散歩に出かけようとすると、「帰りに花屋さんで、薔薇の花を何本か買つて来てくれますか」 と家人が言ふ。
いい歳をしたをぢさんが薔薇の花をぶらさげて歩くのもなあ、と思つて返事をためらつてゐると、「あなたは長もちする花を選ぶのが上手だから」と人使ひがうまい。おだてられちやあ、断るわけにはいかない。
「喪中につき、新年のご挨拶を失礼させていただきます」といふはがきが舞ひ込む季節になつた。ぼくもさういふ歳になつたのかと愕然とするが、同期入社の男や後輩からも届く。
ぼくは会社の同僚や、飲み仲間や、仕事で付き合つた政治家などで、あるとき、 「この人は早死にしさうだな」とふと思ふことがある。神がかつた言ひ方だが、だいたいその通りになる。
人相やら呼吸法やら食べる物の嗜好やらからさう思ふのではない。まさに「なんとなく」である。
テレビドラマに出てゐる俳優、コマーシャルによく登場する女優など、直接会つたこともなければ経歴もまるで知らない芸能人、つまり赤の他人を見てゐて、ある日、「この人は生理機能的に頭が良くないのではないか」と信じることがある。
簡単に言ふなら、「子供のころからバカだつたのではないか」と思ふ。演技、発言、笑ひなどを見て分析した結果ではない。突如、さう感じる。
薔薇の花も、人の早死にも、芸能人の頭脳も、さう判断する客観的、合理的、科学的根拠は全くない。いふならば「直感」だ。動物的感覚とでもいふべきものだらう。
こんなことは他人には言へない。理由を問はれたら説明できない。でも、ぼくは自分の直観力を大切にしてゐる。
誰もが持つてゐる直感力は、それを無視しないで、一笑に付さないで、大切にすることで、より繊巧なものに磨かれるのではないか。
