「あいつより うまいはずだが なぜ売れぬ」
亡くなつた女優森光子が若いころ、自分より演技のヘタな役者の評判がいいのを嘆いて詠んだ一句だといふ。
一人の売れつ子俳優の下には、このやうな疑問を抱く無数の無名俳優がゐるに違ひない。実際に「あいつよりうまい」役者だつたかどうかは分からない。しかし、本人はさう信じてゐた。
さうして自分の芸を過信すること、それがプライドとなつて、売れない多くの俳優の支へになつてゐる事情は、たぶん今も同じだらう。
芸能人に限らない。自分の力を過信することがプラスに働くことは少なくない。80歳で都知事の職を投げ出し新党を興した石原慎太郎氏の太陽エネルギーはそこからもたらされてゐるのだらうし、だれが見ても敗戦濃厚な衆院選に踏み切つた野田首相(民主党代表)の蛮勇もさうであるとしか思へない。
冷静に考へれば、いくら新党ブームとはいへ、こんどの衆院選で民主党や自民党に対抗できる「第三勢力」なるものが結集できるわけはないし、野田首相の生き残る道はもはやない。
それでも石原氏も野田氏も決断した。その背後にあるのは自己への過信といふべきだらう。
「もしかしたら第三極をまとめることができる」
「もしかしたら民主党は言はれてゐるほど大敗しない」
と信じたからこそ決断した。世間ではこのやうな、何の根拠も裏付けもない判断を「勘違ひ」といふ。
20年ほど前から、選挙情勢に関してマスコミ各社が実施する世論調査(1000人以下の規模のものは除く)の精度はおどろくほど向上した。
それまでは世論調査の結果があまりに「常識外れ」な数値だと、記者や地域の選挙ブローカーの「常識」で微調整といふ名の修正を加へてゐた。ある時期から、修正しないほうが選挙結果の数字に近いことに気づき、世論調査の数字を裸のまま発表するやうになつた。それ以降、新聞社などの世論調査と選挙結果とが大きく異なることはなくなつた。
世の中には「しあはせな勘違ひ」といふものがある。結婚もさうだらう。恋愛はお互ひが愛し合つてゐると勘違ひしてこそ成り立つものだが、その勘違ひに後で気がついて離婚するのは3組に1組程度で、あとの2組はそのまま幸せな結婚生活を送る。
石原氏と野田氏の場合がもしさうなら、それはそれで結構なことといふしかない。
