子どもたちへ

◎歩幅

 

大谷翔平、松本人志、紅麹…日本メディアに共通する「コタツ記事」の惨状

 

日本人は自分の「歩幅」を知らない奇妙な民族。だから、ゴールに到達する「時間」がわからない。そもそも、ゴールに全く興味がない。つまり、目的に向かって歩かないのだから、自分の「歩幅」など分かるはずがない。そして、日本人はユークリッドと非ユークリッドの違いが理解できない。眼の前に見えている、「自由」や「平等」は、真っ直ぐ平行線上に存在していると思っているが、その直線の「角度」が理解できない。つまり、自分が真っ直ぐだと思って歩いているのは、直角三角形の「斜辺」であり、その「角度」に気が付かない。「角度」とは、前提であり、背景であり、そして、「嘘」である。ジャーナリズの使命とは、その「角度」をあぶり出すことに意義がある。テレビのこたつ弁護士たちはぼんやりとその幾何の状態を眺めているだけだが、文春は底辺から回り込んでその「角度」を追求した上で、報道する。もちろん、間違いもあるし、主観や打算もある。だが、それが文春のジャーナリズムの正義である。次世代の子どもたちにとって重要なのは、テレビのこたつ弁護士の大人たちのように、文春を叩くのではなく文春を超えることだ。間違っても、間違っても、繰り返し動くことで自分の「歩幅」を知ることである。