カレーライスはお好きですか。
わが家ではいま50代半ばになつた長男が、子どものころ無類のカレー好きだつた。
夕食で余つたカレーを翌朝食べて、その晩の食事がまたカレーでも喜んで食べた。
「カレーがまだ残つてゐるなら、それがいいな」
長男はさう言つて、栄養を案じる母親がほかの料理を作ろうとしても、カレーに手を出した。
彼が就職活動に入るとき、ぼくは自分の跡を継がせようと新聞社を勧めた。
すると彼は、「ぼくは家を母子家庭にしたくないから」と即座に拒否した。
ここで言ふ「母子家庭」とは、父親が仕事にかまけて家を留守にしがちといふ意味らしい。
夜討ち朝駈けーー朝は六時過ぎに迎への車で家を出、夜は深夜まで帰宅しない父親を見てゐて、そんな言葉を思ひついたのか。
息子の口から「母子家庭」と聞いたとき、なぜかカレーの匂ひが漂ふのを感じた。
彼は結局、堅実な鉄道会社のJR東日本に就職した。
ぼくは昔から、カレーライスが格別嫌ひなわけではない。
東京・永田町で働いてゐたころ、日比谷公園を横切れば歩いて行けるところにあるインドネシア料理店のカレーに凝つて、週に何回か通つたりしたこともある。
ところが歳をとるにつれ、嗜好が変化したのか、カレーライスを徐々に敬遠するやうになつた。
「今夜はカレーでいいかしら」
家人が遠慮がちにさう聞いてくると、つい正直に渋い顔になつてしまふ。
理由は単純である。カレーは酒に合はない。
刺身はもとより、焼き魚、煮物といふやうな「普通の和食」には、日本酒、ワイン、ウイスキー、焼酎など、いづれにしてもどこかで酒と妥協するところがあるが、カレーだけは絶対にアルコールと妥協しない。
それどころか、カレーはアルコールを拒否し、敵対し、撃退しようとする。
アルコール度15度前後の日本酒と、スパイスの効いたカレー味が融和するわけがない。
赤や白のワインとカレーのルーが、口中で円満に混ざり合ふわけがない。
カレーの峻烈に酒の豊饒が負けてしまふ。
酒とカレーを同時に口に入れたら、酒のはうが背を向けて逃げまどふ。
もう一つの理由は、これはぼくの偏頗な好みに過ぎないのかもしれないけれど、カレー好きの方々の反発を恐れずに言へば、「カレーはみんな同じやうな味」に思はれてならない。
近ごろ渋谷とか新宿とか、「ここのカレーは絶品」、「これぞ日本人に適応したカレー」などといふ評判を耳にして出かけてみると、たいがいは落胆する。
大きな範疇でいへば、味も匂ひも、やはり「カレーはカレー」なのだ。
それとも不幸にして、ぼくはまだ本当に旨いカレー、アルコールと相性のいいカレーに出会つてゐないだけのことか。
