知り合ひの60代の女性実業家から、「これ、読んだら意外におもしろい」と女優・岸恵子の小説『わりなき恋』を手わたされた。
還暦をむかへる大企業の副社長と、古稀を過ぎた女性ドキュメンタリー作家との不倫の物語で、ドキュメンタリー作家のモデルは岸恵子自身ではないかと話題になつてゐるらしい。
最後は、副社長から顧問にさがつた男が、東日本大震災がきつかけとなつて、家族のもとへ帰つて行くといふ結末で、途中、劇的なストーリーの展開はなく、「わり(理)なき」、つまり理屈抜き、分別のない、どうしやうもない恋の話である。
そこに現代があるとすれば、59歳の男と70歳の女(!)が恋に落ちるといふところか。
最初の情交は、やはり女の体のせゐでスムーズに運ばない。
<侵入してきた九鬼兼太を受け入れながらも激痛が走った。固く閉じたオブジェの扉は開くことができないでただ裂けた、ように笙子は感じた。身を反らせながら発した自分の叫び声に自分で傷つき、蒼ざめていった。この世の果てのような暗がりのなかで笙子はもがいた>(引用)
婦人科の女医に相談して薬を出してもらふなどして、
<背骨のどこかにひび割れたような痛みが走り、緊張しきった神経が背中に集中したとき、男の体がするりと入ってきた。笙子はちいさく叫んだ。それは痛みをともなったあまりにも絶大な存在だった。
「あなた、今、私の中にいるの?」
喘ぎながら呟いた。>(引用)
と普通の男女関係がはじまる。
男は世界中に20万人の従業員を擁する大企業の副社長で、一年中、ヨーロッパ、中国、中東と、「一国一日」のスケジュールで奔走し、その合間に、こちらも世界を取材で飛びまはる売れつ子ドキュメンタリー作家とデートを重ねる。
男が犀利で有能なビジネスマンであるにもかかはらず、女の前では幼児のやうに嫉妬深かつたり、ひたすら女の美しさをあがめるのが、女には心地いい。
やり手の男が、外の世界の「権力」を女の前でちらともひけらかさないところに女は惹かれる。これは粋の真髄であり、遊び人の心得の第一条だらう。
古稀の女と還暦の男の性愛なんて、ふつうに考へれば化け物屋敷をのぞくやうな気分になるのに、最近、この小説がきつかけでテレビや雑誌に顔を見せるやうになつた80歳の女優の秀麗な容姿を思ひうかべながら読むと、発行元・幻冬舎の思惑どほり、興味深いスキャンダル小説になる。
ただし、男のぼくには、「激痛」の部分は分からない。
