3月11日は東日本大震災が発生した日です。あの日私は静岡市にいました。東京よりも遠いところにいたにもかからわず、結構強く揺れました。私は次の訪問先のアポイントの時刻まで喫茶店で時間調整をしていたのですが、発生と同時に店内はパニックとなり、私も他のお客さんもみんな一斉にテーブルの下に身を隠しました。その後お店のテレビから刻々と震災の情報が流れ、大津波警報が出た時はもう仕事どころではなくなりました。しかし静岡から東京に戻る新幹線は止まってしまいましたので、その晩はビジネスホテルに泊まりました。家族との連絡もままならないほど携帯電話はつながらず、とても心配しました。結局、妻と次女は自宅にいて、長男は友達の家に居て、長女は帰宅困難者となり豊島区内の職場から大宮に向かって歩いて帰宅しています。そこで妻と次女は車で長女を迎えに出たのですが、果たしてお互いの位置関係が把握できるのかどうかわかりません。ところが赤羽の荒川の橋をわたったところで偶然に長女を見つけて車に収容し、何とか帰宅できたようです。私は翌日の朝一番で新幹線が静岡始発で出ると聞き、静岡駅に急ぎ乗りました。しかし問題は東京駅に着いてからです。
JRも私鉄も地下鉄もまともに動いていないので、駅はどこも乗客で溢れかえり、まさにパニック状態でした。なんとか京浜東北線に乗ったのになかなか発射しない。赤羽の駅に着くまでに2時間以上かかり、挙句の果てにそこで運転打ち切りとなってしまいました。駅員に聞いたら埼京線が動くというので埼京線に乗り換え、一路大宮を目指しました。結局、東京から自宅に戻るのに4時間以上かかりました。
自宅は大丈夫でしたが、電気がまともに使えない。停電を繰り返すのです。ガソリンスタンドも閉まっている。電気が使えないと現代の住居は全くだめです。
あれから13年経ったのかあ。依然として被災地の復興は終わらない。福島原発の放射能汚染は未だに危険ゾーンがあります。地震は本当に恐ろしい。しかも災害エリアが広い。まだ当分は復興支援が必要です。