演壇に立つた瞬間、アレッ、予想とちよつと違ふなといふ印象がありました。渋谷の高級ホテルの39階です。
 
 主催者の話では、その講演会の出席者は渋谷周辺にある大会社の社長、老舗の商店主、外資系企業の役員クラスで、年齢層も六十代が多いといふことでした。
 
 「65歳超3000万人時代の『気節』」――主催者との打ち合はせで、講演のタイトルはかういふものでした。4人に1人が65歳超といふ、世界に例を見ない高齢化社会に生きる心構へを、高齢者が高齢者仲間に向かつてお話しするといふ趣旨です。
 
 ところが、約150人ほど入る会場を見渡すと、ランチを兼ねた講演会に来てゐたのは、確かに社長サンらしい人もゐますが、どちらかといふと「社長に言はれて渋々やつてきた」といふ感じの役員、会社の中枢の部長クラスが大半だつたのです。見るからに仕事の出来さうな、社内用携帯電話の派手な紐を首からさげた「女性幹部」もちらほらゐます。
 
 案の定、講演を始めてもノリが悪い。
 僕は大体、どの会場でも前の方にゐる熱心な一人か二人を選んで、その人に向かつて語りかけるのですが、その一人か二人がみつからない。
 
 講演の大筋は、高齢化社会を溌剌と生きるには、自分の中の気構へとして、「気節」、つまり「気概」と「節度」を程よく合はせ持つことが大切で、気概ばかりが勝ち過ぎると「ウルサイ老人」扱ひをされるし、節度ばかりを気にするとつまらない人生になる。このアンバイが大切だといふのが論旨です。
 
 もともとこの経営者団体が僕に講演を依頼してきたのは、昨年秋、ある文学賞を受賞した僕の小説を読んだ団体幹部の一人が、「これが老後の人生の知恵ではないか」と妙に感動してくれたことが発端です。
 
 小説は、定年退職して退屈してゐた男がある宴席で年増芸者と知り合ひ、意気投合して三浦半島の三崎へドライブして、あと一歩で旅館へ入りさうになるが、最後の最後で男が引いてしまふといふ、ある意味、情けない話です。
 
 打ち合はせ段階でご懇談した社長サン(大手語学教室の社長)によれば、芸者に惚れてちよつかいは出すが、最終的には「接して洩らさず」で引く。これが年寄りの知恵だと言ふのです。
 
 男子たるもの、いくつになつても魅力的な芸者をデートに誘ふくらゐの元気がなければ昼間の仕事もできない。しかし、誘惑に負けて行きつくところまで行つてしまふとロクなことはない。「その絶妙なほどほど加減がいい」といふことでした。
 
 僕は別にそんなことを意識してこの小説を書いたわけではないのですが、さう言はれればさうかなあと思つて講演を引き受けました。「気節」といふのはこの社長サンに触発されて僕が考へ付いたタイトルで、夏目漱石なども使用した古い言葉です。
 
 ところが会場に行つてみると、65歳超の人は聴衆のごく一部。話を身近に感じない人が興味深く聞いてくれるはずもありません。演壇からもそれが良く分かり、90分の予定時間を30分も残して講演をやめました。
 
 しかし、話してゐるうちに、この「気節」といふ言葉は自分の老後のキーワードになるかもしれないなと思ひ始めました。大事にしたい言葉の一つになりさうです。
 年賀状を読むときに楽しみなのは、印刷の文面のあとの、短い添へ書きです。
 「ご健筆をお祈りします」とか「今年もよろしく」などが多いのですが、1対1の個人的な用件が付記されてゐることもあります。
 
 その中で僕が困惑するのは、以前からその方にお誘ひを受けてゐる団体や組織への加入について、「そろそろいかがですか」と催促を頂くことです。
 
 もちろん誘つてくれるのは純粋にご好意からで、その団体、組織に入れば僕のしがない文筆活動や評論、講演にプラスになることは間違ひありません。
 
 40年余、新聞社にゐた関係で、先輩後輩から「日本記者クラブ」を推奨されるのをはじめ、作家仲間からは「日本ペンクラブ」「日本文芸家協会」「エッセイストクラブ」などの勧誘を頂戴します。講演業の先輩からは「雑学クラブなども役立つよ」と声をかけて頂きます。
 
 「こんど200枚の小説を書きました。元高級官僚が天下り先をリタイアした後の『生と性』の話なんですが、こんな老人小説を載せてくれる雑誌はあるでせうか」
 
 記者時代の長いブランクで編集者との縁が切れてをり、昨秋、困り果てて相談した知人(日本ペンクラブ会員)からの年賀状には、「ペンクラブの話はどうしましたか。あそこは編集者も沢山ゐるからきつとお役に立ちます」とあります。
 
 思ひ返せば、小学校のころから「群れる」のが嫌ひな子供でした。新聞社に入つても上司の系列のグループに加はるのがイヤで、正月二日は上司のお宅にグループが参集して新年会を開くのが慣例でしたが、僕はつひに一度も参加せず、正月には毎年家族旅行に出てゐました。
 
 かういふと、テレビドラマの刑事物の一匹狼みたいでカッコいいですが、特別に信念があつて派閥に所属しなかつたのではありません。面倒なのです。
 
 団体や組織に加盟すれば、それなりのメリットがあることはいふまでもないでせう。それが欲しくないのではありません。団体・組織の規律(といふと大袈裟ですが、つまりは「厳然たる慣例」)に従ふのが面倒なだけです。
 
 会社の派閥に属して偉くなつた人はいつぱいゐます。いや、属さないで偉くなつた人を探す方がむづかしい。ある世界で出世するには、有力な派閥に属すこと。これが常識なのは、何も政界に限りません。文学の世界でもさうなのは、明治の昔から文壇の付き合ひとか、出版社・編集者を中心とする作家集団が幅を利かせてきた歴史が証明してゐます。
 
 僕にはさういふのが性に合ひません。いまさらどうしやうもない性癖ですが、そんな僕にも唯一、大好きな集団があります。
 
 昔から彼は何かを持つてゐると言はれてきました。いま僕が持つてゐるものが何か分かりました。それは飲み仲間です。――これには「厳然たる慣例」がないですから。
 
 
 
 
 
 古い仲間の会が、浅草のお好み焼屋であつた。もう三十年以上続いてゐる「5人の会」といふグループで、仲間を5人以上にふやさない。さう決めたわけではないが、だれも新顔を連れて来ない。一緒に来る新顔がゐないだけのことかもしれない。
 
 地下鉄日比谷線を田原町で降りて、浅草ビューホテルの方に少し歩いたところを左折するーー案内図ではさうなつてゐるが、目の前に交番があつた。
  「あのう、お好み焼屋で『染太郎』といふのですがーー」
 「ああ、染太郎ね。ここを曲つて、ほら、あそこに赤い服を着た人がゐるでしよ。あの手前」
 下町はお巡りさんまで気さくである。
 
 間口は狭い。店は暗い。看板も目立たない。古風な木の引き戸を開ける。
 突如、目の前に「昭和」があらはれる。年季の入つた畳の部屋、お好み焼きを焼くためだけの小さな四角い卓、飛騨・白川郷の民家かと思ふやうな頑丈な木組みの天井……。
 
 今はやりの「古風」や「レトロ」を衒つた店ではない。そのまんま「古い」のだ。
 お好み焼きはコースしかない。最初はキャベツと豚肉の厚切りを焼く。これは生ビールのジョッキによく合つたが、芋焼酎のロックに切り替へたところで出て来たのがモヤシとシャケの切り身。
 
 5人のうち日本酒にウルサイひとりがここで燗酒を注文し、ひとりは生ビールを続け、残る3人は大ぶりな黒い陶製の器で芋焼酎、といふ布陣となつた。
 
 ふだんなら僕だけこの辺からワインを取るのだが、さすがにお好み焼屋のワインには手が出ず芋焼酎を続けた。コース料理は次第に変化を見せ、大きな鉄板のうえに、卵とメリケン粉、魚介と野菜、焼きそばといふ三つの輪ができた。
 
 「おめでた~うございます」と大声で舞台に登場し、唐傘の上で投げ輪などを回す芸で一世を風靡した漫才師の孫にあたる粋な女性が、三つの輪の焼き物を鏝のやうな金物を駆使して上手に五等分してくれる。
 
 おどろいたのは、このコースメニューは創業以来70年間、ほとんど変はつてゐないのだといふ。豚肉とシャケと魚介類と卵とメリケン粉。これがお好み焼きの定番らしい。
 
 そこで考へた。さういへば、鮨だつて蕎麦だつて焼鳥だつて、いや、なにも和に限定しなくとも、ラーメンだつてフレンチだつてイタリアンだつて、僕たちが食べるものつて、メーンは昔からあまり変はつてゐない。
 
 朝食といへばご飯と味噌汁に焼き魚や海苔、卵、納豆、そして漬け物ーーのスタイルが、もう何十年も変はらず続いてゐるではないか。
 
 衣食住のなかで、食文化といふのはいちばん時代の影響を受けないものかもしれない。やはり人間にとつて、食べることは生きることの基本だからかな。