昨秋、行きつけのワイン屋の前庭にあるオリーヴの木に幾つか実が生つた。

 

 親しいボーイに懇願して、その実でカクテルのマティーニを作つてもらつた。

 

 マティーニはジンにベルモットを少量加へてステア(掻き回す)するだけ。

 

 ベルモットの量を抑へたドライマティーニには、三角形のグラスの斜面に緑色のオリーヴの実を落とす。

 

 この実は通常、市販の缶詰か瓶詰を使ふから、自分のところで収穫した実とあらば「自家製の絶品カクテル」である。

 

 以前から前庭にオリーヴの木があるのを確認してゐて、夏に白い花が咲いたので、行くたびに実を結ぶか監視してゐた。

 

 味はといへば、市販の酢漬けのはうがジンの峻厳な味はひに合ふ感じがしなくもないが、ともかく「自家製」のマティ-二と思ふと一味ちがふ。

 

 オリーヴは地中海沿岸が原産地。日本では昔から香川県の小豆島が産地として知られてゐて、温暖な地でなければ育たないとされてきたが、ここ数年、関東でもよく目にするやうになつた。

 

 北限が少々ズレたらしい。

 

 よく目にするやうになつたといへば、一般家庭の庭に育つてゐるバナナがふくよかな房を垂らしてゐる風景も珍しくなくなつた。

 

 子どものころ、近所の家に当時は珍しかつたバナナの木があつて、下から葉つぱばかりが盛大に茂る株のどこに、八百屋で売つてゐるバナナが生るのだらうと不思議だつた。

 

 母親に尋ねると、

 「バナナは暑い地方の果物だから、この辺では木は育つても実はムリなのぢやないかしら。だから高いのよ」

 といふ答へだつた。

 

 確かにそのころ、バナナといへば「高価な物」の代表だつた。

 

 病気にでもならなければ口にできない贅沢品と思つてゐた。

 

 それが今では普通に庭で穫れる。

 

 今年の夏は「35度以上の猛暑日」の多さも、「線状降水帯」発生の多さも、豪雨災害の多さも異常だつた。

 

 気象ニュースでは「観測史上初めて」といふ表現を嫌といふほど聞かされた。

 

 ぼくは7月ごろから、夜はエアコンを「27度」で付け放しにして寝るしかなかつた。

 

 少し秋の気配も漂つた9月には、電気代が8月より1万円以上安くなつたと家人が言ふ。

 

 温暖化する地球で、日本列島の大半が「亜熱帯」と称される領域に入つたのではないか。

 

 「観測史上初めて」は、これから毎夏、繰り返されるに違ひない。

 

 既にそんな予報も出てゐるが、冬は「経験したことのない暖冬」が常態化するのだらうか。

 

 もう毛布のやうな重いオーバーコートは捨てようか。

 

 3人姉弟の一番上の姉が、9月7日に死んだ。93歳。

 

 日本人女性の平均寿命(87歳)は越えてゐるものの、真ん中の姉が今年4月25日に87歳で亡くなつたばかりで、半年の間に二人の姉を失つた。

 

 こちらがさういふ歳になつたといふことだらう。

 

 13歳も歳が離れてゐるこの姉は、ぼくと同じ敷地内の家に次女一家と住んでゐて、晩年は自宅で裏千家の師範をしながらおとなしく暮らしてゐたが、末つ子のぼくから見て、若いころは何かとやんちやな姉だつた。

 

 母親によく叱られては、擂粉木(すりこぎ)の棒を持つた母親に家中追ひ回されたりしてゐたのを、舞台の一場面のやうに覚えてゐる。

 

 ある日、警察署長をしてゐた父が、ぼくに隠れるやうに姉二人を呼んで何か手渡してゐるのを見た。

 

 1950年代、まだ日本が第二次世界大戦の災禍からの復興もおぼつかないころだつた。

 

 地元の体育館で大規模な歌謡ショーが開催されることは、町の電信柱に張られたポスターで知つてゐた。父が姉たちに渡してゐたのはそのチケットだつた。

 

 当時、日々食ふ物もままならぬ生活の中で、人々はささやかな娯楽をラジオに求めた。

 

 夜のNHKラジオ第一の「三つの歌」や、軍歌、国民歌謡から解放された歌番組がもてはやされ、演歌歌手・近江俊郎の「湯の街エレジー」や、美人歌手・奈良光枝の「赤い靴のタンゴ」などがヒットしてゐた。

 

 体育館の歌謡ショーには、さういふ今を時めく人気歌手が顔をそろへる。

 

 入場料は今の値段にしていかほどだつたかわからないが、当日、会場周辺を警備する警察署長には貴重なチケットが数枚手に入つたらしい。

 

 ぼくはまだ小学校の低学年だつたが、当然、歌謡ショーには興味があつた。

 

 「なんでぼくだけ券がないの。ぼくも観たいよ」

 

 ふだん抗(あらが)つたことのない父に抗議した。

 

 「あなたはまだ小学生でしよ。早すぎます」

と、いつもはぼくの味方の母が口を挟んだ。

 

 「謹厳な警察署長の妻」からすれば、艶(あで)やかな歌謡ショーなど小学生が観てはならないものだつたのだ。

 

 「早すぎる」と言はれたら、十歳にもならない小学生は二十歳過ぎの長姉、高校生の次姉には適はなかつた。

 

 二人の姉たちは今年、あの歌謡ショーのチケットのやうに、「年長者のチケット」を誇らしげに見せながら死んで行つた。

 

 歌謡ショーのチケットと違つて、ぼくは今、そんなチケットは欲しくない。

 

 「あなたはまだ早すぎます」

 

 母親があの世からさう口を挟んでくれるのを期待しよう。

 

 初めての人に電話をかける。こちらの名前を告げ、けふ電話した趣旨を説明する。

 

 多少のやり取りがあつたあと、

 「電話でもアレですから、一度お会ひして、詳しくお話を伺へればと思ひますが、ご都合はいかがでせうか」

 とアポイントを取らうとする。

 

 かういふとき、なんだかんだと理由をつけて、「電話ならいつでも結構なのですがーー」と、多忙や体調を理由に直接会ふのを避けようとする人は、概してアヤシイ。

 

 何かを隠したがつてゐる人が多い。政治記者だつたぼくのささやかな経験である。

 

 本当に忙しかつたり体調が悪いなら、「電話ならいつでも結構」とは言はないだらうから、単に顔と顔を直(ぢか)に合はせる、俗にいふ「サシ(差し向かひ)で会ふ」のを避けたいだけなのだ。

 

 世の中には、人と対面するのを妙に嫌がる人がゐる。

 

 ここ数年のコロナ禍では、感染予防を理由に「対面」が神経質に忌避され、それが一種の「社会通念」のやうな風潮があつた。対面を嫌ふ人にとつてはさぞかし好都合だつたに違ひない。

 

 初めての人と接触するのに、実は「サシで会ふ」ほど有益なことはない。対面は情報の宝庫である。

 

 「初めまして。先日は電話で失礼しました」

の挨拶に始まつて、面会中、相手のメガネの奧の視線の揺らぎ、ものを言ふときの唇のゆがみ、脚の組み方や上半身、とくに両腕と指先の動き、ものを言ふ抑揚と声量、その場の様子や周囲の人間模様……対面することなしには得られない情報がそこに溢れる。

 

 そんな情報はその場でメモすることはできないが、少し神経を研ぎ澄ましてゐれば、それらはこちらの記憶の奥深くに収納される。

 

 もちろん、相手の心の中まで読み取ることは不可能だけれど、その人の性格、感性、品性、知性、ひいてはこちらが一番欲してゐる「正邪の判断」に役立つ手がかりが、そこには無数に露出する。

 

 まだ会つたことのない人の品定めをするには、最初の電話やメールで「サシで会ひたい」と告げて、その反応を見るに如(し)くはない。

 

 相手がどんな人間か、何の資料、データがなくとも、その諾否によつて、大よその判別はつく。これほど簡易なリトマス試験紙はない。

 

 逆に言ふと、寸毫(すんごう)もスキを見せたくない人とは、間違つてもサシで会はない方がいい。