月に一回、薬をもらひに行く掛かりつけ医の待合室では、常連の老女3人が井戸端会議をはじめてゐた。

 

いちばん大声を出してゐるのは、耳が遠い80年配で、いつも無体にふくらんだ下半身が長椅子の半分を占領してゐる。

 

ぼくの聞きかじりによれば、岡山の実家に帰省した息子一家5人が、台風7号の影響で帰りの新幹線がおぼつかなくなり、予定より二日早く帰路について、その途中、ひとり暮らしの彼女の家に立ち寄つたらしい。

 

一緒ににぎやかな夕食を、と孫の手には横浜のシウマイの大きな紙袋――。

 

 「煮物か何かで夕飯は簡単に済ませようと思つてゐたんだけど、思ひもかけず急に賑やかなシウマイパーティーになつちやつて」

 

 とたるんだ頬をさらに緩ませる。

 

 「それは良かつたですね。横浜のシウマイは美味しいですものね。あれを嫌ひつて人、見たことない万人向きの味。一個が大きいから、私なら一個あればご飯一杯食べられます」

 

 と、こけた頬に白マスクをキリッと着けた七十代半ばが応じる。

 

 「さうさう、知つてる? あれつて翌朝温め直すと結構イケルのよ」

 

 こんどは小柄で小顔な女が相槌を打つ。

 

親分格の長椅子の女が、突然話題を変へた。

 

「あんた、けふはアレはどうなるの?」

 

問はれた白マスクが応へる。

 

「さうなんですよ。実は心配なんです。けふは夕方になると『センを切る』とかで」

 

どうやら話は気圧と健康との関係に移り、ぼくは初耳だつたが、いま一部の高齢者の間で「天気痛」といふ用語が流行つてゐるらしい。

 

家に帰つて調べてみると、気圧の単位のhPa(ヘストパスカル)の数値の変動が、その日の体調に顕著にひびくのを「気象病」と呼ぶさうで。気圧が下がると膝や腰の関節がきしんだり、頭痛が起きたり胃が痛んだり、時には脈が速くなつたりするといふ。

 

「センを切る」とは、気圧が「1000hPa以下」になるといふことらしい。

 

「ところでさ、ジャニーズ事務所の騒ぎで国連の人が日本に調査に来たんだつてね」

 

と小顔の女が、また話を転換する。

 

患者の診察に手間どつてゐるらしく、なかなか次の呼び込みがない。

 

老女たちはもう何度もここで話題にしたにちがひないジャニーズ・スキャンダルから市川猿之助事件、札幌・すすきの殺人事件へと、点々と、断片的に、しかし無限に共通の話題をひろげていく。

 

だれもが社会の事象に興味を持つのはいいことで、それらの情報を何から得てゐるかといふと、みんなバッグの中に秘めてゐるスマホらしい。

 

今はスマホ一つあれば、天変地異、どんな情報も容易に手に入る。

 

「天気痛」から事件事故、ウクライナから大谷翔平まで、どんな猥雑で曖昧模糊とした状況も、数行に要約されてしまふ。

 

しかも、どれもこれもまあまあ興味深い話ばかり。

 

かういふ話題に耳をふさぐ人は少ないだらう。

 

「嫌ひな人の少ない」点で、最初の80媼(おうな)の「シウマイ」に似てゐる。

 

かくて世の中、安直で万人向きの、“シウマイ情報”ともいふべきものが瀰漫する。

 

 

 JR東日本に勤める長男からメールが来て、「M氏」といふ名前に覚えがあるかと言ふ。

 

 初めて聞く名前である。

 

 「いま一緒に仕事をしてゐる人なのだけど、昔、親父に会つたことがあると言つてゐる」

 

 話を聞くと、ぼくが週刊読売の編集長をしてゐたざつと30年前、その人はJR東日本の広報部次長をしてゐて、仕事のことでぼくと懇談したといふ。

 

 懇談といふからには、たぶん一杯やつたのだらう。

 

 週刊誌の編集長は、記事へのいちやもんや情報提供(俗に言ふ“売り込み”)に来る人のほか、記事にして欲しい組織・企業の人などが毎日訪れる。対談の出演依頼やミニコミ誌などからの取材もある。

 

 「覚えてゐない?」と長男が重ねて聞く。

 

 「フルネームは何といふ人?」

 

 ほとんど初耳の名前だ。

 

 「そのころは毎日のやうにいろいろな人と会つたり飯を食つたりしてゐたからな。――特に記憶に残つてないね」

 

 「Mさんは今でも編集長の名刺を持つてゐるさうですよ」

 

 メールの最後に、長男はいかにもこちらが粗放であるかのやうな言ひ方をしたが、記憶にないのに「覚えてる」とは言へない。

 

 しかし、当時の名刺まで持つてゐる人をさつぱり思ひ出せないといふのはいささか礼に欠けるし、80翁のボケと言はれても仕方がない。

 

 30年前のことだから、といふのは言ひわけにはなるまい。

 

 コトと次第によつては、記者時代の40年前のことも、ブンヤになりたての50年前のことだつて、人相風体、会話、表情まで明晰に覚えてゐる場合もあるのだから。

 

 M氏のことがどうして記憶にないのかーー反省を込めて30年前を思ひ起こすと、どうやら事情が浮かび上がつてきた。

 

 週刊誌の編集長・デスクの計7年間は、日ごろ怠惰な身には珍しく超多忙な日々だつた。

 

 月曜午前10時からの編集会議に始まつて、ネタの選定、ページ割り、外部ライターへの執筆依頼、表紙の決定など、火水木曜はまたたく間に過ぎ、金曜夕の電車吊りポスター作り、土曜日の「編集後記」執筆まで一息つくひまもなかつた。

 

 一週間はある意味、狂乱のうちに、単調に過ぎて行つた。

 

 週刊誌へ移る前の、自民党の派閥抗争や政治スキャンダルの取材で忙殺された時代とは比較にならない。

 

 記者活動は取材、執筆など一個人で完結してゐて時間的にも融通が効くが、編集長はたつた一人の最終決定者だから余裕がない。

 

 50代の一時期の記憶だけが、あたかも脳細胞の一部に損傷を受けたかのやうにきれいに陥没して、“抜け穴”になつてゐるらしい。

 

夜九時、居間で新聞のテレビ欄を手にすると、「何を観るの?」と家人が聞く。

 

 「やつぱりーーニュースしかないかな。どうせ線状降水帯とウクライナ情勢だらうけど、最近ドラマもろくなものがないぢやない。男と女の怒鳴り合ひばかり」

 

 家人が噴き出す。「男と女の怒鳴り合ひばかり、か。なるほど」

 

 習慣として夜のテレビドラマを観なくなつたのはいつごろからだらう。

 

いつとき全盛だつたサスペンスの二時間ドラマが下火になつて、代はりに登場した病院が舞台の医者、患者の物語と、オフィスや学校での若者の恋愛話が主流になったころからではないか。

 

そのころから、ぼくの印象ではテレビドラマに「怒鳴り合ひ」が幅を利かせるやうになつた。

 

ヤマ場で大声を出す場面、せりふが多くなつた。

 

顔を真つ赤にして怒声を発する。日常生活ではありえないやうな絶叫、号泣、叫喚、ときには爆笑・・・。恥づかしいくらゐ感情をむき出しにして、練りに練られた決め台詞をぶつける。

 

それがドラマのクライマックスであり、象徴でもあつて、その数秒のワンシーンが、放映の始まるしばらく前から繰り返し前宣伝に使はれる。流行語にもなる。

 

ぼくの実感では、テレビドラマのやうなエキセントリックで過剰な光景は、実際の私たちの生活ではあまりない。

 

矯激な「喜怒哀楽」の噴出はぼくたちの日常ではまれだ。

 

自身、何かに対して心底怒ったり悲しんだり笑ったりしなくなつて何年になるだらう。

 

日ごろ、真剣に怒ることも喜ぶことも悲しむことも激減した。

 

この四月、三人姉弟の真ん中の、87歳の姉を亡くしたが、なぜか涙は出なかつた。

 

通夜、葬儀、納骨と、弟としてどこかの場面で込み上げてくるものがあるかと警戒したが、ついにさういふ機会はなかつた。

 

いや、現実の生活の中では怒りたくなることも、悲しむべきことも、爆笑したくなることもありうるのかもしれないけれど、そこへ達する前に、いまもし本気で怒つても悲しんでも笑つても、数日後にはさういふ自分がアホらしくなり、自己嫌悪に陥ることが目に見えてゐる。

 

これを俗に世知とか「年の功」といふのかもしれないが、自然な激情に身を任せられないといふのは悲しいことだ。

 

客観的にみれば、これは感受性の衰退、鈍化、要するに「老化」といふことなのだらう。

 

激しい感情こそが人間たる証しなのか。

 

激情横溢のテレビドラマに心が随いていけなくなつたら、人間としての危険信号なのか。