尺八教室に通っています! | 台湾で起業して頑張る中高年オジサンの徒然

台湾で起業して頑張る中高年オジサンの徒然

天安門事件(1989年)には北京に駐在、その後、広州、北京、シンガポール、台北、上海と中華圏を30年間渡り歩き、2019年9月無事にサラリーマン定年退職。これを機に台湾台北で起業、第二の人生を奮闘中。中華圏ベテランオジサンの目線で見た日々について綴ります。

5月から毎週日曜日午後に台北市内の尺八教室(初級者)に通っています。小学校や中学校の時に習ったリコーダーやハーモニカの様に吹けば音が必ず出る楽器とは違い、尺八未経験者の私には音が出るどころかかすりもしませんでした。

 

一緒に授業を受けている生徒さんは、初級者とは言え既に数か月から数年以上の経験者ですから音出しは勿論のこと、中には上手に曲を奏でることのできるひともいます。そんな中で、全く音さえ出ないのがひと月ほど経過したころ、単音(単なるピーと言う程度)が出る様になってきました。



 

単音が出ても曲を吹くためには、尺八独特の難解な楽譜を読むことが必要となります。然も、ドレミファソラシドの音階でもないわけです。ひと月過ぎて少々半ば諦めかけていたころ、やっと指で穴を押さえて音色が吹ける(出る)程度になりました。

 

そして2か月目に入り、ある日リコーダーやハーモニカと同様に音出しと共に勝手に指が動く様になってきました。こうなるとお教室で提供される譜面の中でも簡単な童謡や唱歌を吹けるまでに進歩しました。

 

音感は悪くはないと自負している私ですが、日本で受けた初等音楽教育は改めて凄いものだと思いましたが、でもまさかこの歳になり幼稚園で習ったチューリップ、鳩ポッポ、日の丸を学習するとは思いませんでした。

 

ところで、長さ1尺8寸(54cm)から尺八と呼ばれるようになったこの楽器は、もともとは中国大陸から日本へ入って来た管楽器で、奈良時代には雅楽の篳篥(ひちりき)や笙(しょう)の楽器のひとつでした。ところが、何故か平安時代には廃れてしまい、鎌倉時代に虚無僧(こむそう)の必需品として復活したそうです。


(平安時代の篳篥(ひちりき)か?)


 

お教室では毎週和気あいあいとお菓子を持ちより、尺八愛好者が集っています。それでも指導者教師が毎週ひとりひとり当てて、吹かせて進捗具合を採点するので緊張します。


日本国内では尺八愛好家は2万~3万人、海外では此処台湾も含めて1万人程度と言われています。よく首振り三年とも言われる楽器です。私は一体何年掛かるかわかりませんが、その愛好家の端くれの端くれでせめて“茶摘み”ぐらいは吹けるようになりたいものです。