20代のをはり、新聞社の地方支局から本社に上がつて政治部に配属されたころ、日々の単純な特ダネ競争に空しさを感じ、居酒屋で一杯やりながら先輩に苦衷を打ち明けた。

 

 「そんな深刻に考へることない。毎日毎日、抜いた抜かれたの繰り返しに飽きがくるのは俺たちの職業病。もし抜かれたら、『あれは5点ネタ。あす、10点ネタで追ひ抜いてやる』みたいな、一種の“ゲーム感覚”で仕事を楽しめばいいんだよ。9回裏で1点上回つてゐれば勝ちなんだから」

 

実はぼくは、この“ゲーム感覚”が生来苦手だ。ゲームといふものにあまり馴染みがない。

 

子どものころ、近所の友だちとベーゴマ、ビー玉、メンコ、野球といふやうな遊戯をやることは母親から口うるさく禁じられてゐた。

 

大学生になつて、みんなが帰りに雀荘やパチンコ屋に寄るのにも、父親が警察官だからとい自妙な理由で自制して同調しなかつた

 

日々の生活でも“ゲーム感覚”は欠如していた。

 

競馬などのギャンブルは遠ざけ、自分とは縁のないものと勝手に決めてゐた。

 

わが家では正月に親戚や友人が集まつても、双六やカルタ、福笑ひなど、いはゆるゲーム遊びに類するものはだれもやらなかつた。

 

二人の姉が母親と百人一首に興じてゐるのを見たことはあるが、長姉と13歳、次姉と7歳も歳の離れた末つ子は加へてもらへなかつた。

 

いはゆるゲームとは縁遠い23歳は、社会人になつて初めて、自分が育つた環境の特異なことに気づいた。

 

新聞記者といふ職業は、「待ち」の時間が長い。地方では、県庁でも県警でも市役所でも、どの記者倶楽部にも奥の一画に麻雀卓があり、記者たちはそこにたむろして、事件や記者会見に備えて賭け麻雀をして待機する。

 

そんな時間、ぼくは近所の喫茶店へ行き、ひとりコーヒーを飲んで過ごした。

 

携帯電話もない時代、喫茶店からのんびり記者倶楽部に戻ると、部屋には誰もゐない。

 

火事があり、焼死者が出たといふ。あわてて50ccのバイクで駆けつけたが、現場には放水でビタビタになつた焼け跡があるだけ。

 

わが一紙の県版だけ、燃えさかる写真がなかつた。

 

幼児期からの“ゲーム感覚”の欠如は、ぼくにどれだけ損失を与えたことだらう。

 

さういへば若き日の恋愛ゲームも不得手だつたし、仕事では取材相手との駆け引き、会社内では自分の出世や人事をめぐる工作、生活する上での契約や交渉など、誰もがゲーム感覚で普通にこなしてゐることの知恵も能力もなかつた。

 

とはいへ、ゲームの外にゐたことのプラスもあつたに違ひない。

 

人生の九回裏になつて、「どつちが1点多いか少ないか」ひそかに計算してみたりする。