつたから、けふはアップルジュースにしようか。

 

 ジュース類にも飽きたから、コーヒーかアイスティーに戻るか

 

 ーーこれといつて特に飲みたい物もないのだが、何も注文しないで、ひとりフレンチレストランにゐるわけにはいかない。

 

 結婚式場の二階にあるこの店の一角を、ひそかに「第二の書斎」と名づけ、ふだんは最初にグラスの赤ワイン、二杯目に白ワイン、(正直にいふと)時々三杯目にまた赤ワインを飲む。

 

 ボーッと外に目をやりながら、由(よし)なしごとを不連続に考へたり、周りの客たちをながめて、ときに失礼な想像を逞しくしたりする。

 

 やがてワインがわが肉体に浸潤するにつれ、想ひは羇絆をなくし、さまざまな言葉が花畑の蝶のやうに乱舞し、立ち迷ふ。

 

 独りだから会話はなく、出口を失つた言葉は、逆流性胃炎のやうに体内を行きつ戻りつする。酔客の忘我の一瞬である。

 

 しかし、トマトジュースやアイスティーではかうはいかない。

 

 時間が経つにつれて、心は鬱屈し、想像力は委縮し、まさしく陰々滅々とした気分になつて、いはば「居たたまれない感じ」になる。

 

 「もう、お帰りですか」

 

 馴染みのボーイが寄つて来て、不思議さうにこちらの顔色をうかがふ。

 

 体調でも良くないか、店側に何か不始末でもあつたのかと気にしてゐるやうだ。

 

 「ああ、帰ります。トマトジュースぢや、おかはりといふわけにもいかない」

 

 コロナ感染対策を律儀に守るこの店は、もう二か月も酒類の提供を自粛してゐる。

 

 「令和の禁酒令」では、自治体から「協力金」などの名目で一日何万円かが入る店はまだしも、客には何の利益もない。

 

 ただ陰々滅々の波に飲み込まれたまま、放置される。

 

 酒好きが酒を飲めないでゐるときの境地を何といへばいいのだらう。

 

 昔、さくらと一郎が哀切に歌つた「昭和枯れすすき」といふ演歌が流行つた。

 

 ♪貧~しさに負けた ♪い~え、世間に負けた

 

 なんとも陰鬱な歌ひ出し。

 

 アルコール抜きで三十分もゐるときの心境は、♪い~え、世間に負けた、の気分に少し似てゐる。

 

 何かに負けた感じ。何にかは分からない。

 

 コロナか、世間か。気持ちはひたすら澱んだ沼に沈んでいく。

 

 「昭和枯れすすき」だけでは品が良くないから、話をちよつと上品にすると、文豪・芥川龍之介は晩年、落ちる一方の自分の気持ちを「ぼんやりした不安」と表現した。

 

 「ぼんやりした敗北感」――文豪にはまことに申し訳ないが、「令和の禁酒令」で僕が感じるのはこれに近いかもしれない。

 

 いや、ただの酒飲みの愚痴か。