幼いころから「着る物にウルサイ」ガキだつたのには母親の影響が大きい。
母は謹厳な警察官の妻として、道楽や趣味には一切手を染めずに、年に数回、馴染みの呉服屋に電話して、愛想のいいおやぢに季節の生地を持つて来させ、床の間の前に素麺のやうに何本もひろげて、あれかこれかと目移りを楽しむのがほとんど唯一の愉楽だつた。
新しいきものが出来上がつてくると、古くからの友だちを誘つて銀座・歌舞伎座へ出かけて行った。
警察署長を転々とする官舎住まひながら、母はそのときときだけは官舎仲間を避けてゐた。
警察官の世界はなにかと周囲の目が厳しく、「こんどの署長の奧さんは派手好みね」などと評判が立つのを避けてゐたやうだ。
よろずに地味な父も、母のこの嗜好だけは大目にみてゐた。
ぼくが生まれて初めてスーツを誂へたのは大学生になつてすぐだつた。
姉の友人の実家が御徒町の川沿ひで洋服店を営んでゐたので、その友だちの手前、ぼくを客として連れて行つた。
昭和の中ごろらしい、きはめて簡素な明るい紺のスーツだつたが、入学祝としてプレゼントしてもらつた。
新聞社で五年間の地方勤務を終へて本社政治部に配属を命じられ、初めて挨拶に行くと、政治部長が最初に言つたのは「服装には気を付けて」だつた。
「政治記者といふのは社会部とか文化部とは違つて、いつ急に総理大臣に単独インタビューすることになるかも知れない。失礼になつてはいけないし、政治家には着てゐる服で品定めする人間も少なくないから、洋服代は政治記者の必要経費だと思つて、これからはスーツに気を遣ひなさい」
スーツなどまるで知識のないまま、有名デパートなら間違ひはないだらうと、一着は日本橋の三越で、次に高島屋で誂へた。どちらも20万円を超えた。
新聞記者の服装は、第一に目立たないことが求められる。
テレビの国会中継でお分かりのやうに濃紺かグレーの上下が無難で、国会議事堂や永田町に出入りする官僚、秘書、記者、みんながみんな例外なくドブネズミ・ルックである
自慢話になるけれど、僕のスーツは“世界のファッションデザイナー・森英恵”に褒められたことがある。
『週刊読売』の編集長のとき、写真コラムを連載してもらつてゐた森さんに、表参道にある森さん経営のフレンチでご馳走になつた。
向かひの席の森さんがしみじみとぼくのスーツの肩や胸を見つめて言つた。
「仕立てのいいものを着ていらつしやいますね。失礼だけど、新聞記者さんでそんなのを着てる方、初めて見た」
いまもわがクロゼットには季節ごとに濃紺のスーツがずらりと並んでゐる。
いくら仕立ては良くても所詮は仕事着である。あすどこからかパーティーの招待状が舞ひ込んでも、そんな場に着て行きたい、いはゆる一張羅はない。
