生来、「物を作る」のが苦手である。

 

小学生のころ、図工、音楽、体育の通信簿はいつも5点評価の「3」。国語、算数、理科、社会は「5」なのに。

 

両親に見せると、「親譲りかな」と笑つた。叱られると思つたら笑つて許されたので、これでいいのだと感じて、その後ずつとそのままだつた。

 

イヤな思ひ出がある。

 

5年生のとき、夏休みの図工の宿題で、ぼくが提出した作品が学年の最優秀作品に選ばれ、父兄会の日に廊下に展示された。

 

ヤマ型に歪曲した柘榴(ざくろ)の枝の皮をはがし、紙やすりでよく磨いて、丁寧にニスを塗り、ヤマ型の頂点から頑丈なS字型の針金を刺し通した「手作りハンガー」だ。

 

ぶつちやけた話をすると、実はこれはぼくの作ではない。

 

7歳年上の姉が小学校高学年のころ「夏休みの宿題」として提出、何らかの賞をもらつたらしく金色の紙が張られて返つてきたのを覚えてゐる。

 

その後は母が、「つるつるした枝の感触がいいのと、太い針金の掛け手の使ひ勝手がいい」と愛用してゐた。

 

ぼくはそのハンガーを母から借りて、改めてやすりを掛け、ニスを塗り直して学校に提出した。

 

枝の部分にいささか使ひ込んだ擦り傷もあり、姉は「こんなもの出して大丈夫なの」と心配したが、姉が賞をもらつたのはもう何年も前のことだから誰も覚えてゐないだらう、とぼくは気にもしなかつた。

 

それがバレた。

 

ある日、職員室の教師たちの間で夏休みの宿題が話題になつたらしく、ある中年女性教師が「あの手作りハンガー、前に見たことある」と言ひ出したといふ。

 

記録を調べると、作者は姓が同じで、ぼくの姉と判明した。

 

普通なら「最優秀作品」は取り消しになるところだが、ぼくに優しかつた老女性担任が「一度父兄会で発表したものを取り消すことなんてできない」と強硬に突つぱねてくれた。

 

これに味を占めて、ぼくは翌年の夏休みの宿題に、こんどは町のクリーニング店がくれた大量生産の凡庸な木製ハンガーの、店名が印刷された部分をナイフで削り取つて紙やすりを入念に掛け、ニスを塗つて提出した。

 

これには老女性担任も噴き出して、「これはちよつとムリね」とその場で返してよこした。

 

子どものころから、たとへば鋸(のこぎり)、金槌(かなづち)、荒縄、布、板切れなど、「物作り」の道具、素材に素手で触れた感触を知らない。

 

さういふ物に触らうとすると母親が「危ない!」と言つて止めた。

 

家人によく言はれる。

 

「船が難破して無人島に漂着したら、いちばん最初に死ぬタイプね」

 

独りで生活するための智慧や能力、何か物を作つて生き延びる才覚がゼロだといふ。50年も一緒に暮らしてゐると、夫の弱点をよく知つてゐる。

 

新聞社系週刊誌の編集部――。カメラ班長のヴェテランカメラマンがやつて来る。

 

 「どつちがいいか決めてくれませんか。迷つて迷つて、カメラ班ではまう決められないので」

 

 彼は両手に1枚づつ、印画紙に焼き付けたばかりで、しんなりしつとりした写真を提げてゐる。

 

来週号の表紙をどちらにしたらいいか、といふ相談である。

 

 「ウウーン。家族皆殺しの長男が連行される写真と、母子が轢き殺された交通事故の写真ねえーーどちらも今週の大ニュースだから、確かに迷ふな」

 

新聞社の写真部出身の彼は、ぼくの机に2枚の写真をならべる。

 

かういふとき、ぼくは彼の右手を見る。

 

右手にあつたのは、長男が連行される途中、警察車両に乗せられる際に片方の肩を押されて顔がアップになつた一枚だ。

 

「こつちかなあ。写真としてはどつちも迫力があるけど、やはりこつちかなあ」

と、ぼくは長男連行の写真を指さす。

 

「編集長、そんな簡単に決めないで、じつくり選んでくださいよ。写真班ではみんなで1時間くらゐ議論したのですから」

 

「どんな議論をしたの?」

 

「いろいろな意見が出ましたけど、要するに、表紙に使ふ『絵』として、家族殺し犯人のはうが迫力があるのか、ウチの雑誌のあり方として、母子轢き殺しのはうが社会全体に警鐘を鳴らすことになるのか、といふ点ですね」

 

「それは尤もな議論だけどーーでも、やはりこつちでいいんぢやないか」

とぼくはもう一度、長男連行の写真を指さす。

 

カメラ班長は納得してカメラ班の席へ戻つて行く。

 

表紙に限らない。毎週火曜日午前にひらく編集会議では、今週号で何を取り上げ何を取り上げないかを編集部の50人ほどで議論するのだが、その場で結論は出ない。

 

新聞社系週刊誌といふ本質を忘れてはならない、とか、宅配がない週刊誌はやはり駅頭で売れてなんぼのものだから、とにもかくにも人目を引くネタでなければ、とか、ああでもないかうでもないの議論は尽きない。

 

結局は、そのあと編集長とデスク二人だけで、来週号で扱ふ材料と担当記者を決定するのだが、編集会議の出席者は「ひとこと多い」新聞記者あがりが大半といふこともあつて議論百出、放つて置いたらいつまでたつても結論は出ない。

 

どちらにするかーー編集長のところまで持ち込まれる決断は、ぼくの考へでは、まうどちらを採つても大差のない場合が多い。

 

相手はただ、AにするかBにするかの最終判断を求めてゐるのだから、ぼくは簡明に一方を選ぶ。

 

そんなとき、ぼくが頼りにするのは、相手が「最初に口にする言葉」と、相手が「右手に持つてゐるもの」である。なるべく相談者の気持ちを傷つけたくはない。

 

人は何か思念を心に秘めてゐるとき、最初に口にする言葉にそれがあらはれる。

 

手に持てる物なら、彼自身がより重要と考へるはうを右手に持つものだ。

 

 議論の堂々巡りは百害あつて一利なし。誰かがどこかで断を下さなければならない。

 

七夕選挙となつた今回の都知事選は、事前のマスコミや政党本部の調査どほり、現職の3選に終はりましたが、選挙結果で耳目を集めたのが、参院議員の蓮舫氏が現職はもとより地方市長にも抜かれて3位になつたことです。

 

蓮舫氏の敗因については、既成政党が見放されたとか、蓮舫氏の放胆な印象が都民に愛想をつかされたなど、いろいろ分析が行はれてゐるやうですが、ぼくの見るところ、これまで蓮舫氏の政治的野心をさんざん見せつけられてきた都民が、「こんどは『東京都知事』を経歴のアクセサリーの一つにするつもりか」といふ不快な感情が大きく影響した気がします。

 

もし蓮舫氏がここで都知事になつたとして、1期か2期やつて、化粧台にあるクレンジングに飽きが来るやうに知事に飽きたら、「さあ、ニッポンの首都の知事も無事こなした」と喧伝、今度は本腰を入れてふたたび国政選挙に臨み、さらなる野心――首相や大臣ポストを狙はうとするんぢやないか、と大方の都民は肌感覚で見抜いたのです。

 

ここであらためて思ひ出されるのは、民主党政権下の2009年11月、「事業仕分け」の委員会で蓮舫氏が吐いた名セリフです。

 

「世界1位」を目ざしたスーパーコンピューター・京(けい)の開発費用に関して、蓮舫氏が官僚に対して言つた「2位ぢやダメなんですか」といふセリフ。

 

これが影響したのか、開発予算は却下され、「京」の技術は「富岳(ふがく)」に受け継がれたものの、未だに「1位」にはなつてゐません。

 

あのセリフを口にした蓮舫氏にしても、政治家としては「1位」に憧れてゐたのは間違ひないし、今回は大敗を喫しましたが、まだまだ初心の大望は捨ててゐないでせう。

 

「さすがのお嬢も、『3位』落選はこたへただらう。当分休息するのでは」

といふ観測もあるやうですが、見てゐてください。

 

1973年の田中角栄番から30年余、国会議事堂や永田町で政治家の体臭を横で嗅いできた経験から言ふと、政治家といふのはそんなに品が良く、廉直な人ばかりではありません。

 

もちろんいい人もゐますが、ほとんどは逆です。

 

「3位」は必ずや、またどこかの選挙に立候補します。

 

プロ野球やオリンピックでは「3位」は挫折ですが、政治の世界では「今回は今回、ま、いいか」があんがい通用するのです。

 

「あのときはなんとも悔しい思ひをしましたが、今度こそは皆さまの期待に応へたい」

 

かう言つて涙の一つでも見せれば、「3位」もむしろ演説のスパイスになるし、大衆社会といふのはその程度のもの、と政治家は高をくくつてゐる。

 

その時期は意外と近い気がします。