生活に必要な日本語を学ぶ場と
同時に学習以外にも、
地域住民との対話を通じて、
生活・地域情報や文化等を学ぶ場
として機能している日本語教室。
市では3つの教室が実施されている。
■伊丹市の日本語教室のご案内(Japanese language class)
青:質問要旨
黒:回答
緑:意見・要望
*以下は抜粋・要約。
*議事録ではありません。
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日本語教室が始まったキッカケは。
1986年に伊丹ユネスコ協会が、
中国残留邦人とその家族が、
生活の為の日本語教室を開講。
10周年記念誌によると、
当時は10家族30人の学習者と、
38名のボランティアが集まり、
週3回、学習だけではなく、
買い物、電話のかけ方や
切符の買い方など、
実生活に則した内容だった。
1988年、国が設置していた
兵庫県中国帰国者自立研修センター
伊丹分室として、この教室をベースに
伊丹市及び近隣市の帰国者と家族に、
自立のための日本語支援を行ってきた。
中国帰国者自立研修センターは、
2000年に終えるが、
その後も、中国残留邦人だけでなく、
日本語学習を必要とする人を対象に、
現在も、土曜日午前に講座を開講。
■伊丹だより「外国人のための日本語教室」(伊丹市広報番組2023年11月6日号)
https://www.youtube.com/watch?v=NfkjxDlq0CE
また、2011年からは
中国残留邦人・家族への
日本語教育支援事業を
中国帰国者と交流する市民の会
(略称:「市民の会」)へ委託。
日本語学習「つつじの会」は、
現在、毎週金曜日に開講。
2009年に中国残留邦人・家族と
市民との交流会を契機に発足した
「市民の会」は、
中国残留邦人等の体験を
次世代に継承するための講話や、
帰国者同士の交流をしている。
先日「つつじの会」に伺い、
中国残留孤児の方に
体験をお聞きしました。
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2歳の時に両親と分かれたため、
両親の顔の記憶が無いこと。
育ててくれた中国人の養父母は、
必死で働き育ててくれ、
高等教育まで行かせてくれ
感謝していること。
祖国日本に帰ってきたけれど、
日本語が全く分からず、
職場で馬鹿にされ虐められ、
悩み・苦しみ、辛かった。
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ご自身の経験を、
トツトツと話されました。
戦後79年。
中国残留邦人の方々は高齢。
一番の願い、それは
中国残留邦人が体験してきたことを
一人でも多くの方に知って欲しい。
まず知ること。考えること。
私たちも続けていきましょう。
その他の教室は。
市国際・平和交流協会の教室は、
市内在住外国人に日本語習得の
機会を提供することを目的として、
1992年に始まった。
2003年からは、
支援ボランティアとマンツーマンや
少人数学習の「日本語学習サロン」
となり、現在は火曜日夜間に開催。
また2016年から講座形式で
初級レベルの日本語を学習する
教室を木曜日午前に開講。
これら3つの日本語教室に、
おおむね40人の学習者と
30人のボランティアが参加。
日常生活で必要な日本語の習得を
主な目的として活動するとともに、
日本語学習だけではなく、
花見の会やクリスマス会開催など
交流の機会ともなっている。
行政が日本語教室に取り組む
意義と役割は
2023年末の在留外国人数は、
341万992人で過去最高を更新。
昨年末、本市外国人は3,560人。
前年の同時期比6.7%増。
本年8月末では3,667人。
外国人市民と地域で共に生活し、
まちづくりを担う「生活者」として
捉えることが、これまで以上に必要。
本市日本語教室は、開設当初より
実生活に則した内容や、
生活で必要な日本語習得を目的に
長年、ボランティアや講師の方々の
熱心な取り組みにより、地域の中で
日本語を学ぶ場の役割を果たしている。
今後も「生活のための日本語」を
学ぶ場であり続けるとともに、
社会参加につながる場所として、
重要な役割を担っていく。
《質問を終えて》
この質問は、
議員や市民の方々に、
日本語教室について知って欲しい
という想いからだった。
特に中国残留邦人
(中国残留孤児)
についてのところ。
歴史に翻弄された方々、
それは日本の加害の歴史。
議場で話していても
反応がほとんど無く
自己満足質問だった。
ただ、このような質問が、
伊丹市議会本会議場で
年1回位あってもいいかな、と。