現役のころ親しかつた記者仲間で、数年ぶりに忘年会をやることになつた。

 

 この間に亡くなつた人もゐて、みんなリタイアしてから10年余。70、80代以上だから、会場はだれもが仕事でなじみの赤坂の一角にある元老舗料亭、現在和風レストランとはいへ、果たして老人たちが何人参集できるかと案じたが、意外にも声をかけた8名全員が顔をそろへた。

 

 しかし、案の定、宴はあまり盛り上がらない。

 

 忘年会といふのに「医者に節酒を命じられてゐて」とか、歯が弱つてタコの刺身など硬いものが苦手な者、もつと深刻なのは、相手の話を聞いて数秒、間を置かないと意味が呑み込めなくなつた91歳、耳が遠くて三度も四度も聞き返す者もゐる。

 

 いはば「養老施設の集まり」の雰囲気で、とても忘年会といふ華やぎはない。

 

 目下話題の自民党の裏金問題や、来年の総裁選、現政権の命運など、元ジャーナリストらしい話題を口にする人間がたまにゐても、肝心な議論の最中に一人が病的に咳き込んだり、緊急事態をやつと耐へてゐたかのやうにトイレに立つ者がゐたりして、どんな話題も中途半端な尻切れトンボになつてしまふ。

 

 元一流料亭にふさはしく、豊洲から仕入れてきたばかりの新鮮な刺身のほどほどの歯応へといひ、主料理シャブシャブの、刺繡みたいに細やかなサシの入つた上等な肉といひ、自民党に永年贔屓にされてゐたほぼ同年配の女将が、元「自民党記者倶楽部様」のために用意してくれたに違ひない鑑評会受賞の大吟醸酒など、そこに並ぶのは何から何まで申し分がない。

 

 しかし、それらをゆつくりと味到する間もないうちに、老人たちの宴は次第に口数が減り、全体に声のトーンが落ちて沈黙の時間が多くなつた。

 

 ともすれば糖尿病、血圧、腰痛なんかの小声の話に堕しがちになる。

 

 みんな疲れてきて、後期高齢者の宴といふのはやはりこんなものかと改めて自覚させられた。

 

 「そろそろ、おじやの準備をしてよろしいですか」

 と中年の板さんが部屋に顔を出した。

 

 鍋料理の仕上げにおじやはよくあるが、老人たちにはもう酒も料理もいつぱいいつぱいである。

 

 ぼくはふと思ひついて、

 「昔、この料亭では、飲んだ後の締めに秘蔵の沢庵を出してくれて、アレが今でも忘れられないのだけど、アレ、もうないのかな」

と流行り言葉の「アレ」をわざと繰り返した。

 

 「ああ、アレですね」

 と板さんは笑って、

 「ありますよ。今はレストランですからお客さまにはお出しすることはまづないのですが、母は毎日少しづつ大切さうに食べてゐます」。

 

 板さんは老女将の息子なのだ。

 

 「アレを細かく刻んで、お茶漬けにできないかな」

 とぼくは勝手な注文をする。

 

 “刻み沢庵にほうじ茶”の茶漬けが人数分出てきた。

 

 「これ、これ。これが食べたかつたの」と外国特派員経験のある元通信社記者がつぶやく。

 

 「さうだよなあ、この沢庵がこの料亭の匂ひ。なつかしいねえ」と地方紙の東京駐在だつた痩身の男。

 

 「角さんなんか、最後は必ずこれを注文してゐたよ」

 

 「さう、これこそ『三角大福中』の時代の匂ひだね。この味噌臭さは自民党の派閥抗争の体臭だ」

 

 かつての政治記者たちは、急に息を吹き返したやうに現役時代の思ひ出話を始めた。