日本橋での会合が早く終はつた。まだ8時半である。このまま帰宅するのは勿体ない。

 現役のころならたまには9時前に帰途につき、体を休めようと考へることもあつたが、今は飲み会も月に数回で、まして日本橋や銀座へ出ることはめつきり減つた。かういふ機会を逃す手はない。

 だいたい日本橋での会合が不完全燃焼である。幹事の趣味だらうが、リミットが2時間15分の飲み放題食べ放題。

 僕は昔から「○○放題」といふのを好まない。美味しいものを少々食べ、美味しいワインを少々飲んで、あとはその場の人間と言ひたいことを言ひ合ふのがいい。

 言ひ放題ならいいが、食べ放題飲み放題といふのは下品である。あれは飲む物食ふ物を侮辱したシステムではないだらうかーーなどといふことを酔つた頭で考へながら、店の外で一同と別れて地下鉄銀座線に乗る。

 もちろん銀座で下車するしか手はないのだが、下車間際に斬新な発想が湧いた。
 ざつと30年前、よく通つた築地のしよぼくれた飲み屋を訪ねてみようかといふ気が起きた。

 この不況だし、店は潰れてゐるかもしれないなといふ思ひもあつた。それならそれでいい。確認しよう。僕と同じ年頃だつたやせ型のご主人は、今は何をしてゐるだらう。

 そのオヤジとは閉店後よく遊びに出た。僕は会社が当てがつてくれるハイヤーがあつたので、彼を乗せて深夜までやつてゐる四ッ谷の寿司屋に行つたり、当時全盛だつたカラオケバーで朝まで歌つたりした。

 銀座駅で降りて、東へ歩き出し、歌舞伎座の前を通り…のはずだが、正直言ふとどう歩いたか覚えてゐない。飲み放題は嫌ひなどと言ひながら、実は日本橋の店で安ワインを一人で2本ほど飲んでゐた。へべれけだつたのである。

 築地の店は30年前のおぼろげな記憶では電通本社の東側の路地にあつた。旧松竹(映画会社)と電通の間の道を行き、路地を左折する。飲み屋なんてない。

 あたりの路地を行つたり来たりする。築地本願寺正面から西側にかけてのこの地域は、再開発にも遭はず、比較的変貌してゐない。

 ある角を曲がると、「ふるさと」といふ白地に黒文字の電飾看板が見えた。さうだ、こんな名前だつた。

 初老の小太りの女が一人でカウンターの中でテレビを見てゐる。
 「いらつしやい。どうぞ」
 とカウンター席を勧める。カウンターが5席と4人掛けのテーブルが3つあるが客はゐない。

 女性はもちろん僕に見覚えはない。よく通つてゐたころ、オヤジは婚約中だつた。店には母親とこの女性らしき人がたまに出てゐたが、僕も変はつた。分かるはずがない。

 「昔、この店に中国の玉の盃があつたのを覚えてゐませんか」
 そのころ出張先の北京でみやげに買つた玉盃ふたつの内の一つをここに置いてゐた。

 「ああ、あつたかもしれないけど、主人が亡くなつたとき、一度店を閉めたので、みんな処分しちやつた」
 「ご主人、亡くなつたの?いつごろ?」
 「もう10年になるかな」
 「何で?」
 「ガン。ーーよく飲んだからね」

  秋になると、若い頃通つてゐた店や飲み屋街にふと行きたくなる癖がある。
 若いころから枕元に一冊の手帳が置いてあります。ボールペンが挟んであります。朝起きてすぐ、見た夢を書き留める「夢日記」です。

 九月に入つてからけふまで、まだ二つしかメモがありません。八月も3つ。七月も3つです。このところ急に減りました。

 昔から夢はよく見る方です。それもある程度の筋書きがあつて、目覚めてからもストーリーを順に辿れるやうな具体性があります。

 友人との旅行とか、仕事の何気ない一場面とか、夢の物語はどうといふことのないものがほとんどです。たまに続きを見たくなるやうな恋物語や、目新しい旅行先も登場しますが、多いのは記者会見に遅刻しさうになつて慌てるところとか、見知らぬ土地に踏み込んで迷子になつて困惑する話です。

 幸ひにも夢にうなされる場面とか病に苦しむ情景はありません。ですから夢を回想して不愉快になることはなく、朝起きて手帳にボールペンを走らせる瞬間は大体上機嫌です。

 夢が正夢になつた経験もありません。
 この筋書きは夢通りに進行すればいいのにな、と思ふ夢もないわけではありませんが、一度として夢が現実になつたことはありません。

 しかし、ともかくよく夢を見たのです。手帳は一か月1ページづつになつてゐますが、多い月は10項目以上の記述があります。三日に一回ほど夢を見たのです。

 最近、その記述が激減したのは、一つには頭の老化でせうか。

 朝目が覚めて、さつきまで何か夢を見てゐた自覚はあるのですが、筋書きが明瞭に思ひ出せない。断片的に思ひ出せても、メモにしようとするとまとまらない。

 登場人物も、たとへばある女性だつたやうな気もするが後半は別の女性のやうな感じもあつて、特定できない。

 夢に物語的な要素が希薄になつたのです。前後左右が矛盾するストーリー、入れ替はる登場人物、あちこちに飛ぶ背景、結末のあやふやさ…。

 しがない物書きの身で、かういふ変化は嬉しいことではありません。売れつ子脚本家に聞いた話ですが、数本のドラマを同時進行で書いてゐて、人物の境涯の設定を取り違へることがあるさうです。僕も気を付けないといけない。

 もつと悲劇的なことも覚悟しなければなりません。
 もう「ユメを見られない」のではないか。

 生理現象としての「夢」が減るといふことは、もしかしたら比喩的な意味での「ユメ」、理想とか願望とか将来とかいふ意味での「ユメ」をみることができない体質に変化してきてゐるのではないか、それこそが本当の「老化」ではないか、といふ恐怖です。
 どの世界にもタブーはあります。ご存じのやうに、会社の面接試験で試験官が絶対に質問してはならない項目があります。セクハラ、個人情報などの質問はもちろん禁句ですが、それより「居住地の詳細」を聞くことは厚生労働省の指導により禁止されてゐます。

 いま新体制の国会で一番タブーとされてゐることは何だと思ひますか?記者クラブ制度です。

 けふ、自民党と民主党の話し合ひで、国会議事堂内の政党控室の取り換へつこが決まりました。

 議席数が逆転したので、国会議事堂内の政党控室も、広い自民党の控室と狭い民主党の控室が交換されることになつたのです。

 国会議事堂の向つて左側が衆議院です。現在、その2階の、中庭を挟んで東側に自民党、西側に民主党の控室があります。東側は皇居から銀座方向を望み、西側は議員会館から赤坂方面に面します。

 自民党控室は民主党の倍くらゐの広さがあります。こんど議席数が逆転したから、東側の広い控室に民主党が移り、自民党は3階に移転することになりました。

 実は、この控室の移転問題。テレビでも新聞でもあまり大々的に取り上げません。たかが議事堂内の話だから?

 さうではないのです。自民党でも民主党でも、控室のおよそ半分は記者クラブが占領してゐるからなのです。

 日本記者クラブ所属の新聞、テレビ、通信社が、各社ごとに衝立を挟み、電話、パソコンを配備、5名から2名程度の椅子を確保してゐます。テレビの記者ものでよく見る「記者クラブ」が国会内にもあるのです。

 記者クラブの中央には大きなテーブルが置かれ、ここで随時、記者会見が開かれます。いはば日本の主要マスコミの取材拠点です。主要政治ニュースの大半はここから発信されます。

 この記者クラブを管理するのは日本記者クラブです。日本記者クラブに所属してゐない雑誌社とか外国メディアは記者クラブに入れません。当然ここで開催される記者会見にも出席できない。

 民主党は以前からこの「記者クラブ制度」を廃止しようといふ考へです。月刊誌でも週刊誌でも外国メディアでも自由に入れる記者会見を目指してゐます。

 つまり、民主党は国会内の各マスコミの取材拠点である「記者クラブ」を廃止しようとしてゐるのです。その第一歩が「政党控室」をいかに造作するかです。

 記者クラブ制度を本気で潰すつもりなら、控室の半分を占める「記者クラブ」を無くさなければなりません。こんな小さなことから、民主党の実行力は試されてゐます。

 ただ、新聞もテレビも自分のことだからあまり報道しません。「些細なことだから」と報道しないとしたらフェアぢやない。

 国民に直接関係ないことですが、僕は政権発足前からここに注目してゐます。