台北市内にも在る科挙試験場(跡) | 台湾で起業して頑張る中高年オジサンの徒然

台湾で起業して頑張る中高年オジサンの徒然

天安門事件(1989年)には北京に駐在、その後、広州、北京、シンガポール、台北、上海と中華圏を30年間渡り歩き、2019年9月無事にサラリーマン定年退職。これを機に台湾台北で起業、第二の人生を奮闘中。中華圏ベテランオジサンの目線で見た日々について綴ります。

大河ドラマ“光る君へ”を拝見していて、主人公紫式部の父藤原為時が越前守(国主)になった史実を知りました。越前は今の福井県、ちなみに越中は富山県、越後は新潟県を指しますが、この三国を越(こし)の三国と言い、当時大陸から多くの宋国商人が来航したとの事に名を由来するそうです。

 

大陸からの異民族受け入れは、九州大宰府だけだと思っていましたが、越前敦賀(松原客館)でも大陸宋人を受け入れていたとは知りませんでした。宋は五大十国後に大陸を統一した漢民族国家でしたが、藤原為時が宋語、漢詩や漢籍に長じていたために越前守に任じられたとも言われています。


(太宰府跡、数年前に訪れた際のパチリ)


 

中国史は異民族間での闘争の歴史と言われていますが、宋(960-1279年)は文官主義を貫いた為、色々な文化が花開いた時代です。同時に科挙(官吏登用試験制度)も整備されて合格すれば誰もが国家官僚になれた稀な時代でもあります。

 

この試験制度は、中華民国が建国される清朝滅亡まで続きましたが、非常に難しい試験であったのも事実です。台湾でも旧大日本帝国が統治する前の清朝時代は、旧都台南に科挙試験場(考棚)がありました。


清朝末期には台北にも試験場(考棚)が設けられました。そして科挙受験前には、実は専門学生になる必要もあり、その試験は童試とも言われたそうです。

 

台北市内で台北駅に近い忠孝西路と中山南路が公差する場所で、現在高層オフィスビルが建築中ですが、其処が科挙試験場(考棚)跡です。史跡碑のみで当時の建築物など痕跡は殆どないのが残念ですが、私の市内ランニングコース途中にあり、いつもこの碑を通ると科挙に想いを寄せますよ。