「ねえ、見て。この人、ちよつと見ない間にずいぶん老けた」

 

 久しぶりにテレビドラマに出演した女優を見て、80媼目前の家人が若干、嬉しさうにつぶやく。

 

夕刊を読んでゐたぼくは何も言はない。

 

「ねえ、さう思はない? 昔は綺麗な人だつたけど」

 

その女優に特に関心がないぼくは、まだ黙つてゐる。

 

「ねえ、見てご覧なさいよ。ーー誰でも歳をとるのねえ」

 

この辺でぼくもテレビに目をやつて、「さうだねえ」とか「ホントだ。歳は争へないね」とか言へばいいのだらうが、関心がないものは関心がない。

 

自民党の派閥解消の記事を読んでゐたぼくは、相槌ひとつ打つのも面倒くさい。

 

しかし、三度の呼びかけを無視されただけで急に家人の機嫌が悪くなつたりするのだから、結婚55年の老夫婦は厄介である。

 

ぼくの経験では、「相槌」の大切さをいちばん感じてゐるのは政治家だ。

 

彼らは常々、選挙区で多くの有権者と接触しながら、性別老若を問はず、相手の言ふことを理解し、「話の分かる」「いい人」を演じなければならない。

 

政治家の相槌には三つのタイプがある。

 

<田中角栄タイプ>相手の質問、批判、要求などに対し、真つ向から「それはキミ、違ふ」と真摯に否定してから、滔々と自説を展開する。

 

<大平正芳タイプ>相手の発言後、数秒沈黙し、「あー、うーん」など自分の言葉を用意する間を置き、その後、理路整然、そのまま記事になる自説を説く。

 

もう一つは、<昔から多くの政治家のタイプ>相手の発言を受けて、それぞれ曖昧な表現で一応理解を示し、その後、自説を述べる。

 

具体的に言ふと、たとへばこのタイプの名手が、現在の官房長官の林芳正。

 

日々の官邸記者倶楽部との会見やテレビの討論番組などで私たちが目にする機会も多いが、外務、農水、防衛大臣など豊富な閣僚経験を、すべてそつなくこなしてきた技量は政界でも評価が高い。

 

林の相槌は「さうですね」である。

 

記者や番組司会者の鋭い質問に、いつも第一声は「さうですね」。

 

このことばには一見、相手の発言を肯定するニュアンスがあるが、実は林の言ふ「さうですね」は全く違ふ。

 

軽く「その件についてですが」と受ける程度の意味しかない。

 

「さうですね」と応じておきながら、林は続けて、質問者の言ふ趣旨とは全く関係のない、あるいはそれを否定する論旨を述べる。

 

ところが、「さうですね」と言はれた質問者は、一瞬でも気持ちが和らぐ。

 

少なくともいきり立つてゐた出ばながくじかれた感じがするに違ひない。

 

これが林のテクニック。これ、私たちの人間関係でも通用するのではないか。

 

 大晦日の夜は、家で飲みながらテレビを観てゐた。

 

 最初は各局の年末特番を見くらべ、午後7時からのNHKニュースがをはると、紅白歌合戦と東京ローカル局の演歌特集を交互に観た。

 

 今回の紅白歌合戦は記録的な低視聴率だつたさうだが、ローカル局の歌番組と“代はりばんこ”に観てゐたら、それなりに時代の移り変はりが感じられて面白かつた。

 

 この“代はりばんこ”で明らかになつたのは、一言でいへば、「明るさ」と「暗さ」の違ひだ。

 

 雰囲気やイメージの「明るい、暗い」ではなく、簡単にいへば舞台照明の明暗で、仮に紅白歌合戦の明るさを10度とすれば、演歌特集のそれは6か7度程度。青空と海が主舞台の青春物テレビドラマの明るさと、事件現場と刑事部屋で展開するサスペンスドラマの暗さの差とでも言つたら分かり易いだらうか。

 

 さて、この両者を観てゐて、ワイン片手の八十翁がどちらに軍配を上げたかは言ふまでもない。

 

 紅白歌合戦の明るさにはすぐ辟易し、チャンネルを東京ローカルにとどめる時間が長くなつた。

 

 そこで感じたのは、紅白歌合戦の軽佻な明るさはまさにぼくたちが今生きてゐる令和の明るさであり、演歌特集の暗さは昭和の暗さ、といふことだ。

 

 『津軽海峡冬景色』の暗さは、まちがひなくあの時代のものであり、紅白で繰り広げられる、歌詞も不分明な「今の歌」もまた、まちがひなく令和の表徴だらう。

 

 もう一歩踏み込んだ言ひ方をすれば、現代の明るさとはなんと空虚なものか。

 

 そこには人間社会にあらまほしき閑雅も幽玄もない。あるのは軽薄にして一瞬の、通り一遍の逸楽だけだ。

 

 ふと谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」を思ひ出した。

 

 谷崎は日本座敷の床の間の造作の「光りと陰との使ひ分け」の巧妙に感嘆、それを「東洋の神秘」と言つた。

 

 「その神秘の鍵はどこにあるのか。種明かしをすれば、畢竟それは陰翳の魔法であつて、もし隅々に作られてゐる陰を追ひ除けてしまつたら、忽焉(こつえん)としてその床の間は唯の空白に帰するのである」(「陰翳礼賛」)

 

 この語法を借りれば、演歌を彩る陰翳、つまり陰の魔力が紅白歌合戦からは綺麗さつぱり追ひ除けられてしまつて、歌の魅力が「唯の空白に帰」してしまつてゐた。

 

 ことし令和6年は、「昭和99年」にあたるといふ。

 

 そろそろ世間の記憶から「昭和」の陰翳は消え去る頃合ひかもしれないが、歌の世界ではまだ厳然としてあの薄暗さがものをいふ。

 

 谷崎風に言ふなら、「陰こそ文化」かもしれない。​​​​​​​

 現役のころ親しかつた記者仲間で、数年ぶりに忘年会をやることになつた。

 

 この間に亡くなつた人もゐて、みんなリタイアしてから10年余。70、80代以上だから、会場はだれもが仕事でなじみの赤坂の一角にある元老舗料亭、現在和風レストランとはいへ、果たして老人たちが何人参集できるかと案じたが、意外にも声をかけた8名全員が顔をそろへた。

 

 しかし、案の定、宴はあまり盛り上がらない。

 

 忘年会といふのに「医者に節酒を命じられてゐて」とか、歯が弱つてタコの刺身など硬いものが苦手な者、もつと深刻なのは、相手の話を聞いて数秒、間を置かないと意味が呑み込めなくなつた91歳、耳が遠くて三度も四度も聞き返す者もゐる。

 

 いはば「養老施設の集まり」の雰囲気で、とても忘年会といふ華やぎはない。

 

 目下話題の自民党の裏金問題や、来年の総裁選、現政権の命運など、元ジャーナリストらしい話題を口にする人間がたまにゐても、肝心な議論の最中に一人が病的に咳き込んだり、緊急事態をやつと耐へてゐたかのやうにトイレに立つ者がゐたりして、どんな話題も中途半端な尻切れトンボになつてしまふ。

 

 元一流料亭にふさはしく、豊洲から仕入れてきたばかりの新鮮な刺身のほどほどの歯応へといひ、主料理シャブシャブの、刺繡みたいに細やかなサシの入つた上等な肉といひ、自民党に永年贔屓にされてゐたほぼ同年配の女将が、元「自民党記者倶楽部様」のために用意してくれたに違ひない鑑評会受賞の大吟醸酒など、そこに並ぶのは何から何まで申し分がない。

 

 しかし、それらをゆつくりと味到する間もないうちに、老人たちの宴は次第に口数が減り、全体に声のトーンが落ちて沈黙の時間が多くなつた。

 

 ともすれば糖尿病、血圧、腰痛なんかの小声の話に堕しがちになる。

 

 みんな疲れてきて、後期高齢者の宴といふのはやはりこんなものかと改めて自覚させられた。

 

 「そろそろ、おじやの準備をしてよろしいですか」

 と中年の板さんが部屋に顔を出した。

 

 鍋料理の仕上げにおじやはよくあるが、老人たちにはもう酒も料理もいつぱいいつぱいである。

 

 ぼくはふと思ひついて、

 「昔、この料亭では、飲んだ後の締めに秘蔵の沢庵を出してくれて、アレが今でも忘れられないのだけど、アレ、もうないのかな」

と流行り言葉の「アレ」をわざと繰り返した。

 

 「ああ、アレですね」

 と板さんは笑って、

 「ありますよ。今はレストランですからお客さまにはお出しすることはまづないのですが、母は毎日少しづつ大切さうに食べてゐます」。

 

 板さんは老女将の息子なのだ。

 

 「アレを細かく刻んで、お茶漬けにできないかな」

 とぼくは勝手な注文をする。

 

 “刻み沢庵にほうじ茶”の茶漬けが人数分出てきた。

 

 「これ、これ。これが食べたかつたの」と外国特派員経験のある元通信社記者がつぶやく。

 

 「さうだよなあ、この沢庵がこの料亭の匂ひ。なつかしいねえ」と地方紙の東京駐在だつた痩身の男。

 

 「角さんなんか、最後は必ずこれを注文してゐたよ」

 

 「さう、これこそ『三角大福中』の時代の匂ひだね。この味噌臭さは自民党の派閥抗争の体臭だ」

 

 かつての政治記者たちは、急に息を吹き返したやうに現役時代の思ひ出話を始めた。