散歩してゐると、前から自転車で走つてきた小柄な女性が、急ブレーキの音をたてて飛び下りた。
 
 「あ~ら、こんなところで」
 甲高い声音でさう呼びかけられても、 まだ誰だか分からない。
 
 女性はマスクを外した。形のいい鼻梁があらはれ、はじめて知り合ひだと分かつた。よく寄るワインバーのソムリエールである。
 
 自転車のうしろには幼児用のシートが置かれ、皺だらけの布団が乗つてゐる。さうか、彼女は子持ちだつたのか。
 
 「マスクをしてるから誰だか分からなかつた。このご近所ですか」
 「ええ、ちよつと先です。いま、そこのコンビニまで」
 
 三十代半ばか、店で真つ白なブラウスに赤縁のめがねをかけ、ソムリエールを象徴する黒いエプロンに身をただしてゐるときよりは生活臭を感じる。
 
 「風邪でもひいたの?」
 ぼくはマスクを指さす。
 「いえ、風邪ではないのですけど、お化粧もしてないから」
 
 女は白いビニールの買ひ物袋をさげてゐた手を髪にやり、乱れた後ろ髪を直さうとする。
 
 「だめだよ、美人はマスクなんかしちやあ。勿体ない」
 「あら、夜だけかと思つたら、昼間もお上手なんですね」
 
 花粉症とかインフルエンザ予防のマスクだけでなく、スッピン隠しのマスクといふものもあるのを初めて知つた。つまり覆面である。自分が誰だか分からないやうに顔に覆ひをかける。
 
 講演会の後半の質問時間に手をあげる人の中にも、マスクをかけたままの女性がゐる。
 
 さういふ人の質問はたいていがキツイ。講師へのエチケットとして普通では質問をはばかる偏頗な個人的見解や、共産党員ではないかと思ふやうなイデオロギーまる出しの攻撃をぶつけてくる。
 
 マスクを取つてくれとも言へず、口の形状がみえない、聞きにくい発音を聞きとるしかないが、マスクをしてゐると言ひにくいことも平気で言へるらしい。
 
 元来、自分の素顔を隠蔽したうへでの質問は礼を失することだらう。国会の本会議や委員会で質問者がマスクをしてゐたためしはない。
 
 現代人にとつて、マスクといふのは便利なものには違ひない。
 顔といふ最高の個人情報が守れる。表情が見えないから、泣き顔でも渋面でも憎しみ、あざけりの顔でも、マスクの内側で自由自在だ。まはりは花粉症や風邪対策と思つてくれるから都合がいい。
 
 しかし、重ねていふが、美人はマスクをしてはならない。その逆はーー強制はできませんね。