桜と松林がひろがる公園の端つこに、たまにワインを飲みに行く小さなカフェがある。

 

テラス席はペット同伴OKだから、犬や猫を連れた女性などで賑はふ。

 

小中高校まで同級だつた友人も、愛犬の散歩の途中に寄ることがある。

高価さうな犬の品種名は忘れたが、眼科医を開業してゐる友人お気に入りのザビエル君は,ぼくがテラス席にゐるのを認めると、ころころと足元に駆け寄つてくる。

 

決して吠えはしない。ぼくとご主人が友だちだといふことが分かるのだらうか。

 

ここは手を差し出して抱き上げるか、頭や首筋でも撫でてあげるところだなと思ひながら、それができない。

 

怖いのだ。犬だけではない。猫も触れない。怖い。今にも指先に食ひつかれる気がする。

 

概してペットの類ひが苦手だ。生まれた時からペットと縁のない家で育つたせゐだらう。

 

子どものころ、街のペット屋で見つけた真つ白い兎が気に入つて買つて帰ると、血相を変へた母親が、「お母さんは兎年生まれなの知つてるでしよ。ウチで兎を飼ふと、兎が死ぬかお母さんが死ぬか、どつちかなの」と怒つた。

 

ある日、友だちの家で数匹生まれた小犬のうちの一匹をもらつて帰り、母に内緒で家の裏手にあつた物置の隅でひそかに餌をやつてゐた。

 

数日で露顕して、こんどは父親から「お母さんは動物がきらひだから、家で飼ふのは無理。すぐに返して来なさい」と命じられた。

 

80歳になつた今でも、ペットは怖い。

 

いくら可愛くても動物は動物、犬畜生である。指先や手首を噛まれる気がして手を出せない。

 

しかし、かういふことも考へる。

 

犬や猫は人に撫でられたりくすぐられたりして本当に喜んでゐるのだらうか、といふ疑問である。

 

実はひたすらくすぐつたいだけで、こんな迷惑なこと、いい加減でやめて欲しいと思つてゐるのではないか。

 

ヒトだつてわからない。

 

「ねえ、さうやつて、首の後ろの後れ毛の生え際を優しくいぢるのやめてくれない。くすぐつたい」

 

「さう? 満更でもない顔をしてるけど」

 

「イヤな人。くすぐったいだけよ」

 

「ぢやあ、ここは?」

 

「……ああ、ダメ! あたし、耳の裏はウイークポイントなの。そんなソフトに指で撫で撫でされたら、こらへられなくなる、ウウッーー」

 

犬も猫もヒトと同じやうに、快感なのか不快なのか不分明な奇妙な感触に、内心、悲鳴を上げてゐるのではないか。

 

これからもペットには手を出さない。

 

 近ごろはあまり聞かないけれど、「抜けるやうな青空」を「ピーカンの空」と表現する人がかつてゐた。

 

 両切り煙草の「ピース」(缶入り50本、1500円)の缶の色が、無雑な青であることかららしい、

 

 先月、長姉の納骨の儀が営まれた日は、まさに雲一つない「ピーカンの空」だつた。

 

 墓地をかこむ銀杏並木が色づき始め、秋の微風にまばゆく輝いてゐた。

 

 納骨の儀には親類縁者だけが参加し、もともと母が信心してゐたのを長姉が継いだ日蓮宗の87歳になるお坊さんが、このほど京都の本山で行はれた昇級試験にめでたく合格、晴れて身に着けることを許された緋の法衣を、この日初お披露目した。

 

 「過去、この試験に合格した中の最高齢ださうですよ」

 とお坊さんは自慢して上機嫌である。

 

 その絹の緋色が、ピーカンの空のもと、墓を取り囲む緑の芝生の上をあちこち動き回ると、はしなくも繰り広げられたその矯激な色の対比は、クラッシック音楽の大締めの、大太鼓やシンバルが過激に打ち鳴らされる大音響のやうで、読経もまだ始まらないうちから、ぼくの頭の中はそのひびきと、青空と、かがやく太陽と、お坊さんの袈裟の赤とでくらくらした。

 

 実は生理的に、激しすぎる色の対比が好きではない。

 

 闇夜にうかぶ月光の黄と黒や、庭の柘榴(ざくろ)の実の、完熟した赤橙色と空の藍、町の通りで見かける看板の赤と青のペンキなど、色彩と色彩が隣り合ひで喧嘩する姿を見ると、なぜかしら生と死の対比を見るやうで落ち着かない。

 

 「その緋色は強烈ですね」

 

 ぼくは悪気はなく老僧に話しかけ、家人があわててぼくの黒服の袖を引いたがもう遅い。

 

 「いや、過去最高齢の合格といふのは素晴らしいです」

 と付け足したものの、お坊さんの顔は二度とゆるまなかつた。

 

 激しい色の対比は好きではないと言ひながら、ぼくが日常身に着ける服は老僧の袈裟以上に過激かもしれない。

 

 紺のストライプの入つた白いコットンパンツに真つ黒なシャツを着たり、青のTシャツに真つ赤なブレザーを羽織つたりする。

 

 「ねえ、その組み合はせだけはよして!」

 と家人や娘には嫌悪されるが、本人が好きで着るのだからとやかく言はれる筋合ひはない。

 

 友人の中にはぼくと会つてゐるあひだ中、墓地でのぼくのやうに頭がくらくらした経験のある人がゐるかもしれない。

 

 困つた嗜好で申しわけありません、と詫びるしかない。

 

「そんなヘンな声をあげるの止しなさい!」

 

子どものころ、背伸びをした拍子に大声で「アーア、アッ」と叫ぶと、母親に叱られた。

 

「そんな声を出したら、あの家には何がゐるのだらうつて思はれるでしよ」

 

父親が警察署長として各地を転々としてゐたころ、どこでも「署長官舎」住まひを余儀なくされた。

 

「署長サン」といふのは私生活も謹厳実直、家庭内から何かをかしな動物の鳴き声みたいな声が立つてはいけなかつたのか、

 

母親はいつも周囲の目を気にしてゐた。

 

土地の有力者などが「御歳暮」「御中元」「年始挨拶」の品を持つて来ると、門まで見送りに出た母親は、隣近所の誰かに見られてゐなかつたか左右を確認してから門を閉めた。

 

「署長官舎」の住人は、少しでも周囲から浮いたり目立ったりしてはいけなかつた。

 

姉たちが自転車一台買ふにも、赤とか黄色とかはダメで、ごくフツーの、人目に立たない色を選ばなければならなかつた。

 

ある夏、ぼくより十三歳も上の娘盛りの姉が、当時にしては最新モードの、背中を大きく露出したシャツを得々と買つて帰宅すると、母親は自分も一緒に店に戻つて地味なカラーとデザインの一着に交換させた。

 

「よその町で着るならあれでもいいけど、官舎を出入りする女の子があんなのを着てゐたら何と言はれるか、よく考へなさい!」

 

幼時からそんな生活を強いられてきた反動か、ぼくは家庭を持つてからは家人にも子供たちにも、小うるさい制約や羇絆は一切課さなかつた。

 

着る物なんか赤でも青でも着たいものを着ればいい、食べたいものを食べればいい、人にどう思はれやうとしたい事をすればいい。

 

その結果、わが家はどうなつたか。

 

毎日、部屋の明かりが消えるのは午前2時過ぎ、雨戸が朝ひらくのは午前9時、庭で40人ほどお呼びして騒々しい花宴もやれば、長男が少々度が過ぎる音量でジャズを聴いても「やめなさい」とは言はない。

 

もし母親が生きてゐたら「あの家はみんな気が狂つてゐる」と噂されるのを心配したに違ひない。

 

家庭ばかりではない。

 

ぼく自身がかの「フーテンの寅さん」――自由気ままに生きる姿に近くなつた。

 

夜に物を作り、朝に販売するといふ仕事だつたために昼夜は逆転、刑事事件でも起こせばライバル紙の朝日や毎日に大々的に叩かれるから注意しなければならないけれど、私生活では昼も夜も酒を(少々)飲んだり、取材対象は厳しく批判しても自分は割合批判されないといふふしぎな環境だつたから、財布と時間が許せば不羈奔放な生活に傾いた。

 

最近、ぼくが昼下がりにワインを飲みに行かうとすると、家人が

 

「若い時からやりたいやうに生きてきたのだから、80歳を過ぎたら歳相応に大人しくしてもいいんじやゃないの。体のことも考へて」

 

と忠告する。

 

その口ぶりからふと思ひ出すのは。子どものころの母親の説教である。

 

ぼくも母親のやうにいつも周囲を気にして、周りの目におどおどしながら生きてきたら、わが人生、どう変はつてゐただらうか。

 

そこにはまた別の味はひがあつたかもしれないな、などと夢想する。。