もう50年ほどの付き合ひになる友人から、突然、句集が送られてきた。俳句をやつてゐるとは知らなかつたのでびつくりした。
 
 初対面は高田馬場にあつた予備校の二階、夕陽が闇にかはる寸前の教室だつた。それまでにも何度か顔は見てゐたが、その日初めて隣り合はせの席となつて話をした。
 
 横須賀に生まれ、栄光学園中・高校を卒業し一浪ーー風貌も話題もバリバリの湘南ボーイである。背丈もあり、白い、小さな顔をしてゐる。東京からの帰り、横須賀線で鎌倉まで一緒になる女子高生に恋をしてゐた。
 
 翌春、ふたりとも第一志望の学部に合格、大学でも毎日のやうに顔を合はせた。
 期ごとの試験がをはると、銀座に出て、松竹セントラルといふ映画館で、当時、アメリカ映画の青春スターだつたトロイ・ドナヒューの映画を観るのがたのしみだつた。
 
 映画がをはると、彼は酒を飲みたがつたが、警察官の家に育つたぼくは未成年者の禁酒を厳格に守らされて、アルコールとは縁がなかつた。
 
 横須賀のドブ板通りにならぶ米軍基地相手のバーの女などについて語る彼は、ぼくよりずつと大人に見えた。
 
 ぼくの小説がたまに雑誌「新潮」や「文学界」に載ると、彼は「大人の目」から評価してくれた。作品がほめられれば、その感想は正しいと思ふものだ。「こいつは文学が分かるな」と感心した。
 
 卒業後、彼は大手の広告代理店に、ぼくは新聞社に就職して、会ふことは年に一二回になつた。彼は東京営業本部長やメディア本部長として多忙だつたが、お互ひ時間を作つて銀座や四谷で飲んだ。還暦を過ぎるころからは数年に一回、夫婦四人で会食するやうになつた。
 
 さういふときも、彼は俳句の話は一切しなかつた。送られてきた句集の作者紹介をみると、十年前から仲間との句会を始めたとあるから、ぼくにはずつと黙つてゐたことになる。
 
 渡し舟 野菊に向かひ 棹を指す
 やんま追ひ 息をひそめてゐる 夏田
 
 ――などといふ自然派も悪くないが、ぼくとしては
 
 捨てられし グラビアヌードに カビの華
 初春や テネシーワルツの 喫茶店
 
 ーーなどの句に彼らしさを感じる。ヨコスカ生まれの出自をみる。
 
 バリバリの湘南ボーイ、バリバリの広告マンも、最後はかういふ世界にたどり着くのが日本人の感性なのかもしれない。
 
 
 なんどメールをしても届きません。パソコンからだと、「このアドレスはアン・ノウン」だと注意がくるし、スマホから打つと送信マークにバツ印が付きます。
 
 三十年を越す付き合ひのあるひとですが、ここ十年ほどは疎遠になり、もつぱらメールの遣り取りだけでした。そのメールが昨年暮れから突然通じなくなり、もちろん相手からもメールは来ません。
 
 十年前までは住所が分かつてゐましたが、いまは転居して、どこに住んでゐるのかも分かりません。携帯電話の番号も知りません。メールだけでつながつてゐる仲でした。
 
 かうなつてみて初めて実感しますが、ネットを介した人間関係といふのは意外に薄弱なものです。
 
 メールアドレスが途絶えてしまヘば、相手が達者なのか死んだのかすらわからない。このままだとたぶん一生分からないままでせう。
 
 ぼくが学生のころまで、遠くの人と即座にコンタクトを取るのは電話でした。外に出てゐるときなら公衆電話ボックスに飛び込まなければならない。その後、十円玉でかける赤電話、さらに百円玉を投入できる黄電話、つづいてカードでかけられる電話などが街角に続々と登場し、かなり便利になりました。
 
 携帯電話が普及しはじめたのは平成になつてからで、まもなくメール通信が活発になり、ブログ、ツイッター、フェイスブック……とまたたく間にネットを使つての人と人の触れ合ひが濃密になつたのです。
 
 しかし、本当に人と人とのつながりが濃くなつたのかどうか。
 メールひとつ通じなくなると、ふたりの間のすべての交流の手段が断たれる。そんなもろい人間関係の上に立つて、わたしたちは人との触れあひが密接になつたと錯覚してゐるだけではないでせうか。
 
 なげきつつ 
 ひとり寝る夜の明くる間は
 いかに久しき ものとかは知る
  (右大将道綱母)
 
 恋しい人から何の音沙汰もない、電話などない、ひたすら待つしかなかつたころと、人と人の仲はあまり変はつてゐない。
 
 いやむしろ、いつでも簡単に携帯電話やメールで声が聞けたり連絡がとれる、その状態が未来永劫つづくものと安心しきつてゐる現代人のはうが、実は人と人の真の心の関係は希薄で、形式的で、冷たいものになつてゐるのではないかと思ふのです。
 
 散歩してゐると、前から自転車で走つてきた小柄な女性が、急ブレーキの音をたてて飛び下りた。
 
 「あ~ら、こんなところで」
 甲高い声音でさう呼びかけられても、 まだ誰だか分からない。
 
 女性はマスクを外した。形のいい鼻梁があらはれ、はじめて知り合ひだと分かつた。よく寄るワインバーのソムリエールである。
 
 自転車のうしろには幼児用のシートが置かれ、皺だらけの布団が乗つてゐる。さうか、彼女は子持ちだつたのか。
 
 「マスクをしてるから誰だか分からなかつた。このご近所ですか」
 「ええ、ちよつと先です。いま、そこのコンビニまで」
 
 三十代半ばか、店で真つ白なブラウスに赤縁のめがねをかけ、ソムリエールを象徴する黒いエプロンに身をただしてゐるときよりは生活臭を感じる。
 
 「風邪でもひいたの?」
 ぼくはマスクを指さす。
 「いえ、風邪ではないのですけど、お化粧もしてないから」
 
 女は白いビニールの買ひ物袋をさげてゐた手を髪にやり、乱れた後ろ髪を直さうとする。
 
 「だめだよ、美人はマスクなんかしちやあ。勿体ない」
 「あら、夜だけかと思つたら、昼間もお上手なんですね」
 
 花粉症とかインフルエンザ予防のマスクだけでなく、スッピン隠しのマスクといふものもあるのを初めて知つた。つまり覆面である。自分が誰だか分からないやうに顔に覆ひをかける。
 
 講演会の後半の質問時間に手をあげる人の中にも、マスクをかけたままの女性がゐる。
 
 さういふ人の質問はたいていがキツイ。講師へのエチケットとして普通では質問をはばかる偏頗な個人的見解や、共産党員ではないかと思ふやうなイデオロギーまる出しの攻撃をぶつけてくる。
 
 マスクを取つてくれとも言へず、口の形状がみえない、聞きにくい発音を聞きとるしかないが、マスクをしてゐると言ひにくいことも平気で言へるらしい。
 
 元来、自分の素顔を隠蔽したうへでの質問は礼を失することだらう。国会の本会議や委員会で質問者がマスクをしてゐたためしはない。
 
 現代人にとつて、マスクといふのは便利なものには違ひない。
 顔といふ最高の個人情報が守れる。表情が見えないから、泣き顔でも渋面でも憎しみ、あざけりの顔でも、マスクの内側で自由自在だ。まはりは花粉症や風邪対策と思つてくれるから都合がいい。
 
 しかし、重ねていふが、美人はマスクをしてはならない。その逆はーー強制はできませんね。