今日のニュースに「ライカがスマホを作った」というのがありました。
ライカと言えば、世界的なカメラの名門、超高級ブランドです。そのライカ社がスマホに自慢のカメラを搭載して売り出した。つまり、もはやカメラはスマホに飲み込まれてしまったのだ。
思起こせば、スマホはもともと電話から始まった。携帯電話です。それは画期的でした。家の電話は家族みんなが共有しているから、彼女に電話したりするのは、やや気が引けた。そこに携帯電話が登場して、電話は一人一人の専用になったことで、これは便利だと思いました。
その携帯電話でメールが送れるようになった。更にカメラが付いて写真がとれるようになった。
「写メ」という言葉ができたりしましたね。友達どうしや、恋人同士のツーショット写真を撮って自分の携帯に保存できる。
更に音楽も聴けるようになった。これでウォークマンやiPodは要らなくなりました。
そしてついに、インターネットができるようになりました。日本では当初「iモード」という特殊な環境で広まりましたが、結局世界的にはガラパゴスとなり、孤立してしまい。結局、iPhoneの登場によって「iモード」は絶滅。
動画が撮れる。4K動画も撮れる。スマホで動画の編集ができる。
ZOOMやFaceTimeなどでテレビ電話ができる。
高度なゲームもできる。
語学学習や、学校の授業もオンデマンドで受講できる。
まだあります。
買い物の支払いができる。税金の納付もできる。株式や投資信託、外貨預金の運用もできる。
こうしてみると、およそ人が生活で行っていることの大半がスマホで出来るようになっている。
でも、ちょっと待てよ、
人類はいつのまにかスマホにできることしかやらなくなりつつあるのではないか?
例えば子供たちの遊び。
かくれんぼ、おにごっこ、キャッチボール、鉄棒、かけっこ、など、実際に自分の身体を動かす遊びから、スマホ上での疑似体験によるシミュレーションプレイで満足するようになっている。
雨が降っても、夜でもできるし、危ないことは無い、怪我はしない、
安全で便利だからみんながやり始めた。
しかし、これによって、実際の危険、事故を経験しなくなった。
それでいいのでしょうか