孫が七五三の写真を撮るといふので、デパートの中の写真館まで付き合ひました。
 いま、全部の写真館がかうなのかどうか分かりませんが、驚きました。

 カメラマンは写真を撮るのではなくて、(もちろんシャッターは押すのですが)傍らに置いてあるパソコンの操作に大半の時間を費やすのです。

 孫は2歳半の男の子。羽織袴を着けて衣装室から出て来るなり、「ばあばーッ」と家人に走り寄らうとして、慣れない足袋のせゐもあつてか滑つて転び、口の中を少々切りました。当然泣き出し、これで撮影は15分遅れとなりました。

 さて、スタジオに入つて撮影開始。最初は長男一家三人の家族写真です。
 三十代と思はれるメタボ腹のカメラマンは、一瞬で変化する孫の動き、表情を逃すまいと、まるで動画を撮影するやうにシャッターを連続して切ります。

 「お母さん、こちらを向いて、顔を少し斜めに。さう、さうです。アッ、お父さんはこちらを見てーー」

 その間、孫は母親を見たり父親に顔を上げたりです。「本日の主人公」が正面を見てゐないでいいのかなと心配になりましたが、カメラマンは構はずフラッシュをたきます。

 そのうち彼は、一回シャッターを押しては脇のパソコンの画面をのぞき、またシャッターを切つては画面を見る。マウスを動かし、頻繁にクリックを繰り返してゐます。

 「ハイ、すいません。お父さん、こちらを見て、ちよつとにこやかに。ハイ、OKで~す」

 シャッターを押すと、またパソコン操作です。何をしてゐるのかなと覗き込みました。

 なんと彼は画面上で一家三人を別々に切り離して、母親の部分をあれこれ替へたり、孫の部分を次々別の顔の写真に切り替へて、三人別個にベストな表情や姿勢の写真を探してゐるのです。

 つまり、出来あがる映像は「一家三人」のお祝ひ写真ではあるけれど、三人を同時に撮影したものではない。別々に撮つた画像を張り合はせたものなのです。

 「ほう、今は写真といふのはかうして作るのですか。だから完璧な画面が出来るのですね」

 さう言ふしかありません。彼の説明によれば、これからさらに背景を別なものにしてみたり、衣装の色合ひを調整したり、椅子などの微小な傷を消したり…といふ修正をするのださうです。

 僕は昔から、写真は必ずしも本当の姿を写さないと考へてゐます。ライティングの具合やアングルによつて、現実とはまつたく違つたものが出来あがるし、そこには恣意的な誇張も、勝手な削除も入り得る。

 だからこそカメラマンのウデが発揮され、芸術性も加味され、味のある写真が誕生するのだと思ひます。

 この世界にもコンピューターが導入され、その傾向が一層強まつたやうです。七五三の撮影を見て確信しました。いま、写真は真実を撮らないのです。
 日本橋での会合が早く終はつた。まだ8時半である。このまま帰宅するのは勿体ない。

 現役のころならたまには9時前に帰途につき、体を休めようと考へることもあつたが、今は飲み会も月に数回で、まして日本橋や銀座へ出ることはめつきり減つた。かういふ機会を逃す手はない。

 だいたい日本橋での会合が不完全燃焼である。幹事の趣味だらうが、リミットが2時間15分の飲み放題食べ放題。

 僕は昔から「○○放題」といふのを好まない。美味しいものを少々食べ、美味しいワインを少々飲んで、あとはその場の人間と言ひたいことを言ひ合ふのがいい。

 言ひ放題ならいいが、食べ放題飲み放題といふのは下品である。あれは飲む物食ふ物を侮辱したシステムではないだらうかーーなどといふことを酔つた頭で考へながら、店の外で一同と別れて地下鉄銀座線に乗る。

 もちろん銀座で下車するしか手はないのだが、下車間際に斬新な発想が湧いた。
 ざつと30年前、よく通つた築地のしよぼくれた飲み屋を訪ねてみようかといふ気が起きた。

 この不況だし、店は潰れてゐるかもしれないなといふ思ひもあつた。それならそれでいい。確認しよう。僕と同じ年頃だつたやせ型のご主人は、今は何をしてゐるだらう。

 そのオヤジとは閉店後よく遊びに出た。僕は会社が当てがつてくれるハイヤーがあつたので、彼を乗せて深夜までやつてゐる四ッ谷の寿司屋に行つたり、当時全盛だつたカラオケバーで朝まで歌つたりした。

 銀座駅で降りて、東へ歩き出し、歌舞伎座の前を通り…のはずだが、正直言ふとどう歩いたか覚えてゐない。飲み放題は嫌ひなどと言ひながら、実は日本橋の店で安ワインを一人で2本ほど飲んでゐた。へべれけだつたのである。

 築地の店は30年前のおぼろげな記憶では電通本社の東側の路地にあつた。旧松竹(映画会社)と電通の間の道を行き、路地を左折する。飲み屋なんてない。

 あたりの路地を行つたり来たりする。築地本願寺正面から西側にかけてのこの地域は、再開発にも遭はず、比較的変貌してゐない。

 ある角を曲がると、「ふるさと」といふ白地に黒文字の電飾看板が見えた。さうだ、こんな名前だつた。

 初老の小太りの女が一人でカウンターの中でテレビを見てゐる。
 「いらつしやい。どうぞ」
 とカウンター席を勧める。カウンターが5席と4人掛けのテーブルが3つあるが客はゐない。

 女性はもちろん僕に見覚えはない。よく通つてゐたころ、オヤジは婚約中だつた。店には母親とこの女性らしき人がたまに出てゐたが、僕も変はつた。分かるはずがない。

 「昔、この店に中国の玉の盃があつたのを覚えてゐませんか」
 そのころ出張先の北京でみやげに買つた玉盃ふたつの内の一つをここに置いてゐた。

 「ああ、あつたかもしれないけど、主人が亡くなつたとき、一度店を閉めたので、みんな処分しちやつた」
 「ご主人、亡くなつたの?いつごろ?」
 「もう10年になるかな」
 「何で?」
 「ガン。ーーよく飲んだからね」

  秋になると、若い頃通つてゐた店や飲み屋街にふと行きたくなる癖がある。
 若いころから枕元に一冊の手帳が置いてあります。ボールペンが挟んであります。朝起きてすぐ、見た夢を書き留める「夢日記」です。

 九月に入つてからけふまで、まだ二つしかメモがありません。八月も3つ。七月も3つです。このところ急に減りました。

 昔から夢はよく見る方です。それもある程度の筋書きがあつて、目覚めてからもストーリーを順に辿れるやうな具体性があります。

 友人との旅行とか、仕事の何気ない一場面とか、夢の物語はどうといふことのないものがほとんどです。たまに続きを見たくなるやうな恋物語や、目新しい旅行先も登場しますが、多いのは記者会見に遅刻しさうになつて慌てるところとか、見知らぬ土地に踏み込んで迷子になつて困惑する話です。

 幸ひにも夢にうなされる場面とか病に苦しむ情景はありません。ですから夢を回想して不愉快になることはなく、朝起きて手帳にボールペンを走らせる瞬間は大体上機嫌です。

 夢が正夢になつた経験もありません。
 この筋書きは夢通りに進行すればいいのにな、と思ふ夢もないわけではありませんが、一度として夢が現実になつたことはありません。

 しかし、ともかくよく夢を見たのです。手帳は一か月1ページづつになつてゐますが、多い月は10項目以上の記述があります。三日に一回ほど夢を見たのです。

 最近、その記述が激減したのは、一つには頭の老化でせうか。

 朝目が覚めて、さつきまで何か夢を見てゐた自覚はあるのですが、筋書きが明瞭に思ひ出せない。断片的に思ひ出せても、メモにしようとするとまとまらない。

 登場人物も、たとへばある女性だつたやうな気もするが後半は別の女性のやうな感じもあつて、特定できない。

 夢に物語的な要素が希薄になつたのです。前後左右が矛盾するストーリー、入れ替はる登場人物、あちこちに飛ぶ背景、結末のあやふやさ…。

 しがない物書きの身で、かういふ変化は嬉しいことではありません。売れつ子脚本家に聞いた話ですが、数本のドラマを同時進行で書いてゐて、人物の境涯の設定を取り違へることがあるさうです。僕も気を付けないといけない。

 もつと悲劇的なことも覚悟しなければなりません。
 もう「ユメを見られない」のではないか。

 生理現象としての「夢」が減るといふことは、もしかしたら比喩的な意味での「ユメ」、理想とか願望とか将来とかいふ意味での「ユメ」をみることができない体質に変化してきてゐるのではないか、それこそが本当の「老化」ではないか、といふ恐怖です。