「やめるのなら、『今年限りでやめます』つて、あと1回出すのがマナーぢやないの?」
娘にさう言はれました。
近年、多くの方からさういふ「年賀状仕舞」を頂きます。
「喜寿になつたので」「八十歳を超えたので」「仕事は子供にまかせて、現役を退いたので」――「やめるわけ」はいろいろあるやうです。
永年つづけてきたことを終はりにするのですから、娘の言ふやうに、前年に一言お断りするのが普通だし、マナーなのかもしれません。
でも、ぼくは特にさういふ宣言をしないで、今年、静かに年賀状をやめることにしました。
ずつとつづけてきたことを「やめる」と人に告げて、いやな思ひをし、反省をしたことがあるのです。
昼の仕事はむろんのこと、夜の遊びでも何かとお世話になつてゐた大先輩に、季節ごとにお中元、お歳暮をお贈りしてゐたのですが、ぼくが65歳の役員定年で新聞社を辞めた夏、「大変失礼ながらこれを最後にご無礼させて頂きます」といふ挨拶状を添へました。
するとその先輩から折り返し、「人への感謝は退職しても一生つづくものではないのか。妙に寂しい思ひがした」といふ趣旨の長文の封書を頂戴したのです。
尊崇やまない大先輩に「寂しい思ひがした」なんて言はせるとは!
どうお詫びすればいいか。「では、贈り物はつづけさせていただきます」なんて前言を翻すのもヘンだし、困惑しました。
もし年賀状仕舞を出すと、ひよつとして受け取つた友人・知人の中にも「寂しい思ひ」をする人がゐるかもしれない。
それならいつそ、何の連絡もしないで、静かにやめようと考へました。
柄に似合はず“筆まめ”なぼくは、中学生のころから先生や同級生に年賀状を出してゐました。
以来ほぼ70年、冬の年賀状、夏の暑中見舞ひ状をつづけてきました。(暑中見舞ひは昨年からやめました)
「年賀状仕舞」を出さないのには、他にこんな気持ちもあります。
「年賀状は今年限りにします」と一方的に通告するのは、理由はとまれ、なんとなく尊大な感じがしないか、と思ふのが一つ。
それと、ぶつちやけた話、「いまや朝から晩までパソコン、スマホの電子メールの時代に、郵便局に配達をお世話になる年賀状つて、少々気褄が合はなくなつてゐるのでは」といふ思ひもあります。
と見かう見、特段の事情があるわけではないのですが、つまりは「なんとなく自分勝手に」、形の上では「静かに」、ことしから年賀状を書くのをやめます。
